三日目
三日目:黒幕の残した髪飾り
ハヤトとの通話があったからか、朝の寝覚めはさほど悪くなかった。けれど、昨日無理に食事を入れたせいか、胃がきりきりと痛む。胃薬を飲まねば。
下に降りていけば、母親が弟に小言を言っていた。テスト前なのに友達と遊んでるなんて、そんな話題だ。また胃が痛む。
薬を探していれば、母親に目敏く見つけられ、どうしたの、と声をかけられてしまった。
「え? いや、ちょっと胃が痛くて……」
「大丈夫なの? 朝ご飯食べれる?」
「えーっと……今日は……いや、食べるよ」
「そう。マキもテスト二週間前なんだから、ちゃんと勉強しなさいよ。前回の数学のテスト、平均点よりちょっと上くらいだったんでしょ」
目を細め、苦い顔をする。それでもすぐに笑顔を作り、分かったよ、と答えた。
テストの点は全て把握されている。それは弟も一緒だ。弟はウヅキと同じで器用なタイプだから、勉強なんてしなくても多少点が獲れてしまうけれど、私は勉強をしないと点が獲れないタイプだ。今の成績を守るなら、そろそろテスト勉強を始めなければ。
「姉ちゃんは点獲れてるんだからそこまで責めなくて良いじゃん」
「二学期はどうしてもたるみがちなんだから、ちゃんと言っておかないと」
嗚呼、無色だ、と思う。何の面白みも無い。弟が擁護してくれるのは嬉しいけれど、母親はまさに優等生の母親といった様子だ。ここに父親がいても同じだろう、険しい顔で、良い点を獲って推薦入試をしろだとか言うのだ。確かにレールに乗った人生は幸せだろうけど、それではつまらないような、そんな気さえする。
食べる気が起こらないけれど、そんな言い争いを聞きながら食事を口に詰める。食べたくない、けれど、食べなくてはいけない。ウヅキの死体のことなど、つまらない言い争いのことなど、考えてはいけない!
私は立ち上がり、ごちそうさま、と言うと、食器をキッチンに運んでさっさと洗って、自室へと戻った。こんな状態でも、学校には行かなければならない。ウヅキが生きているかどうかを確かめるためにも、だ。
家を飛び出し、イヤホンを付ける。今日も電車がやってくる。迎えたくなかったはずの朝が、始まる。
◆
学校に着けば、依然顔色の悪いリリカが待っていた。彼女はクラスの端で、小動物のように青く震えている。私が寄っていけば、おはよう、と震える声で言った。
「……おはよう」
「……さっき、クラスの皆に聞いたんだ……リオちゃんのこと。だけど……誰も知らなかった。そんな子、いないって言ってた」
「先生が来るまで待とう。そこで判断しよう」
他の生徒に話しかけられるだけ、リリカは社交的だといったところか。私だったらできないだろう。しかも、そんな変な──普通だったらしないような質問をするなんて。
私はあまりにも可哀想になって、リリカの背中を擦った。大丈夫、と言う言葉は私自身にも向けられている。ウヅキはとても親しい友人だったかというとそうではなかったかもしれないけれど、だからといって悲しまないわけでもない。いや、悲しみとは程遠い感情かもしれない。
つまるところ、こういう気持ちがあるのかもしれない、ということだ──自分じゃなくて、良かった。小さく甘美な安堵だ。きゅっと詰まった心臓が、緩く脈打つのを、安心して聞けるということだ。
チャイムが鳴り、ホームルームが始まる。欠席者は──いなかった。机が一つ空いているのを、先生は気にも留めなかった。
リリカが震える手を挙げる。先生、と言えば、先生は不思議そうな顔をして彼女を見つめた。
「あの、あの席に座ってるのって──」
「あれ、どこかから机持ってきたの? 持ってきた人は元に戻しておいてくださいね」
はい、と答えて、リリカは着席した。まるで空気が抜けた風船のようだった。
舌の上に酸っぱい感触が広がる。嗚呼、本当にウヅキは消えてしまったのだ。そして、ミカン先輩も同じように──
リリカはふらりと立ち上がると、保健室行ってくるね、と言って教室を出て行ってしまった。私も、うん、と不明瞭な返答をして、席に座っていることしかできなかった。
一時間目が始まる。私はノートを開き、教科書を置いて、ペンに手を伸ばした。もう、そうするしか無かった。何かを考えないでいるには、それしか無かった。
なんと「優等生」なんだろうね、と心の中の自分が嘲笑っているような、そんな気がした。
◆
昼食の時間になって、私は一人弁当箱を開けた。食事を残すわけにもいかないので、重い手を動かしてご飯を口につける。
リリカは結局早退してしまった。それも仕方無いのだろう、幼なじみが死んだのだから。そのため、私は一人で昼休みを過ごすことになっている。それ自体は別に寂しくはないのだが。
ご飯を何とか食べ切り、あと半分休み時間が残っているというところで、文芸部のグループに動きがあった。ヨザクラ先輩の投稿だった。
──皆で放送室に行ってみない? 何か手がかりがあるかもしれないよ。
放送室、と聞いて、真っ先に思い浮かぶのは昨日の話を思い出す。ハヤトが提案したのだろう。
何人が来るかは分からないけれど、信頼関係が崩れつつある今、団結することは大切だろう。私は弁当箱をしまい、放送室へと向かった。
放送室にいたのは、ヨザクラ先輩とマナミ先輩、そしてハヤトとヒイラギ君だった。ヨザクラ先輩の隣で、マナミ先輩はイヤホンを付けて音楽ゲームをやっているようだ。ハヤトはヒイラギ君の隣でへらへらと笑っている。その中でも、ヒイラギ君は鍵を持っていた。先生に借りてきたらしい。
「どうやって借りたの、その鍵」
「生徒会で使うから、って言ったら貸してもらったよ」
「生徒会って相変わらず便利な肩書きだなぁ……」
私の言葉にヒイラギ君は、リングの部分に指を通し、まぁね、と言ってくるくると回した。少し得意げな顔をしている。
ヒイラギ君が開けてみれば、そこには誰もいない。放送部員の放送が無い日だからだろうか。放送室は小部屋になっていて、机の上には袋詰めのお菓子が入った皿が置いてあった。まったく自由である。辺りを探しても、CDの類やプリントの類しか無い。無駄足だったかもしれない。
あまり部屋中を掻き回すのも失礼に値するので、十分前になって私たちは諦めることにした。そうして帰ろうとしたとき、マナミ先輩が、あ、と声を上げた。
「何か手紙? みたいなのが置いてあるよー」
それはプリントを纏める棚の上に置いてあったもので、見えづらい場所にあった。紙と一緒に赤い和風な髪飾りが置いてある。紙を手に取って読んでみれば、そこにはカクカクした文字でこう書かれていたのだった。
──御機嫌よう、文芸部諸君。この手紙を読んでいるってことは、放送室までご足労いただいたのかな? 残念だけど、裏切り者以外に興味は無いんだ。どうしても会いたいなら、裏切り者は一人でおいで。それでは、また今夜お会いしましょう!
私は皆が手紙を見ている間に、赤い髪飾りをそっとポケットに滑り込ませた。
手紙の最後には「ヨル」と書かれている。確かにヨルが書いたものらしい。最初団結して少し明るいムードになっていた私たちだったが、裏切り者と書かれた文字に再び暗くなるのだった。
ヨザクラ先輩が、皆戻ろうか、と言う。おっとりとした口調だが、残念そうなのが滲み出ている。ヒイラギ君は鍵を締め、戻りますね、と言ってハヤトと一緒に帰っていった。
マナミ先輩はまたスマートフォンを手に取り、ゲームを始める。ヨザクラ先輩が申し訳無さそうに眉を下げ、ごめんね、と言った。
「いえ、良いんです」
「そういえばなんだけど……あの、赤い髪飾りって、どこにやったっけ?」
「赤い髪飾り……分からないですね、二人がどこかに持っていったんじゃないですか?」
「そっか……返してもらわないとね。手がかりになるかもしれないし」
心臓が一瞬跳ねて、止まるかと思った。けれどもヨザクラ先輩は、こともなげにマナミ先輩と一緒に踵を返した。
そっとポケットにしまった髪飾りを手に取る。可愛らしい和柄の髪飾りだ。おそらく髪を留めるのに使うのだろう。ピンには一本、白い髪が挟まっていた。
……白い髪?
白い髪なんて、見る機会は早々無い。白髪ならば、壮年の人間であるか、それとも──アルビノであるか、だ。
嫌な予感がする。私の脳裏に過ったのは、赤い瞳を細めた笑顔をした、ハヤトのことだった。彼は生まれつきのアルビノで、私たちのような黒や茶の髪をしておらず、赤い瞳をしている。しかし、彼がこんな可愛らしい飾りを付けるだろうか……
誰かに見られる前にまたスカートのポケットに突っ込み、予鈴を聞いて足を進めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます