二日目
二日目:犠牲者は失踪する
寝覚めは悪くなかった。朝六時、まだ体が重いけれど、準備をしなくてはならない。毎日毎日、この時間に起きては、降りていってお腹に入らない朝ご飯を口に詰める。この繰り返しはよほどの体調不良じゃないと変わらない。だって、学校は行かなくてはならないから。
リビングには、今日も私にとっては少し多い量の朝ご飯が待っていた。弟はまだ降りてきていないので、母親が叱りに上の部屋へと向かっていった。朝から煩いけれど、これが毎朝行われれば嫌でも慣れてくるものだ。
ご飯粒一つ残さないで朝食を食べ尽くし、歯磨きをして、制服を着て。いつもどおりの駅に着いて、学校へ向かう。いつもどおりの人だらけの電車に乗る。イヤホンで蓋をして、人の声を掻き消す。皆死んだ顔をしているし、きっと私もそうだ。
学校に辿り着けば、ウヅキとリリカが教室で待っていた。ウヅキは普段どおり何かのソーシャルゲームをやっていて、リリカは彼女が話す話に頷いて返していた。もうすっかり見慣れた光景だ。最初こそこの関係はどうなのかと思っていたけれど、二人が幼なじみと聞いてからあまり何も感じなくなった。
リリカがこちらに笑顔で、おはよう、と言ってくる。相変わらずヒマワリが咲くような明るい笑顔だ。逆にウヅキは画面から目を離さないまま、おはよう、とリリカにならった。
「おはよう」
「今日からテスト二週間前とか信じらんないよね、ホント」
「だ、大丈夫! 私はちゃんと勉強し始めてるから!」
「リリカの言う『大丈夫』は大丈夫なんだよね。ウヅキもちゃんと勉強始めたほうが良いよ」
「適当にやってれば落第はしないでしょ。というか、一番頭が良いマキに言われるとなんか複雑」
ウヅキは長い前髪の下からじとりとこちらを見た。
言うとおり、ウヅキは大して勉強しなくても中くらいの成績を獲ってみせる人なのだ。ちゃんと勉強しないと点数が獲れない私からすれば羨ましくもなる。一方のリリカは努力家な秀才で文句無しなのだが。
とりあえず、いつもどおり会話が成り立つようで良かった。やはり、昨日のことは夢だったらしい。普通に授業が始まって、普通に退屈で、終わったら文芸部に寄ろう。そこでミカン先輩に奇怪な夢の話をして、物語を組み立てていこう。
そんなことを考えながら迎えた昼食の時間、一つのメッセージが私の平穏を崩した。
──誰か、ミカンちゃんのアカウント知らない?
ヨザクラ先輩からの連絡だった。ぞわり、鳥肌が立つ。忘れようとしていたことを掘り返されて、一気に顔から血の気が引いた。
リリカとウヅキも同時にスマートフォンを開いた。メッセージを見たらしいリリカが口を開く。
「え……ホントだ、ミカン先輩のアカウントが……無い……?」
「SNSにも浮上してないみたいで」
「……ミカン先輩のことだから病んでアカウント消したんじゃない?」
ウヅキの一言に、ぎこちなくリリカが、そうだね、と答える。そう、ぎこちなかった。さらに言えば、ウヅキの一言も溜めて出されたものだった。
一抹の不安がありつつも、ウヅキの一言に救われる。ミカン先輩は感傷的で苦労人なところがあるから、無くはない話だ。常に体調不良、常に不安定なところがあるのが悪いところでもあると思う。
弁当箱を開き、いつものようにくだらない話でもしながら過ごそうかと思っていた私たちに、追撃が来た。それは、マナミ先輩からのものだった。
──ミカンちゃん、学校にいないことになってるんだけど……
学校にいないことになっている? それはどういう意味だ?
三人で顔を見合わせる。最初はその意味を理解できなかった。欠席したということなら、よくある話だ。
私が連絡を返すことにした。リリカとウヅキの顔が強張っているような気がした。
──欠席ってことですか?
──違うの。名簿にそんな生徒は載ってないって言われたの。
スタンプまで付けてふざけて送った連絡に対して、ヨザクラ先輩は真剣なトーンで返してきた。それから、こうも送ってきた。
──皆、昨日のこと覚えてる?
カラン、リリカが箸を落とした。ウヅキが、ひっ、と小さい声で悲鳴を上げた。昨日と同じ反応だ。
私はそれで察した──皆、同じ現象に遭っている。夢じゃない。きっとこれは──
「う、うち、帰る……!」
「ちょっ、リオちゃん!?」
「うちは何にも知らないから! リリカもなんにも知らない! いいね!?」
ウヅキがそう言って立ち上がる。周囲の視線を集めたのに気がつくと、ばっ、とリュックを背負って教室を抜け出してしまった。リリカはそんなウヅキを追いかけるようにして教室を出ていく。私一人、取り残された。
まだ少しも食べていない弁当箱に手をつけようとして、止めた。つけられないのだ。手が震えて、どうしようもないのだ。
ミカン先輩が、忽然と消えた。まるで最初から世界に存在しないかのように。その理由は、昨日のゲームだ。
グループのメッセージは続いている。男子たちによるものだろう。通知が鳴り止まないが、私はそれを見る気になれなかった。
膝ががくがくと震える。スマートフォンが手から滑り落ちる。それを拾おうともできなかった。おとなしく弁当箱を閉じて、自分の席で顔を伏せた。傍から見たら私は寝ているだけだと思われるだろう。指先が震えているということを除けば。
私は、とんでもないことをしてしまった。私の一票が、ミカン先輩を消してしまった。もちろん、多数決だから私一人の責任ではないということは分かっている。そうだとしても、あのミカン先輩を、物語を楽しそうに読んでくれた先輩を殺してしまったかもしれないのだ、しかも自分の手で。
ぐるぐると考えているうちに、授業開始五分前のチャイムが鳴り響く。私も帰ってしまおうかと思ったけれど、ここで帰ってしまったほうが気が狂いそうだとも思った。授業を受けて、ノートを取る時間は無になれて楽になれるだろう。
リリカがふらふらと帰ってきて、自分の席に着いた。非常に顔色が悪い。私と同じ選択をしたのだろう。ウヅキは結局、その後も帰ってこなかった。
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