第9話 ショッピング
ガラス張りの店に足を踏み入れようとしたら、サイファーくんがたじろいだ。
「勝手にドアが開いた!」
「え?」
「ナツミ、罠かもしれないぞ!迂闊に足を踏み入れるな!」
わたしは構わず入店して、振り返って彼に手招きした。
「大丈夫だから、さ、入って」
サイファーくんはまだ半信半疑でいたが、やがてしぶしぶ入店した。
「……これも、電気仕掛けなのか?」
サイファーくんはつま先でマットをつついて、自動ドアが反応する様子を試した。
「そうよ」
「そうか……すごいな。ガラスの一枚ドアだけでもすごいのに」
店内を見渡して彼はさらに驚愕した。
「この大量の衣服がすべて売り物だと?」
「うん、そう」
「これを見ろ!」彼は壁に吊されたナイロンジャケットに駆け寄った。「光沢のある青……これはいったいどのような生地なんだ?」
「もう寒い日もおしまいだから上着いらないかもだけど、買ってあげようか?」
彼は考え込んだが、やがて首を振った。
「いやいらない、こんな派手なもの、王侯貴族の趣味だ」
以上のやり取りのあいだじゅう、わたしたちはほかのお客さんと店員から注目され続けた。
これは思ったより大変だわよ……わたしは徐々に焦りはじめた。
勢いで飛び出す前にネットで彼の好みを確認すべきだったなあ……。
それに百聞は一見にしかず、と言うか。テレビで街の様子をいくらか観ただろうに、じっさいは自動ドア程度であのリアクションだ。あと1時間外で過ごしたらどんなボロが飛び出すことか……。
「選べと言われても分からないんだ……カワカミ殿の見立てでなにか、違和感のないものを見繕っていただけないか?」
サイファーくんはなぜだか申し訳なさそうだった。
「カワカミ殿ってやめて……ナツミでいいから」
「それではナツミ、どうかお願いだ……普段はこんなこと頼むことなど無いんだが」
ああなるほど。
出会ってたった一日だけど、彼が自主性を重んじる人間だということは、なんとなく感じていた。サイファーくんは女に服を選んでもらうことを恥じている。
「それじゃあ今回だけね……」
「かたじけない」
まあ、ある意味願ってもない機会なのだわ!
わたしは上下をいくつかチョイスして、彼の肩にあてがったりした。彼は例によって質問攻めだ。本気で日本国川越市におけるドレスコードのTPOを知りたがっていた。
面倒くさそうに「テキトーでイイよ任す」と言われないのは、ちょっと嬉しいかも。
とはいえ
「派手じゃない色の服は……ないのだな」とか言われるのは困った。ここには基本、原色かビビッドな色合いの服しか置いていない。
彼がやたらと茶色や灰色を選びたがるのは、つまり周囲に溶け込める目立たない服装、ということだろう……迷彩柄のシャツを妙に真剣な表情で見ていた様子からして、彼が欲しいのは「森で目立たない服」だ。
わたしが下着を大量買いしかけていると、彼は言った。
「そんなに、必要かな……?」
「もちろんよ!言っとくけど毎日変えてね。ここではそれがふつう」
「これ、必要か?」
靴下をつまみながら訊いてきた。
「まあできるだけ毎日」
「洗濯がたいへんだろう」
「そんなことは……あっ」
わたしは下着を部屋干しするリスクに突如思い至った。彼のではなく、マイ下着のこと。
やべっどうする?
経験多そうなタカコに聞いてみなきゃ……
――いえいえ!サイファーくんのことバラすなんていまはダメだ!
ああもう!どんどんフクザツ化してゆくっ!
衣料品店で1時間半も過ごしたので、買い物を済ませたらお昼近くになっていた。
(これはハンバーガーにアタックすべきかな?それとも――)
彼は流通について細心の注意を払っている。
わたしがお会計するたびに真剣な面持ちで注目していた。
わたしはPASMOを使って彼を驚かせる誘惑と戦った。いまはまだ余計な混乱させるべきじゃない。
(わたしの出費が気になっているのかなあ……)
彼の人となりはまだ見極めていないものの、贅沢とは無縁の屋外生活者なのではないか、というのはうすうす感じていた。
たぶん過剰なサービスは遠慮するタイプ。
そしてわたしの庇護をいつ失っても困らないよう、いろいろ想定し始めている。
そう推測してみると、わたしはいくぶん憂鬱になる。サイファーくんに不自由ない生活を提供し続けたいけど、ニートという名の現実の壁はいつか立ちはだかるだろう。
この世界で生活するコストを知るのは、彼にとって死活問題だ……なんせわたしにとってもいささか深刻な問題になりつつあるくらいだし。
そうしたことについては、後日驚くべき見解を彼自身から聞くことになる。
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