第6歳 -9月- (1)

 コインには表が在れば裏が在る。天候にも昼が在れば夜が在る。世界には光が在れば影が在る。

 それは社会にも同じことが言える。



 裏社会にいる彼等は虎視眈々と躊破を狙う。

 向日葵組の一件。理由はどうであれアレは宣戦布告として見ていいだろう。

 由緒正しい家系の躊破クンは泥に塗れた裏社会の恐ろしさを知らないのだ。可哀想に。だが、親からそういうことを学ばなかった躊破クンが悪い。





「殺してくれ」




 その客は血走る目に有りったけの憎悪を乗せていた。暗殺者は依頼者の関係を探るのはNGだが、これだけの負の感情を目の当たりにしてしまえば向日葵組の件かと勘繰ってしまうのは当然だろう。


 ともかく、客からの依頼だ。対象は今年で6歳の躊破クン。世の中は物騒になったものだなあ。



 銃殺。毒殺。絞殺。圧殺。撲殺。轢殺。エクセトラ...


 手元には色々な殺し方がある。さてどれを使おうか。


 そうだなあ。有名人を殺すのに、毒殺は適さないだろう。躊破は警察にも顔が売れているから、重要な事件として扱われるだろう。そうすると、私や依頼主の迷惑となりかねない。最近の警察を舐めちゃあいけない。

 やはり、一番のは轢殺ということになるのかなあ。事故と見せかけての轢殺。犯人なんぞお金を出せばなんとかなるからなあ。


 決まれば後は計画に移すだけだ。



 ◆



「かんきょうおせんはよくないぞぉー!」

「何言ってるの、おにぃ」


 躊破ちゅっぱの言に返すは花美露かびろ。躊破とは1歳しか違わない、躊破の妹だ。


「ほら、息しちゃいけないんだよ!息にはシーオーツーがふくまれてるんだって!」

「息しなきゃ死んじゃうでしょ!黙ってついて来て!」


 花美露の方が姉、いや、花美露の方がお母さんと言っても過言ではないだろう。何故か花美露の方がしっかりしている。やはり主人公が持つべきモノはしっかり者主人公と対極義妹いもうとなのだろうか。


「ついてんのは分かってんだあー、姿を表せー」

「端に行って何やってるの!私から離れないで、おにぃ!」

「かっこいいだろー!テレビでやってたんだー」

「そんなのいるわけないでしょ!ふぃくしょんって言うんだよ!」


 そう言って花美露は溜息をつく。花美露が大人になったのは躊破のせいかもしれない。



 今、この二人は親からお遣いを頼まれている。暁美は花美露がいるなら安全だ、と送り出した。

 任務はお菓子の購入。3時に食べる自分達用のお菓子だ。自分が好きなものを買おうと躊破は意気込んでいた。

 5分ほど歩いて、道路を挟んだ向かい側に駄菓子屋さんがある。やっとこさ見えた駄菓子屋さんは躊破の危機感を曇らせる。


「やっとついたー!」

「待って危ない!」


 花美露が止めようとした時にはもう遅い。躊破はもう道路にいる。どうやら周りを見てなかったらしい。飛び出しは事故の元だ。そんなことをしたら、いつものように躊破に危険が及ぶ。花美露は左を振り向いて絶句する。


 トラックが躊破に襲い掛からんとするのが見えたからだ。


 花美露は咄嗟に叫ぶ。


「おにぃっ!!!」


「ん?」


 一拍置いて躊破は反応する。そして、その場に立ち止まり、花美露の方へと振り返ろうとする。



 聡い花美露は直ぐに失敗を悟る。


 “自分が”声をかけたおにぃはその場に立ち止まった。丁度トラックの通り道。確実に当たる。自分のでおにぃが死んじゃう。


 思い出の走馬灯が駆け巡る。

 無視なんかしなかったおにぃ。ずっと近くにいたおにぃ。ずっと笑ってくれるおにぃ。一緒に遊んでくれるおにぃ。

 辛い時に手を差し伸べてくれたおにぃ。


 そんなおにぃがいなくなってしまう。



 



 “自分が”悪いんだ。自分ので皆いなくなっちゃうんだ。自分のでお父さんが。自分のでお母さんも。自分ので今度はおにぃも。全部全部全部自分の


  私は要らない子なのかな……。



 世界が見せる無情な現実。

 五歳児が抱えるには相応しくない現実。


 誰から見ても、花美露は悪くないとは分かる。

 だが、賢い花美露はそう思わない。


 身の丈に合わない負の感情は小さい身体、一身に背負い、塞ぎ込む。



 目の前をトラックが通り過ぎる。


 通り過ぎた後には無惨なシタイが────




























────なかった。


 そこに在るのは躊破の生きている姿だった。



「いてくれてありがとう」


 この言葉は一つのカイトウ。

 堰を切ったかの様に涙が溢れ出る。



 滲んでいる躊破は困ったような、それでいて全てを受け入れてくれるような温かい笑みを浮かべていた。






 この事件をキッカケに花美露には一つの感情が芽生える。

 幼いながら、芽を宿した花美露はその芽を育んでいく。



 花美露がこの感情に気付くのはもう少し後のお話。





 ◆





「は?」


 思いがけず素を出してしまった。暗殺者としては禁忌タブーだが、それは仕方ないだろう。幾許いくばくかの時間が経った今でも信じられない。何気なく歩道橋の上で観ていたのだが、その光景は直接見た今でも疑ってしまう。


 手管は完璧だった。一流の暗殺者は痕跡を残さない。皆の腑に落ちる様に殺すのだ。


 事前の情報で躊破クンはおやつで「白雪煎餅」を必ず食べることを知っていた。なので、例の白雪煎餅を扱う駄菓子屋をチェック。そこで張り込みをしていた。


 そして、躊破クンの母、龍凰院 暁美がしばしば訪れる店を把握した。それに加えて、その店の前の通りに依頼主の息がかかった運送屋のトラックが度々通る事に気付く。どうやら車庫が近いらしい。

 これは使えるなあ、と思っていた。


 近年、過労が問題となっている。運送業の人手が足りていないということも一般的に知られている。

 運送業界の人手不足にる過労。

 過労にる居眠り運転。

 その悲劇にって躊破君は亡くなった。


 批判家達も少々の有名人が居眠り運転に食われたということで、声を大にして批判していくだろう。躊破君は人々の教訓の糧となり、世間からは可哀想な子だと思われるだろう。


 完璧なる因果応報。


          ────だったのだ。


 


 あろうことか目の前のか弱い男の子は避けたのだ。必至の殺害を。


 人間には反射という機能が備わっている。脳で判断していては遅すぎることもある。

 例えば風で巻き上げられた砂が目に入らんとしていたとしよう。そのことに気付くのは直前だ。その場合、目を閉じるように脊髄が司令を出して、事後に脳が処理をする。それが反射だ。例からも分かる通り複雑な指令ができるわけでもない。


 だがしかし、あれではまるで目の前にトラックがあることを捉えた瞬間しゃがんで避けるという反射が働いたということか?恐怖よりも先に。いや、反射でもないかもしれない。まるで神様が操っているかの如く。


 ──

 ────

 ──────


 いや、バカな考えをやめよう。躊破クンが勇者だ、神に選ばれただなんて、なんて馬鹿馬鹿しい!

 対象が神に縋る所なんぞ何度見たことか。もし神がいるのなら、死んでいるのはこの俺だ。



 煙草の一服も兼ねて、颯爽と立ち去る。



 いくら悩んでも仕方ないからなあ。終わった事を嘆いても何も生まない。在るのは事実、これからの白紙だ。諦められるか。次は家族に因る事故死に仕立てよう。殺るしかないんだ。



 ◆



 躊破は疑問に思っていた。なにかが頭の上を通ったな、と。



 躊破は走ってる最中に花美露に呼ばれた。そこで振り返ろうとしたが、足がもつれて転倒。うつぶせで倒れたことにより、周りの状況を確認することができなかったのだ。


 倒れている最中、段々大きくなる音が、段々強くなる風が吹いたかと思えば、それらは一瞬で過ぎ、生暖かい風とガスが残っていた。


 つまり、躊破には自分の身に何が起こったのかを知る由もなかったのだ。



 躊破は混乱の最中に、呑気に周りを見渡す。すると、目に入ったのは駄菓子屋ではなく、泣き崩れている花美露であった。


 ところで、最近の躊破はテレビにはまっている。魂を抜かれたようにテレビに齧り付く様は龍凰院家には珍しくない。昼夜テレビを見て、視聴率にそこはかなく貢献する躊破だが、その分要らない単語を覚えているのである。


 さて、ここで躊破語録の出番である。


 Q.目の前で泣いている女の子がいます。そして、その女の子は知り合いです。どうしますか?


「俺の為に泣いてくれてありがとう」


 躊破はまるで躊躇を破壊する如く、毅然と言う。


 すると花美露はまるで涙腺が氷解したかの様に、より一層泣き出した。


 あれ?この後、泣くのを止めて抱きついてくるのではないのか?とテレビと現実との乖離を感じている躊破だった。

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