第5話 森川える子は親戚です

 胃酸が上がってくるのを堪えながら精一杯の笑顔を作って声を出す。とりあえず大きな声を出すと気持ちが軽くなると最近知ったので朝の挨拶は大事だ。

 今日は特に緊張してるからいつも以上に意識して声帯を震わせる。


「おはようございます」


「ああ、おはよう」


 笑顔で挨拶を返してくれるのは地域活性課の大野課長だ。大野という苗字にぴったりの大きい体で名前を憶えやすかった。

 もうすぐ定年なので事なかれ主義だと最初に言われて、そして新人のわたしに夢を叶えるチャンスが巡ってきた。


「課長、例の女優を連れてきました」


「えぇ……」


「ビックリするくらい綺麗だから覚悟してください」


「いや、そういうのは僕が定年してからでも……ほら、まずは市役所に慣れるところから。ね?」


「本当ならわたしだってそうしたいです。入職して一か月も経たない人間がご当地ヒロインの企画を立ち上げるって、周りの視線が痛いですもん」


「それなら今は大人しくしてればいいでしょ」


「ものすごい美人だからこのチャンスを逃すともうダメかもしれないんです」


 当の本人には帽子を目深に被らせて玄関の外で待機させている。さすがに朝の挨拶と共にエルフを紹介するような丹力は持ち合わせていない。顔は良いけどエルフはエルフ。順を追って紹介しないと課長に拒絶されるかもしれないと最悪の事態を想定した結果だ。


「おはよう森川さん。なになに? 女優さん連れてきたの?」


「はい。ものすごい美人なので空野さんもヤル気になると思います」


「マジぃ? 俺、悪者なんでしょ?」


「女性ファンを取り込むには最適なんです。イケメンの悪者は」


「いや~、そんなにファンが集まるかな~」


「大丈夫です。まずは男性ファンが来ると思いますけど、そこから話題を呼んで空野さんの魅力も広まっていきますから」


「っていうか森川さんは出ないの? こういうのって発案者が中の人になったりするもんでしょ?」


「最初はそのつもりでした。でも、わたし以上の適任を発見したんです。それに、ご当地ヒロインに中の人なんていません」


「ああ、はいはい。それで女優さんは?」


空野先輩は元々都心部の区役所に務めていたらしい。職場内で何股も掛けたのが発覚してこのあひる野市役所に異動となった。平均年齢が高いここではわたしが唯一の二十代女性職員なので空野さんのテンションは低い。


 ちんちくりんには興味がないみたいで正直ホッとしている。わたしだって空野さんみたいな人はタイプじゃない。顔が良いのは認めるけど、性欲が全面に出てる遊び人タイプは苦手だ。


 空野さんの前にエルフを出すのは気が引ける部分もあるけど、エルフはわたし達の何倍も生きている。今は自堕落なニートだけどニート生活を送っているのはこの数週間だけで、基本的には山で清らかに生きてきた。


 どんな言葉でナンパされようとも空野さんに流されることはないはずだ。きっと男と遊ぶよりもゲームしたいタイプだと思うし。


「それでは紹介します。お待ちください」


 玄関の前で待たせているエルフを呼ぶと不安げにキョロキョロと辺りを見回している。人間に対する不信感があるのだとしたらちょっと酷なことをしていると思うけど、これからもわたしの部屋で特撮を見たりゲームを続けるにはある程度は稼いでもらわないと困る。

 

 エルフも納得した上で今日この場所に来ているから強制してわけじゃない。なんだか悪徳業者みたいなやり口だと自嘲する。


「ほら、帽子を取って」


 耳を押さえ付けられているのが苦しいのかすぐに被っていたものを外した。瞬間、全ての視線がエルフに集まる。

 そりゃそうでしょう。あまりにも顔が良すぎるもの。こんな美人を起用しようと思ったらたぶん市の予算じゃ全然足りない。


 このキャスティングでもしかしたらわたしは大出世するかも。バリバリ働きたいわけじゃないしゲームをする時間が今よりも減っちゃうのはイヤだけど、わたしが考えた最高のヒロインを現実にできるなら安い物だ。


 長年脳内で温めていて、でもテレビで放送するレベルじゃないと諦めていた特撮ヒロイン。それが今、形になろうとしている。


「はじめまして。森川える子です」


 ぺこりと頭を下げるとサラサラの金髪が流れるように揺れる。同時に爽やかな森の香りが市役所を包み込んだ。

 この心地良い香りは魔法の力で出してるらしい。なんでも人間を魅了して敵意を喪失させるんだとか。


 そんな恐ろしい力を持っているのに我が家で大人しく家事をしてゲーム三昧の日々を送っているんだから不思議なやつだ。命の恩人ではあるけど、魔法の力でいくらでもわたしを脅すことだってできるのに。


 自堕落なニートになったとしても心根の優しいということなのかもしれない。


「ああ……え、あ……どうも。いつもお世話になっております。大野です」


「そ、空野っす。あの、その耳……」


 社会人経験の長さを活かして大野さんは平静を装って挨拶を返し、空野さんはそのチャラさを活かしてまず耳に言及した。

 触れにくい部分に自分から突っ込んでくれるのは助かる。どう見たって人外の長い耳は誰が見ても気になるポイントだ。


 それさえクリアしてしまえばエルフはただの美人だからご当地ヒロインとして採用されるのは間違いない。


「える子は親戚の子なんですけど、普段から特殊メイクをするくらい演劇に熱心なんです。よくできてるでしょ? あ、わたしの企画覚えてます? あひる野市のご当地ヒロイン、森の妖精るひあ。この長い耳とかイメージにピッタリじゃないですか? って、イメージしてるのはわたしだけかって」


 オタク特有の早口を披露し終えてハッとした。これだけ饒舌だと逆に怪しい。取り調べでもペラペラと喋る人が怪しいってよく言われてるじゃない!


 もしかしてわたし、やっちゃいました? 悪い方の意味で。

 せっかく掴んだチャンスを自ら手放してしまったことと、エルフの身を危険に晒してしまったかもしれないことに胃袋がギュッと搾りあがる。

 朝の挨拶で押し込んだ胃液が再び戻ってきそうな感覚に胸が焼かれそうだ。


「親戚の子って……まさか未成年じゃないよね?」


「え? あ~……成人済です。はい」


 成人っていうかもはや何年生きてるか本人もわからないレベルのご長寿だ。年功序列なら間違いなくカーストのトップ。この場にいる全員がひれ伏さないといけない。


「特殊メイクってマジ? 完全にくっついてね?」


「この耳にはすごいこだわりがあるみたいなんですよ。役作りに熱が入って、決定する前からこの作り込み! これで不採用にしたらえる子が可哀想だと思いませんか?」


「あぁ、うん。そうね」


 顔が良すぎて手を出す気が失せたのか、はたまた長い耳に動揺しているのかいきなりエルフをナンパはしてこない。それはありがたいんだけど、あまり怪しまれるのもよくない。


 あくまでもご当地ヒロインへの熱量がものすごく高いということにすべく、うそっぽいとしてもペラペラと言葉を紡ぐ。


 面接の時にレッシャジャーの魅力を語った時くらい舌が回っていて、自分が本気でるひあの企画を実現したいことを自覚した。


「あの……私じゃ、ダメですか?」


 涙も魔法で簡単に出せるらしい。大きな瞳から流れる一筋の雫はキラキラと輝いている。この涙を見て落ちない男はいるだろうか? いや、いない。


「ダメってことない……ねぇ?」


「俺に振らないでくださいよ。課長が決めてください」


「むぅ……」


 空野さんは敵役として表に出ることに乗り気じゃない。でも、相手がエルフならヤル気を出してくれると踏んでいただけにこの反応は意外だった。こっち側について課長を説得してくれると思ってたのに、判断を委ねてしまった。


「わたしの親戚なのでギャラは高くなくて大丈夫です。それこそ一か月分の食費とささやかな電気代くらいの支払いがあれば」


「具体的なような抽象的なような……まあ、森川さんの親戚なら怪しい人ではないんだろうけど」


「他に気になる点があるならわたしから説明します」


「その……実に言葉にしにくいんだが……」


「はい」


 課長は何度も咳払いをして、その言いにくいことを言葉にするタイミングを計っている。一体どんな懸念があるんだろう。ギャラの問題はさっきの一言で解決したと思ってる。


 高額なギャラは請求しない。わたしが負うことになった食費と日中家にいることにより発生する電気代をエルフ自身で稼いでくれればそれでいいんだから。


 他に想定したのは耳の件だ。特殊メイクということで誤魔化しきれなくなったら、外見で人を判断するんですかと詰め寄る覚悟だ。上司に対してあまりにも態度が悪いけど、残された手段はそれしかない。


「セクハラではないと予め断っておくよ。その……あまりにセクシーすぎて問題になるんじゃないかと、僕は心配している」


「え?」


「ひと昔前に流行っただろ。美人すぎる〇〇というやつが。グラビアアイドルでもないのに水着になったり、芸能界に行ったり。市役所で作ったご当地ヒロインがあまりそういう方向に行くのはいかがなものかと」


「安心してください。える子はこのご当地ヒロインの仕事に魂を賭けてますから。ね?」


「はい。このお仕事以外はするつもりはありません」


 ゲームの時間が減るからという本音が漏れ出ないか心配だったけど練習通りグッと堪えてくれた。この調子ならエルフをご当地ヒロインとして採用してもらえる。


「とりあえず一本動画を撮ってみようか。その評判が良ければ継続採用ということで。空野くんも頼んだよ」


「え゛!? 悪役ってもう出番あるんすか?」


「それは森川さんに聞いてくれ。あとは任せたよ」


「はいっ!」


「悪役って……マジかぁ」


「空野さん安心してください。絶対人気が出ますから!」


「出たくないのよ。こんな田舎のご当地ヒロインの悪役なんて。はぁ~、都心の役場で働いてるってウソ付いてるのバレるじゃん」


 両手で顔を覆い隠して空野さんはしゃがみ込んでしまった。本当にわたしの企画に出演したくないらしい。

 仕事だからと言って強制的に出演させる権力をわたしは持っていない。最初の動画は紹介映像ということでエルフ改めるひあの魅力をコンパクトにまとめればいいけど、ご当地ヒロインを名乗るからには悪役が必要不可欠。


 ただのセクシーなヒロインではなく、ちゃんとした特撮ヒロインでありたい。老若男女問わず血沸き肉躍るような熱いバトルを作りたい!


 そのためには空野さんの協力が欠かせない。あひる野市で仕事していることがカッコいいと思える何かがあれば……。一発目の動画内容と共に考えることが増えてしまった。


 仕事量が増えてまた身も心も削られていくのは目に見えているのに、不思議と高揚感があった。

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