<第五章>未来への種蒔き
任官……だけじゃない
――安永七(1778)年十二月
「従五位下
群臣にどよめきが広がった。それは与えられた官職に全ての理由が詰まっている。
◆
<任官より二ヶ月ほど前>
「よう参った」
政変から半年。俺は病も癒え、すっかり元気になった家基様に招かれると、恩賞の話を切り出された。
なんで半年も後になったかというと、まずは義父となるはずだった宗武公が亡くなったのに続き、去る六月に実父徳山貞明もこの世を去ったからだ。
どうやら宗武公と同じ頃から体調が悪くなり始めたらしいが、俺に言うと必ず来るだろうと考え、宗武公の治療に専念させるために黙っていたらしい。
まったく……患者が一人くらい増えたってどうってことないのにさ。故人を悪く言うのもよくないが、律儀すぎるのも考え物だ。
そんな事情で服喪中なのだが、それを待っていると一年以上先になるので、忌明けを目処にとこの機会になったらしい。
「埼玉郡じゃ」
そして報奨は領地を……という話であった。
家基様や種に対する毒殺は一橋の関与が確定。所領没収の上、当主治済は切腹。三人の子は僧籍に入ることとなった。
そして、長年西の丸の要職を務めながら企みに加担していた阿部、酒井などは、同じく当主切腹の上改易処分となるなどあって、幕府に収公された土地は四十万石を超える。
一方で今回恩賞を受けた者はそれほど多くない。
一人目は平蔵さん。一橋の企みを調べ上げた功で千石加増され、若年寄支配下の
続いてはチーム解体新書の面々と、千賀殿や桂川さん。前野さんの中津藩は褒賞が出されたらしいが、杉田さんと中川さんの若狭小浜藩は酒井播磨守の本家ということで、連帯責任ではないが藩として賞されることはなく、両名への個人的な恩賞だけで終わった。
最後に田安家。宗武公の命を賭けた奮闘で今回の騒動が収められたことは間違い無く、旧一橋領は田安家預かりとなり、都合二十万石の所領を持つことになった。
他にも恩賞を与えられた者はいるが、加増という話で言えば一部に限られ、幕府が収公した所領に比べてはるかに少ない。というわけで土地は余っているから、俺も加増という話なのだが……
埼玉郡って、忍藩領だよな……
提示されたのは阿部家の旧領十万石のうち、忍城を中心とした三万石余。現有地と合わせれば、およそ三万五千石となり、いきなり城持ち大名となれるもので、恩賞としては破格の待遇だ。
「荷が重うございます」
しかし、俺は丁重にお断りさせてもらった。
今回の功績に対してそれが与えられても不思議はないのだが、それでも俺は自由を選ぶ。大名は領地と江戸の往復が必須だから動きにくくなる。研究を進めるならば、江戸に腰を据えてじっくりとやりたいのですよ。
「忍ならそう遠くはあるまい」
「そうじゃ、江戸まで二日もかからぬ」
「それでも、半年は領地暮らしでございましょう」
家基様、そして改易となった秋元家に代わって奏者番となった田沼意知殿から熱心に勧められたが、どうにも気が進まない。
参勤交代は一年おきに領地と江戸を行き来するというイメージだったが、実は関東の大名の多くは半年ごとに領地と江戸を往復するよう定められている。
半年ごとに引っ越しとかマジ面倒臭いし、所領が増えたら政務に取られる時間も増える。四千石から三万石だと家臣の数も増やさなきゃいけないから色々と苦労も多いと思われるので、城持ち大名だワーイワーイと喜んでいる場合ではなかろう。
「江戸定府が希望か? ならば……」
「お役目に就くという話であれば本末転倒です」
意知殿が良いこと思いついたみたいな顔をしたが、役職に就いたら時間が取られるのは変わらないじゃん……
「お主には出世欲は無いのか」
「今の私がやりたいことは、出世しないほうがやりやすい。それだけです」
実際に政策を実行するのは、家基様に田沼公がいる。だけどその苗を生み出すのは俺が適任だと思っているから、余計な役職には就きたくない。
出世すれば収入は増えるが、それ以上に面倒なことも増える。今のところ四千石で生活は賄えるし、俺が発明した品を扱う商家や、教えを授けた大名家からの付け届けも事欠かないので、金にはそれほど困っていない。
……言っておくが賄賂じゃなくて付け届けだからね。授業料とか商品監修に対しての報酬みたいなものだから問題ない。
「それでは余が困る。恩に報いぬ痴れ者と言われてしまうわ」
「左様。なんぞ褒賞を求めてもらわねば、大納言様や上様がお困りになる」
「されば……官位でどうでしょうか」
幕府の役職に就いている者は参勤交代が免除されるが、それは裏を返すと表舞台で政治に関与するということだから、今まで固辞してきた意味が無くなってしまう。
とはいえ、恩賞無しでは家基様の沽券に関わると言われればそれはその通りなので、褒美として官職を与えてもらうことにしよう。
「官位か。無難なところだな」
「では従五位下に任官するよう、朝廷に奏上するとしよう。外記、もし希望の官職があれば聞くぞ」
「されば……治部少輔にてお願いしたく」
「治部少輔だと……?」
「なんでわざわざ……」
――治部少輔
律令制度において、外交・戸籍・儀礼などを司っていた治部省、唐風に言うなら礼部の
それは最後に名乗った武士が、関ヶ原の戦いで西軍を率いた男、近江佐和山城主・石田治部少輔三成だからだ。
故に神君に弓引いた不届者が名乗った官位として忌み嫌われ、江戸に幕府が開かれて百七十年を超えようというのに、未だに誰も就いたことのない官職である。
「わざわざ曰く付きの官位を得ずとも……」
「気にする必要はございません」
徳川に敵対した者や、主君に対し裏切り・謀反を企んだ者、お家滅亡となった者などが名乗っていた官位は、縁起の悪いものとして忌み嫌われるという風潮はあるが、本能寺の変でおなじみ明智光秀の日向守や、大坂の陣で家康公の首にあと一歩まで迫った真田幸村の左衛門佐など、忌諱されそうな官職を名乗る武士は徳川の世になっても存在した。
そんな中、不思議と治部少輔だけは任命された形跡が無い。それだけキングオブ嫌われ官位だという証なんだろうけど、そんなの関係ねぇハイオッパッピ〜って感じですわ。
「徳川の御世になり、日向守は謀反を起こしましたか? 左衛門佐は上様の首を狙いましたか? 何の官位に就いたかではなく、その人物が如何なる者であるかが大事かと。治部少輔を名乗ると将軍家に刃を向けるなどと考える方が荒唐無稽な話」
それを言ったら大概の官位が曰く付きになってしまう。戸部尚書と豊後守と播磨守と摂津守もその仲間入りになるってものですよ。
「だからと言って治部少輔を名乗る理由にはなるまい」
「これを選んだのは、忍城を私にというお話も踏まえての希望にございます」
「城が何の関係が……?」
「そういうことか……この先も功を挙げ、誰からも文句の出ない状態で忍城を"治部少輔"が手に入れるか」
「ご賢察痛み入ります」
それは徳川が天下を取る少し前の話だ。
関白豊臣秀吉は天下統一に向け、当時関東を支配していた北条氏を討つため、二十万の兵を送り込んだ。世に言う小田原征伐である。
これに対し北条方は、箱根の山に近い山中、韮山、足柄の三城を防衛の最前線とし、主力は小田原城で籠城するという策を採ったが、豊臣方の圧倒的な兵力の前にあっさりと前線の城は陥落し、小田原も完全包囲された。
そして主力を小田原に送り込んだ各地の支城は、僅かの兵で守ることを余儀なくされたため、迫り来る豊臣軍の前にさしたる抵抗も出来ず次々と陥落。しかしその中で唯一、小田原が開城してもなお落城しなかったのが忍城であり、その城攻めを指揮していたのが石田三成。つまり、忍城は治部少輔が落とせなかった城なのだ。
「石田治部が落とせなかった城を、藤枝治部が手に入れるか」
「さらなる功を挙げ、誰もが認める形で手に入れようかと」
「……良かろう。其方の希望に添う形で準備いたそう」
◆
「治部、これからも忠節を尽くせよ」
「ははっ」
あのとき、家基様は納得したようなしないようなという顔であったが、こうして勅許により認められたのだから、もう覆しようがありませんよ。
藤枝治部少輔、これからも無役の一旗本として職務(?)に精励いたします。
「それと……治部にはもう一つ恩賞がある。主殿」
……ん、もう一つ?
「大納言様たっての願いにより、その御名より"基"の一字を与える。これよりは名を改め、藤枝治部少輔
……はい? どういうこと?
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