第2話 最後の春休み
わたし、森川里美がエルフと出会ったのは最後の春休みとも言える入職前のことだった。
実家から職場であるあひる野市役所に通えなくはないけど電車の本数は少ないし片道二時間弱かかる。往復で四時間だ。この四時間をまるまる睡眠時間に充てられるだけで生活の質はだいぶ向上する。
それに、わたしはあひる野に夢を抱いて入職するんだ。地元に比べれば不便でも愛着を持って生活したい。お父さんの反対を押し切ってアパートを借りた。
都心のマンションに比べればセキュリティに不安はあるけど、それはこの町が平和である証拠だと思ってる。
田舎の人が玄関の鍵を閉めずに出かけるのと同じ理論だ。
「さて、行きますか」
四月になればこんな風に気軽に遊びに行けなくなってしまう。一般企業に比べれば全然ホワイトだとしても慣れない職場、パワハラ上司、市民の皆様からのご意見によってわたしのメンタルは絶対にゴリゴリ削られる。
それを回復させるために土曜日はまるまる一日を寝て過ごして、日曜日は大好きな特撮を見たあとにゲームの世界にどっぷり浸って夕方くらいに後悔してそのまま月曜日の朝を迎える……自分の大学生活を振り返るとこうなることは目に見えていた。
いくら憧れの地といえど仕事は仕事。趣味の活動じゃない。抱いていた理想とのギャップに押し潰されるのは覚悟している。覚悟しているけど耐えられるとは言っていない。
だいたい入職したばかりの新人が脳内で思い描いている企画を通せるなんてこれっぽっちも思ってない。先人が適当に考えた雑なご当地キャラをPRしながら数年を過ごし、上がいなくなったらいよいよわたしの番。
夢を叶えるための我慢の時期がもうすぐ始まるに過ぎない。過度な期待は非常な現実に苦しむだけ。常に最悪の事態を想定して動けるのはわたしの長所だ。備えあれば憂いなし。
だけどそれは短所でもある。いつも悪いことばかり考えてチャンスを逃してしまう。わたしを好きだと言ってくれた男の子の告白を何かの罰ゲームだと思って断ったことがあった。彼は本当にわたしを好きだったみたいで、しかも同じ特撮ファン!
中学生になっても特撮好きでいてくれる貴重な存在だったのに、せめて友達くらいになれたらわたしの人生も違っていたかもしれない。
そんな彼と二年前に同窓会で再会したら特撮からは足を洗っていた。なのでもうチャンスはないと一瞬で悟り、こっそりと会場を後にした。
「みんな、あんなに夢中になってたのに」
他のことに興味を持つ気持ちは理解できる。わたしだって特撮以外にも趣味はあるし、おしゃれだってしたい。聖地巡礼をしているうちにものすごく限定的だけど地理や歴史にも詳しくなった。
いろいろなことに手を出すけど特撮への愛は変わらない。
「考えても仕方ない。我が覇道を進むのみ」
電気を消してガスの元栓を締めて、最後に玄関の鍵を掛ける。実家暮らしの時だって最後に家を出る時は当たり前にしていたことが、毎回のルーティーンになったことが少し寂しかったりする。
誰も見送ってくれない。帰ってきても誰もいない。それがこんなにも心細いことなんて今日まで知らなかった。
平日は仕事、土日は自由。そんな風に考えていた自分がバカみたいだ。一人暮らしを初めてようやく家族の存在の大きさを実感した。
「って、今日は楽しむって決めたんだから」
リュックを背負いなおして気合いを入れる。登山と言ってもそこまで険しい山ではない。地元の小学生が校外学習で登れる程度の小さな山だ。おにぎりと水筒、一応チョコも入っている。
最悪の事態を想定するわたしが調子に乗って立ち入り禁止区域に自分から入るとはとても思えないし、誰かに煽られて度胸試しをするはずもない。
だから絶対に遭難なんてしない。その自信だけはたしかにあった。
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