第15話 貴腐人都にゆく
三両編成の車両が停止するまで彼は無言で眺め続けた。
自動ドアが開いてまばらな乗客が降りると、彼はわたしに手を差し出し、お先にどうぞと身振りで示した。わたしはちょっと赤くなっていたと思うけど、彼の手を取って車内に乗り込んだ。
電車内はそこそこ混んでいた。ドアが閉まって列車が発進すると、彼はひどく深刻そうな顔でドア際の手すりにつかまった。
すぐそばに座っていた女子高生ふたりが彼をちらっと見て目配せし合った。ひとりは口に手を当てて目をキラキラさせていた。
(あーそうだ……)わたしは思い出した。(サイファーくんはたいへんなハンサムなのだった)
赤毛を隠すのに帽子か何か必要かも……目立ちたくないならだけど。
サイファーくんは走り出した景色を食い入るように見つめていた。今日は晴れ。遠くの山まで見渡せる。
「あの真っ白な山は?」
わたしは首を巡らせて彼が指さす方を見た。
「富士山。日本一高い山だよ」
「フジ山、あれが」彼はうなずいた。たぶん頭の中の地図にランドマークをインプットしているのだろう。
電車は数分で終着駅に着いた。
大きな駅の立体構造に彼は圧倒されているようだ。まずエスカレーターに驚いていた。乗り換え線に移動しているあいだに彼はあれこれ尋ね続けた。
東武線に乗って池袋へ。
いよいよ混んできた車内で、わたしはここ数年間で一番長い30分間を味わった。だってぴったり寄り添ったサイファーくんが、車窓からなにか眼に留めるたびにわたしに話しかけてくるのだ。
それで周囲のひとは外人ぽい彼が流暢な日本語を操っているのに気づいて、注目し始める。注目してみるとハンサムだと気づく。
それで、彼と親しげに喋ってるあの地味な女はなんなの?
……そんな目つきが向けられてるような気のせいのような。
まあたぶん自意識過剰になってるだけよね。
山手線から見える景色にサイファーくんはいよいよ驚愕していた。
ようやくというか、彼が年齢相応な一面を見せた気がした。
「あの巨大な塔!」
スカイツリーねハイハイ。
「なんという数の電車だ……それに空中に遊歩道が架かっているじゃないか!」
首都高の高架道路や車両の引き込み線が見えるたびに目を見張っていた。新幹線が悠然とすれ違った日にゃ……!
おのぼりさんの外人とヘンな会話を続ける地味な女ガイド、というわたしたちにますます注目が集まってるような気のせいのような。
かくも大雑把でなければ赤面対人恐怖かなんかに陥ってるところだわ……わたしはハンカチで額の汗を拭いつつ思った。
そして上野。
地下鉄に乗り換え……
サイファーくんにとってはまたもカルチャーショックの時だった。
「地底に向かってないか!?」よく通るうっとりするような声音。エスカレーターを下る皆さんの注目が集まってしまった。
「大丈夫だから」わたしは小声でなだめた。「いいじゃない地下にちょっと降りるくらい!」
「でもなんで地底に降りる!?」サイファーくんも小声で応じた。
「え~……」わたしはやや躊躇した。今度は地下鉄に乗るのだって説明したらいったいどうなるのだろう?
「まあ大丈夫だから、ここは平和だって納得してたでしょ?」
「そうだが少し心許ないのだ。武器もなしで……それにずっと気になってたのだが、人によってなぜ白い布で口を覆ってる?
「あ~それは、また難しい質問を」
サイファーくんにもマスクさせれば良かったのに!バカだなわたし!
地下鉄に乗るとサイファーくんは一転、無言状態となった。心なしか顔色が悪い。
気を遣って地下駅からエレベーターで地上に上がったが、逆効果だったようだ……閉所恐怖症なのだろうか?
とにかく地上に出てホッとしたようだ……
デパートの駅入り口前、タカコとの待ち合わせ場所だったけど、ちょっと早く着いてしまった。
タカコはいつも時間ぴったりに現れるので、わたしたちは道路を渡って隅田川の橋のたもとにでた。例のモニュメントを頂いたビール会社の建物が見えるところね。
雲ひとつない晴天で午前の日差しだと、このあたりは本当に気持ちいい景色だ。
サイファーくんは停泊中の屋形船や外人旅行客、ありとあらゆるものに目を向けていた。気分もよくなったらしい。
幸か不幸かスカイツリーがビル向こうにひときわ威容を誇っていた。サイファーくんは興味津々だった。わたしが見てもスケール感に幻惑させられるくらいだから無理もない。
(まあいちど連れてってあげてもいいか……つーかわたしもまだ登ったことないけれど)
時間になったので交番前の通りに戻った。
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