七日目:絶望の芽生え

 昼休みが終わる頃にはリリカは戻ってきていたようだった。退屈な授業が始まる。その一部、ときどき先生が変な動きをするのだけれど、誰も気にしていない。これが今までノンプレイヤーキャラクターとして生きてきたこととの違いだろうか。この世界がゲームである、と分かりながら見るとまた違った風景に見えるらしい。ハヤトはこんな世界で生きてきたのだろうか。

 授業が終わり、荷物を纏めていると、リリカが不安そうな面持ちでこちらに話しかけてきた。顔色が悪い。顔色がころころ変わって分かりやすい子だ、と思った。


「今日で最後……だよね、マキちゃん」

「そうだね。裏切り者を見つけないと終わりだ」

「見つけられるかな、裏切り者……」


 リリカはそんなことを言う。嗚呼、目の前の人間が裏切り者だと知ったら、その顔はどう歪むだろうか。それはとても可哀想な気がして、何も返す言葉が思いつかなかった。

 私が何も返さずにいると、リリカは私より先にスクールバッグを肩に掛け、歩き出してしまった。私はその後を追う。隣に並び立っても、リリカの不安げな顔は変わらなかった。

 文芸部に辿り着く。リリカは一瞬足を止めたが、小さく頷くと、一歩踏み出し、黒い空間へと消えていった。

 立ち止まった私の後ろから、上履きの足音が聞こえてくる。振り向けばそこには、少し背の高い男子が立っていた。


「最終日はこれからだね、マキ」

「……ハヤト、何もしないんじゃないの?」

「何もしないよ。ただ、マキとちょっと話したいなと思って」

「ゲームは大丈夫なの?」

「大丈夫だって。ヨルに少し時間を貰ったから」


 そう言ってハヤトは肩を竦めた。

 私としても訊きたいことはある。承諾すれば、ハヤトは隣の美術室へと足を運んだ。私もそのあとをついて行く。

 一歩、足を進めたところで思わずふらつく。地面が黒とフローリングで途切れ途切れになっていたからだ。黒いところには紫色の零と一が浮かんでいた。今まで私たちが普通に使っていたはずの美術室は、そんな継ぎ接ぎの先に、椅子が二つあるだけになっていた。

 ハヤトは振り返ると、あーあ、と他人事のように声を上げた。それからクスクスと笑う。


「この辺もちゃんと作られてないからさ。NPCだったオレたちにはちゃんと見えてたのにね」

「だから先生がバグって見えてたりしたんだ……」

「そうだね。今はいわばデバッグモード、他の人が見えてない景色が見えるのも当然ってことかな」


 ハヤトはくるりと椅子の周りで回って、すとんと座り込んだ。私はその向かいに静かに座る。

 さて、とハヤトが言う。彼は手を組み、にこりと人が良さそうな笑みを浮かべた。


「オレからも訊きたいことがあるけど。どっちから話そうか?」

「そっちからでいいよ」

「そうだなぁ……マキはさ、どうしてこんなゲームを始めようと思ったの?」


 さっそく困る質問だ。だって、ゲームを始めたのは私じゃなくて私を作った作者だ。もっと言えば、この世界はヨルのためにあるのであって、私のためにあるわけじゃない。

 私がそう答えれば、ハヤトは、うんうん、と頷き、人差し指を立てて手を動かした。


「質問を変えようか。マキはさ、どうしてこんなゲームを続けようと思ったの? ヨルはマキのお願いなら聞いてくれたかもしれないのに」

「ノーコメントで」

「えー? ノーコメント?」

「それを言ったらつまんないでしょ」


 ふーん、とハヤトは退屈そうに言った。

 人はときどき彼を「掴みどころが無い」と表現するけれど、それは違う。彼は明確に不機嫌になるし、明確に退屈になるし、明確に感傷的になる。そんなことを言う奴は本当のハヤトを知らない──そう思うのは、私が本当のハヤトを知っているからだろうか。

 ともかく、私からも聞きたいことがあるのだ。ハヤトが飽きる前に訊かなければ。


「訊きたいことが二つあるんだけど」

「ん? いいよ」

「一つ目。いつヨルに会いに行ってたの?」

「あー、アレだよ、マキがカリヤと組織票の話をしてた朝だよ。一人で行ったら変な空間に飛ばされて、びっくりしたよね」


 組織票の話をした日、確かにハヤトはその場にいなかった。まだ学校に来ていないのではないか、とヒイラギ君は言っていたが、そのときだったとは。

 だとすると、次に訊きたいことがさらに気になる。


「二つ目。ウヅキに入れたの、ハヤトだよね?」


 二日目のこと。全員が全員に一票ずつ票を入れれば平和に終わると思っていた私たちを混乱に陥れたのは、ウヅキに二票入ったことだった。隣の人に入れる、というルールから、リリカが入れることはできないはずだ。私も隣の人に入れた。そうすると、私以外の誰かがウヅキに票を入れたことになる。

 そして、それを考えついたのは、ヨルに会うよりも前の話だということだ。

 ハヤトはケラケラ嗤うと、そうだよ、と軽く言ってのけた。


「そうだよ」

「そうだよ、って……なんでそんなことしたの? やっぱ、裏切り者だから?」

「そうだなぁ……それもある。でも、単純に面白そうだと思ったからだよ」


 面白そう、そう言う彼に罪悪感の欠片も感じられなかった。まるで子供が石でアリを潰しているような、そんな感じだ。無邪気と言うべきか、邪悪と言うべきか。

 彼は嗤って続ける。それは彼の独白のような、独り言のようなものだった。


「オレさ、退屈だったんだよね。勉強がそれなりにできて、それなりに良い高校に入学できて、それなりに友達が出来て、それなりに親におべっか使って……でもそのうち、そんな繰り返しが嫌になった。そんなとき、小説っていう新しい趣味が出来てさ……そこに逃げるようになってた」

「だから成績悪かったんだ」

「酷いなぁ。まぁ、事実なんだけど」


 ハヤトは遠くを眺める。窓の外はサイケデリックな紫色の空が広がっていて、黒い雲がたなびいていた。夕日を隠すと黒い雲の周りが光って綺麗だった。


「外の世界のオレもそうだったんだろうね。いつからか刺激を求めるようになってた。ゲームとかもしてみたんだけどさ……でも、それでも足りなかった。この灰色の日常を、消費するように過ごすのには」

「それで、殺し合いに手を伸ばしたの?」

「そうなんじゃないかなぁ。オレにもよく分からないけど。でも一つ分かったのがさ──あのタイミングで皆を裏切ったら、最高に面白いだろうな、って」


 ハヤトの隠れた片目が奥でぎらぎらと赤く光る。その光に思わずぞくりとしてしまう。彼の表情は、興奮そのものだ。


「ミカン先輩を殺してしまったときから、気がついてたんだよ──凄い悲しいのに、なんだかわくわくしてたんだ。それでも凄く冷静だった。あの場で泣いたり笑ったりはしなかったけどさ、帰ってからじわじわと愉しくなっていったんだ」


 私は肯定も否定もしない。ただハヤトのことを見つめている。ハヤトは芝居がかった動きで続けた。


「それから、オレは裏切り者なんだ、って実感が湧いてね。あんなに死ぬのを怖がってるウヅキが死んだらどうなるだろう……って思ったんだ。結果は予想どおり、醜くって面白い足掻き方をしたよね」

「全部興味本意でやったんだ、あんたは」

「でも、マキだってそんなもんじゃない?」


 ハヤトは笑みを潜め、私を見つめる。その奥で光が宿っているのは確かだけれど、その温度が低くなったような気がした。


「退屈な日常に飽き飽きしてて、そんな中に現れたデスゲーム。内心わくわくしてたんじゃない?」

「……さぁね」

「非日常っていうのはこんなにも人を醜く変えるんだって、誰かの不幸が気持ちいいって、思わなかった?」

「後者は分かんないけど。前者の気持ちは分かるよ。皆々殺し合いのせいで狂ってしまった……私が大好きだった、文芸部員が」


 そうだ、皆々狂ってしまったんだ。ウヅキだって本当はちょっと辛辣だけど友達思いの奴だし、ヨザクラ先輩とマナミ先輩はもっと明るい人だった。カリヤだって変わってるけど嫌な奴じゃなかったし、ヒイラギ君はあんなに怖い奴じゃなかった。それに──リリカは人の死を見て目を輝かせるような、そんな人じゃなかった。

 リリカは確かに、シャーデンフロイデに目覚めていたのだ。目の前の狂人・ハヤトと同じように。

 それが私は、悲しい。


「私は悲しいよ。皆が死んでいくのも、皆が狂っていくのも」

「悲しいんだ」

「うん、悲しい。皆あんなに醜い人ではなかったから」


 でも、でも──私はその先を言おうとして、止めた。なんだかそれは、とてもつまらないような気がして。私はきっと、悲しそうな顔はしていない。

 ハヤトはしばらく黙っていたけど、唐突に、ぱっ、と笑い、席を立った。


「ま、オレの一人語りになっちゃったけど。オレはそんなわけで、マキのことを見守ってるよ」

「他の人はどうでも良いの?」

「他の人はー……うーん、どうでも良いかな。だってオレの推しキャラはマキだから」

「何それ」

「こんな争いの中でも醜く生き延びようとしないで、冷静でいるから。オレ、確かに醜い争いも見るけど、何より綺麗な人間が好きなんだ」


 綺麗な人間。私は本当に綺麗だろうか? 生き延びようと必死で他人を出し抜くことだって考えているのに。

 私が訝しむような顔をすれば、ハヤトは、はは、と乾いた笑い声を上げた。


「いやー、マキは綺麗っていうか、冷静なだけなんだろうね。まぁどっちでも良いよ」

「……私は醜くても生き足掻くよ。そっちのほうが──」

「うん、分かってるよ」


 ハヤトは立ち上がり、椅子に手をついて、にこっ、と笑った。私もそれにならい、立ち上がる。そろそろ時間なのだろう。

 美術室を出れば、そこは元の整合性の取れた世界だ。それでも、ここは架空の世界にすぎないのだけれど。

 空き教室の前に二人で立つ。開いた扉の向こうは虚無だ。一歩前に出した私の背中を、ハヤトが、ぽん、と押した。


「そうそう──ヒイラギには気をつけてね」

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