三日目:イト引く会議
私も私で、小さな反逆をすることに決めた。どうやら、文芸部に寄るのがトリガーとなってあの謎の空間に飛ばされるらしい。だったら、ウヅキやカリヤがしていたみたいに帰宅するとしたらどうなるだろう?
荷物を纏めて、足早に教室を出る。部活動に向かう生徒たちと逆方向へ、逆方向へと向かって歩いていく。ようやく昇降口に辿り着いた、と思ったとき、不意に黒い影が私とすれ違った。振り返って鏡を見る。すると、そこには私ではない少女だけが映っていた。
黒く長い髪、黒い目、裂けそうなほど開かれた口。学校の制服ではなく、ラフな格好をしている。きゅるん、とその瞳が光る。
まさか。私はその少女を知っている。名前を呼ぼうとしたところで、彼女が口を開いた。
「──逃げられるとでも思ったの?」
その刹那、鏡が光りだして、私の視界を白で奪っていく。意識まで白く消えていくかと思ったところで、その眩しい光が消えていく。そして気がつけば、私は文芸部の入り口に立っていた。辺りを見回しても、非常口の光が灯っているだけで、外は暗く黒い。薄寒い空気が立ち込めていて、体が痺れるように震える。
大きな溜め息を吐き、文芸部の扉を開ける。椅子に座り、しくしくと泣いているリリカ。気まずそうにイヤホンを外すマナミ先輩。リリカに寄り添うヨザクラ先輩とヒイラギ君。すでに椅子にどっかり座っているカリヤに、私のほうを見て、ようやく来たね、と笑いかけるハヤト。
「皆待ってたよ。話し合いを始めよう」
「……ずいぶん平気そうじゃん、あんた」
「大丈夫じゃないよ? でも、醜い争いをするのが耐えられないだけだよ」
そう言って肩を竦めるハヤトに、私は呆れた。彼はいつもどこか他人事だ。自分の友人が死んでいたら、もう少し動揺しただろうか?
……いや、そんな思考は止めよう、まるでこの場を愉しんでいるみたいだ。
リリカの隣に座れば、リリカは顔を上げて、マキちゃん、と私のことを呼んだ。
「……もしかして私、死んじゃうのかな……」
まるでウサギが震えるような目でこちらを見つめてくる。その顔を見ていると、彼女を死なせるのは可哀想だとどうしても思ってしまう。それはやはり、文芸部に入ったとき、始めて出来た友人だからだろうか。
彼女を死なせてはいけない。でも、死なせないためには私が死ななくてはならない。私はなんて声をかけて良いか分からなくて、ただ背中を撫でることしかできなかった。神様がいるとするならば、どうしてこうも私に重荷を乗せるのか問いただしたい。葛藤にも似た感情で胸がいっぱいになって、顔を上げることができなくなっていく。
誰かが話し合いの開始を告げなくてはいけない。それがヨルであってほしいと、私はどこかで思っていた。だって、そうでもないとまるで私たちが自主的に殺し合いをしているようなものじゃないか。
誰もがヨルの声を待っているような、そんな感覚がした。誰もヨルのことなど、歓迎したくもないはずなのに。そしてそうやって待っている私たちを喜ばすように、ヨルの声が聞こえてきたのだった。
『御機嫌よう! 元気無いなぁ、キミたち。せっかく面白くなってきたところなのに!』
「会議を始めろ、ってことだろ? だったら黙っててほしい」
『カリヤマサユキ……ううん、皆ワタシを待っていたように見えたんだけどなぁ。まぁ、じゃあ始めちゃって!』
「僕は決定的な手がかりを見つけたんだ。裏切り者が誰かを見つける、大きな手がかりを!」
皆が息を詰まらせる。カリヤは不動だ。堂々としていて、恐怖一つも無いような顔をしている。黒い目を見開いて、ぎょろりと動かして、ヨザクラ先輩に向けた。
「ヨルの正体は、ヨザクラ先輩だ」
「えー……え、じゃあ、ナナコちゃんがヨル、ってこと……? でもそれっておかしくない?」
マナミ先輩が辺りを伺うようにして声を上げた。ヨザクラ先輩は膝の上で手を合わせ、じっとカリヤのことを見つめる。
「……わたしはここにいるよ?」
「そうだよー、ナナコちゃんはここにいるし、どうやってヨルと結びつけてるの?」
「それは分からないけど、絶対共謀者がいる。その共謀者が誰かは分からねーけど……この中でヨルに関わりがあるのは、ヨザクラ先輩なんだ」
「証拠が無いじゃない、ヨザクラ先輩を詰める理由が」
私が口を出せば、カリヤの目は今度こちらへと向けられた。膨張した黒い目と目が合う。私は咄嗟に目を逸らした。
「お前、さては部誌をまともに読んでないな?」
「部誌……? 部誌に何の関係があるわけ?」
「ヨザクラ先輩のペンネーム、忘れたのか?」
私の言葉に切り込むように鋭く早く言葉が放たれる。その話を聞いて黙っていたリリカが、あ、と声を上げた。
「ヨザクラ先輩のペンネームって、『夜桜』だよね……? 確か、本名と同じって……」
「ヨル、って言葉が入ってるだろ? ヨルは自分の名前から取ったんだ!」
「ちょ、ちょっと待ってよー。そんなことでナナコちゃんを疑うなんて、そんなの──」
「じゃあ、他に手がかりを持ってるんですか? 持ってないですよね?」
「そ、それは、そうだけどさー……」
マナミ先輩が肩を落とす。ヨザクラ先輩は俯き、黙り込んでいた。もともと寡黙なタイプだから、こういうときによく喋らないのは自然だ。でも今の状況では、言い詰められて降伏しているようにも見えなくはない。
ペンネームで被疑者を決めるなんて、なんて薄いんだろう。だが、この状況で何か言い返すことはできない。私はスカートの中の髪飾りを握り締めた。
ヒイラギ君が賛同する。いや、賛同せざるを得ないのだろう、自分が殺されたくないから。
「この変な空間が何なのか、共謀者が誰なのか……それは分からないけれど、疑うに値するヒントではあると思う。これだけ女子がいるんだから、その中に一人裏切り者がいてもおかしくはない……」
「これだけって、もうこちとら二人もいなくなって同数に近くなってるんだよ。しかもどちらも裏切り者じゃないし」
「なんだよ、ツクヨミは僕に反対するのか? じゃあ誰が怪しいんだ?」
カリヤに言われて、私は閉口する。誰が怪しいのかは分からないし、確かにもう一人の裏切り者はヨザクラ先輩かもしれない。その場合は守るべきだろう。かといってここで黙れば、私も纏めて疑われるかもしれない。もう一人の裏切り者が誰かなんて、分からないのに。
口を閉じたのを見ると、彼は満足したのか、ふん、と鼻を鳴らした。決まりだな、と言い足して。
「ヨザクラ先輩、僕らに何を隠してるんだ? 共謀者は誰なんだ?」
「……わたしは裏切り者じゃないよ。わたしは……放送室にあった、赤い髪飾りが怪しいと思う」
「赤い髪飾りィ?」
ヨザクラ先輩の言葉に、カリヤが眉を上げる。カリヤは放送室にはやって来なかったはずだ。続けてヒイラギ君がフォローを入れる。
「俺たち、昼休みに放送室に行ったんだ。そしたら、赤い髪飾りと手紙が置いてあって……」
「何だそれ、聞いてねーぞ」
「カリヤは来てなかったからね。手紙には、『裏切り者は一人で来るように』と書いてあったんだよね」
ハヤトが続きを言えば、はっ、とカリヤが顔を上げ、またヨザクラ先輩を睨みつけた。ヨザクラ先輩は自分の三つ編みを弄りながら、目を斜め下へ向ける。
「放送室探索を決めたのは、ヨザクラ先輩……!」
「そう言われると……そうだね。もしかして、裏切り者へのメッセージだったのかも?」
「ヨザクラ先輩はただ皆を纏めたかっただけだと思う。カリヤ、あんたはヨザクラ先輩を疑いたいがために限られた情報を結びつけてるだけだよ」
「さっきからツクヨミはそればっかりだな。ヨザクラ先輩を庇ってんのか?」
しまった、悪手だった。私はまた黙り込んだ。
きっと心の底で、ヨザクラ先輩が裏切り者だと思いたくないのだろう。ヨザクラ先輩ほどに優しくて一生懸命に皆を纏めてくれているような人を死なせたくないのだろう。罪悪感、だろうか。こうやって詰められているのが可哀想だし、理不尽だと思う。
堰を切ったように、マナミ先輩が口を出した。
「そうだとしても、あたしはナナコちゃんを疑えないよ……」
「マナミ先輩……わ、私は……どうしたら……」
「何を迷ってんだよ。今投票するとしたらヨザクラ先輩だ! たとえそうじゃなくても、そうなるんだよ!」
「そうなる……って、どういう意味?」
ヨザクラ先輩が目を上げる。カリヤの意図を汲もうとしているのだ。
それを遮るように、マイクのハウリングの音が入ってきた。会議終了の合図だ。ヨルは咳払いをすると、しゅーりょー、と緩い声で言った。
部員たちは黙り込み、スピーカーを見上げた。
『はい、話し合いは終わり! それにしてもカリヤマサユキ、キミはずいぶん自信ありげだね!』
「ふん、話し合いが終われば分かることだ。裏切り者はヨザクラ先輩で、選ばれるのもヨザクラ先輩だ」
『へー、何か良い方法を見つけたんだねー。まぁキョーミ無いけど。それじゃあ投票、いってみよう!』
スマートフォンでNO TITLEをタップすれば、昨日まで見てきたような投票画面が出てくる。ミカン先輩とウヅキの写真はモノトーンになっていて、赤いバツが書かれている。気味が悪い。
私は誰に入れれば良いのか……悩んだ挙げ句、カリヤを指名することにした。ヨザクラ先輩が裏切り者である可能性がある以上、身内切りはできない。それに、投票先はクローズドなのだ、一人くらい選んだって何とかなるだろう。
マナミ先輩は周りを見回し、まさかナナコちゃんを選ばないよねー、と不安そうな声で言った。リリカも私も、口を開かないでいることしかできなかった。ヒイラギ君とハヤトも黙っている。
静かな時間が続く。集計中、の文字が消えたとき、皆、弾かれるようにスマートフォンに手を伸ばした。
スマートフォンに、集計完了の文字が現れたとき。誰かは希望を、誰かは絶望を、誰かは期待を、誰かは安堵をもってスピーカーへ目を向けた。
『今回の最多票は──うん、ずいぶん拮抗したけど、ヨザクラナナコだよ!』
ヨザクラ先輩はスマートフォンを片手に握り締め、立ち上がる。逃げようとしたのか、歩み寄ろうとしたのか──瞬きをしたときには、地面に崩れ落ちていた。びくり、びくりと手先が痙攣していたが、それも止むと、天を見つめていた目は床へと逸らされた。
マナミ先輩が駆け寄っていくが、ヨザクラ先輩に触れることもできず、手を引っ込めてしまった。画面にこんな文字が表示されたからだ──「残念! 裏切り者ではありませんでした!」。
カリヤは目を見開き、その表示を見た。だが、取り乱すことも無く、ふう、と安堵の息を吐くだけだ。死を悲しむどころか、まるで計算どおりだとでも言いたそうだ。
悔しいけれど、私も同じ気持ちだった。ヨザクラ先輩が可哀想、それは正しいのだけれど、舌を満たしたのは乳白色の甘い安心感だった。
……これで、裏切り者である私もこのゲームを生き残りやすくなる。
カリヤの目がぎらんと光った、そして、私とマナミ先輩、リリカに向けられた。彼の言葉に、私たちは思わず息を呑んだ。
「いいか、明日からはそっちから処刑していくからな。拮抗したってことは、どうせお前らが僕に入れたんだろ!」
「……え? そ、それ、どういう意味?」
「駄目だよ、脅したりなんかしたら……でも、これは本当。まだそっちに裏切り者がいるかもしれないし」
マナミ先輩の顔が凍りつく。ヒイラギ君は優しく温和な口調だったが、カリヤを擁護している。
言い返せる人は私しかいない。一人黙っていたハヤトが薄く笑って答えた。
「裏切り者がいるのはそっちのほうかもしれないのに?」
「うーん、まぁそうなんだけど……でも、そっちにいるほうが多いかな、と思って。だからほら、こういうことだよ──」
ハヤトは白く長い前髪の下で、隠れていた赤い目をぎらつかせて嗤った。
「──組織票、って知ってる?」
……その言葉を最後に、意識が切り取られ、黒に染められた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます