四日目

四日目:生きたがりの悪足掻き

 夜は早く寝たからか、体調は良くなっていた。勉強が進んだという安心感もあったのだろう。今日は早出らしく、母親はいなかった。代わりに弟がご飯を食べていた。

 弟はこちらを見るなり、おー、と声を上げた。


「顔色が良くなってる」

「え? そう?」

「それなら良かったんだけど」


 それだけ言って、弟はご飯を食べるのに戻っていった。私も隣に着き、ご飯と味噌汁に手をつけた。

 会話は無い。それでも、二人の間には緊張感は無い。私にとって、日常の中で二番目に落ち着けるのは、弟の前だ。

 ふと、思いついたことを話してみる。弟だったらまだ話が通じるだろう。私は彼に、多数決での組織票について話してみることにした。


「あんただったら、ゲームでの組織票ってどう思う?」

「組織票かぁ。ゲームの話だよね?」

「うん」

「アレだよね、途中で組織が壊れて上手くいかなくなるやつ」

「どうしてそう思うの?」

「だってさぁ、誰かしら組織の中に裏切り者がいるってのが定石じゃない?」

「なるほどね」


 確かに弟の言うとおりだ。組織票が男子たちにあるのだとしても、そこに裏切り者がいる可能性を度外視しているのが今の状態だ。さすが私と同じでゲームに詳しいだけある。

 どうしてそんなことを、と訊かれたが、とても殺し合いの話をする気にはなれなかった。要らぬ心配をかけたくはない。


「小説でネタにしてるだけ」

「そっか」


 彼は深くは問うてこない。そう、互いのプライベートにはあまり関わらないタイプなのだ。私にとってはそれが安心できる材料でもある。

 のんびりと準備をする──遅刻するんじゃないだろうか──弟を傍目に、私は急いで準備をした。今日の朝、ハヤトの進言で組織票について話す機会を与えてもらえるらしい。いつも乗っている一本前の電車に乗れば、少し空いていて座ることができた。懐から単語帳を出して勉強するだけの余裕はありそうだ。

 学校に着けば、まずはカリヤがいるクラスへ向かった。理系文系が混じっている珍しいクラスでもある五組に向かえば、そこにはカリヤとヒイラギ君が待っていた。ハヤトはまだ来ていないらしい。


「来たな、ツクヨミ」

「ハヤトは?」

「アイハラはなんか寄るところがあるから遅刻するって」

「まぁ、いつもどおりか……」


 それで、とカリヤが頬杖をついてこちらを見上げてきた。非常にムカつく。非難する言葉が口を突いて出てきそうになる。だが、それをなんとか呑み込み、冷静を装って話し始めた。


「私はあんたたちの戦術について理解したよ。その上で、賛同する」

「はぁ、つまり死にたくないと?」

「……死にたくはないし、合理的だと思ってるの」


 握った拳が震える。こんなこと言いたくないのに。カリヤなんかに頭を下げたくないのに。そんな気持ちを押し殺し、お願い、と言った。


「私も仲間に入れて」

「ほら、良いんじゃない、カリヤ。君の戦術は合理的だってさ」

「ヒイラギは黙ってろ。……ふうん、良いんじゃねーの? じゃあ、次の投票先を決めるか」


 ヒイラギ君は苦笑して橋渡しをしてくれた。カリヤは頬杖を解いて、真剣な顔でこちらを見上げた。さすが幼なじみだ、ヒイラギ君はカリヤを乗せるのが上手い。

 カリヤは指を二本出し、二人だ、と言った。眼鏡がきらんと光る。


「この作戦に入ってないのは、二人だ。マナミ先輩と、クルミだ」

「昨日の投票は、ここ三人と誰か一人が投票したから成立したわけね」

「まずはこの二人を処刑して、裏切り者を一人見つけ出す」


 私は苦い顔をしたに違い無い。リリカを処刑する、という言葉にだ。

 私には、確信めいた何かがある──リリカが裏切り者のわけが無い。だって、ウヅキの投票のときだって不正をしてはいなかった。私とリリカを除いた誰かがウヅキに投票したということになる。だから、彼女を死なせるわけにはいかない。

 どうにかして誘導しなければならない。そのためには、マナミ先輩を売らなくてはいけないことも、分かっていた。でも、リリカを死なせないためにはそれしか無い。


「だとしたら、今日はマナミ先輩で良いと思う。二人も知ってるとおり、リリカは裏切り者ではないから」

「『知ってるとおり』って何だよ、クルミが裏切り者の可能性だって無くはないんだぞ」

「でも、ウヅキ処刑のときに不正を働いた人はリリカ以外だよ。そこから探していったほうが良いと思う」

「……チッ、それも一理あるな……」


 上手く伝わった! 心の中でガッツポーズをする。これで、私とリリカが処刑されることは免れるだろう。今の私の目標は、私が死なないこと、そしてリリカが死なないことだ。これだけ守れれば、とりあえず大丈夫だ。

 ヒイラギ君は、分かったよ、とバニラ色の笑顔を見せ、私の参加を承諾した。

 話が纏まったところで、ハヤトがやって来た。もう始業五分前だ。あはは、と笑い、白い髪を掻くと、着席して私のことを見上げた。


「それで? 話は纏まった?」

「……うん。よろしく、ハヤト」

「こちらこそよろしくね、マキ」


 ハヤトの笑顔に胸騒ぎがして、唾を飲み込む。白い髪の話は、するべきだろうか? いや、まだ何も決まっていない。もしかしたら別の人の髪だということもあるだろうから。

 逃げるようにして教室へと戻った。待っていたリリカは、顔色こそ悪かったが、笑顔を浮かべられるくらいには回復していたようだ。桃色の笑顔が甘い香りとともに弾ける。


「おはよう、マキちゃん!」

「……おはよう。調子はどう?」

「少し良くなったよ……良くなった、なんて言っちゃいけないのにね……」

「良いと思う。自分が死ななかったことに、安心しても……」


 その感情は普通のものだ。私が読んできたデスゲーム小説だって、同じように自己保身に走っている。皆そして最後には思うのだ──他人の不幸は蜜の味である、と。私は今、そんな主人公の気持ちになっている。

 授業開始のチャイムが鳴る。席に着いて、授業を受ける。ホームルームでは当たり前のように空席一つを気にしない。日常の中に潜む非日常を、まだ誰も知らない。

 ちゃんとノートを取って、ちゃんとテストで点を獲って。そうすることが、私の心を落ち着けるのだった。


──でも、それって退屈じゃない?


 誰かが話しかけてきたような、そんな気がした。顔を上げても、その声の主はいない。

 私は再び黒板と睨めっこをして、ペンを手に取った。

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