一日目:帰ってきた日常

 ばちっ、と意識が戻ってくる。気がつけば私は自分の家の前に立っていた。心臓が嫌に煩い。スマートフォンを確認すれば、夕方の七時。少し遅いくらいだ。

 さっきの光景は何だったのだろう──何か信じられないものを目にした気がした。とにかく元の世界に戻ってきたのだ。

 鍵を開けて入れば、夜ご飯の良い匂いがした。けれど、食べる気にはなれない。気味の悪い空間に、気味の悪い声の男女に、気味の悪いゲーム──そして、ミカン先輩の死体。そのどれもが、事実だった? いや、悪いほうに考えるのは止めよう。やけに現実味を帯びた何かだったと、そう考えることにしよう。

 自室に上がって荷物を下ろしていれば、母親に呼ばれる。重たい腰を上げてリビングへと向かった。母親は私を見るなり、あれ、と尋ねてくる。


「顔色悪いんじゃない? というか、遅くなるなら連絡くらいしてよ」

「え? あー……いや、大丈夫。ごめんなさい」

「夜ご飯作ったから。ちゃんと食べなさいよ」

「あぁ、うん」


 いつもどおり、しっかり栄養を考えられた夕食だ。漬物、ご飯、味噌汁、魚。弟はもうすでに席に着いていて、遅いね、なんて言う。私はその隣に座って、箸を手に持つ。

 箸が少し重い。あの変な空間の影響か、ご飯を食べる気が乗らない。それでも残すのは申し訳無いので、なんとか口に突っ込んだ。飲み下すたび、心の中で疑念が渦巻く。

 もし、本当だったら……?

 嫌な考えを払拭するように首を振り、最後の一口を食べる。ごちそうさまを言えば、キッチンにいた母親がこちらに顔を出した。


「そういえば、二人ともテスト前なんだから。ちゃんと勉強しなさいよ」

「はーい」

「……はい」


 弟は適当に挨拶をすると、すぐにスマートフォンを持って上がっていった。弟はこういうとき、適当にかわすのが得意だ。「優等生」を求められることは分かっているようで、それでも「それなり」で生きている。私はどうしても退屈な「優等生」になってしまうから、そういうところが羨ましい。

 母親にあの空間についての話をしようとして、止めた。誰がそんなことを信じてくれるだろう。そもそも、母親はミカン先輩のことを知らないのだから、話しても無駄なのだけれど。

 とりあえず自分の部屋に戻って、スマートフォンを手にした。ミカン先輩に連絡をとろうとして、妙なことに気がつく。

 ……ミカン先輩のアカウントが、無い?

 普段連絡する用のアカウントも無ければ、SNSのアカウントも無い。そんなアカウントは存在しない、と表示されるだけだ。

 手先が冷たくなる。まさか、ミカン先輩が消えた?

 そうしていると、いつもの三人のグループに連絡が来た。リリカとウヅキが何かを話している。


──テスト範囲ってどこだっけ?


 そんな当たり障りの無い話だった。リリカがすぐに写真を送っていて、ウヅキは、ありがとう、と返信をしている。

 そのやりとりを見て、私は胸を撫で下ろした。嗚呼、愛おしい日常だ。さきほどまでの不安がそっと消えていく感覚がする。あれはただの変な夢。あまりにも疲れすぎていて見た嫌な幻覚だ。

 そう思うと、不思議と眠気がやってきた。本当はテスト勉強をしたかったけれど、体が疲れて重たい。今日は眠ろう。布団に抱き締められて、あっという間に眠りに就いた。

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