【他者視点】新たな時代の兆し(徳川宗武)

「賢丸、いかがであるか」

「父上のお眼鏡に叶うたなら間違いはございますまい」

「励めよ」

「御意」




 我が名は徳川宗武。八代将軍吉宗の次子であり、分家田安家の当主である。


 ……とは申せ、要は将軍の系譜に万が一があったときの後継候補というだけで、政には口を出すことも出来ぬ部屋住にしか過ぎない。


 それでも若い頃は、学問に武芸にと精進したものだ。


 なにしろ兄が……あの体たらくだからな。身体も弱く、言葉も不明瞭、贔屓目で見ても、とても将軍の器に非ずと思った余の考えは間違いではなかったと今でも思っている。故にいつ声がかかっても良いように励んでいたし、そんな余を見て後継に推す家臣たちも少なくなかった。


 だが……父上は兄を後継とした。そこにはかつて起こった家光公と駿河大納言との確執により、国を二分するかもしれぬ騒ぎとなった過去の教訓から、将軍として国の安泰を第一に、長幼の序を守るという判断によるものだ。


 結果的にそれは間違いではなかった。将軍が凡愚であろうと、それを家臣たちがしっかりと支えていれば、公儀の屋台骨が崩れるはずもなく、ただ一人、それに異を唱え騒ぎ立てた余が父や兄の不興を買うだけであった。


 それでも……自分が将軍として政を成しておれば、もう少し国を豊かに出来たのではという思いは消えない。分かっておる、とうに潰えた夢でしかないことは……


 兄の跡を継ぎ十代将軍となった甥の家治、そしてその子である大納言家基と、将軍家の系譜は今のところ安泰。翻って我が田安家は生まれた息子を次々と亡くし、ようやく成長した治察は病弱、辰丸はちと思慮が足りずで少し先が見えぬと悩んでいたものだ。


 そして末の息子の賢丸。利発ではあるが、やはり身体が弱く何度も生死を彷徨う有り様に、過去の行いに対して罰が当たったのかとも思ったわ。




「まずは食事から改めてはいかがかと。玄米食がよろしゅうございます」


 そんなときに父に取り立ててもらった学者の青木昆陽先生から、面白き童がいると聞かされた。


 聞けば賢丸と同い年だというのに、昆陽先生から様々な学を教示され、先生ですら困難を極めた蘭語にも挑んでいるとか。


 その名は徳山安十郎。父の小姓であった甲斐守の末子であり、自慢の息子だとも伝え聞いた。徳山の家も後継はしかと育っていたはずだから、その安十郎とやらを賢丸の側仕えにでもと召し出したところ、思いがけず我が家の食卓が様変わりすることとなった。


 おかげで治察も賢丸も病がちであった身体が丈夫になり、年を取って気力の衰えを感じ始めた余まで何だか健康になった気がする。まだ子を成すことも出来るくらいの自信がついたくらいには、な。


 賢丸とも話が合うようで、床に伏せがちで気鬱だった息子も次第に明るくなったし、甘藷栽培で儲け話まで持ち込みおって、まこと良き人材を登用出来たと思っている。




 ただ、一点気がかりなのは、娘の種が安十郎にべったり寄り添っておることだ。


 賢丸たちが甘藷栽培の様子を視察すると下総に向かうときも、一緒に行くと駄々を捏ねおって……


 兄の言うことをよく聞くのだぞと言い含め、もちろんですと申しておったが、種が申す兄が安十郎のことだと分からぬほど耄碌はしておらんぞ。


 何故分かったかだと? 分からぬほうがおかしかろう。下総から帰って後、種が安十郎を手放すなと進言してきたことを見れば明らかではないか。余はそれに対して、どこかの旗本に養子入りさせると答えたが、あの娘は自分が縁付いて繋ぎとめる腹積もりであろう。


 気持ちは分かるがな。実の兄たちと交流することもままならず、安十郎を頼りにしていた節が多かったからな。


 しかし……大火の折、「今日お側にいてもらいたい」などと申しおったときは絶句したぞ。通子の顔の怖いこと怖いこと……絶対に何かあったと思うしかなかろう。賢丸は知っているようであったがな。


 ともすれば有為の人材を失ってしまうことになってしまう故に黙って見逃したが、安十郎は五百石の旗本の部屋住。仮にも徳川の血を引く姫が輿入れ出来る相手ではない。


 本人の気持ちや能力とは関係なく、身分の柵とはそういうものだ。余が将軍になれなかったようにな……




 ところがだ。人の不幸を喜んではよろしくないが、四千石の旗本藤枝家の主が後継を残さず亡くなったと聞いた。


 家臣の話によれば藤枝と徳山は縁戚、亡くなった当代と安十郎は再従兄弟という絶妙な血縁。ここにねじ込むと決めるにそう逡巡することはなかった。


 しかも安十郎は、長崎通詞も舌を巻くほどオランダ語に精通していると巷で噂になっている。甘藷の件といい、将来有望な若者であると身をもって示しているのだから、これを養子に入れて後継となすべしという余の進言に、藤枝の者が否やと言うはずもなく、晴れて四千石の主に据えることが出来た。


 まあ……だからと言って種を嫁にやれるかと言うと難しいな。格で言えば国主級の大藩が正室として迎えるだけの血筋の娘じゃ。四千石ではなあ……




 ただ、あの子は我ら古い時代の者には思いもつかぬ才を秘めておる。それが何かは余でも全てを見通すことは出来ないが、必ずや歴史に名を残す男になると信じておる。


「身分を問わず、才あるものを登用するが国を富ます第一歩……か」


 べんごろうの手紙の一件と長崎屋でカピタンと交わした話に対する考え。そして賢丸が膝を突き合わせて聞き出したその存念。どれもこれまでの身分制度の枠を超えた突拍子もなく、だがあの子がこれまで成したことを思えば、いつか叶うのではないかという希望。


「お主があと五十年早く生まれておれば……余が将軍になる未来があったかもな」


 もし、この先の未来が大きく変わる可能性があるとすれば、それは安十郎の働き次第じゃ。もしかしたら種を嫁に娶る可能性も無くはない……かもしれんぞ。


「治察、賢丸、そして安十郎。未来はお主たちに託すぞ」


 余も気づけばもうすぐ還暦を迎える。叶わぬと思っていた孫をこの手で抱くことも出来たし、頼りなかった治察も大納言様と懇意にしておるようだし、この辺が代替わりの潮時じゃな。


 ま、当主の座を譲ったところで、元より自由人だからな。残りの人生は好きに生きさせてもらうぞ。最後まで見届けることは叶わぬであろうが、お前たちが描く未来の一助のために出来ることは手を貸してやる。


 もしかしたら……それが余が生を受けた理由なのかもしれんからの。




◆ ◆ あとがき ◆ ◆


 安十郎を見出した名君宗武の閑話でした。

 史実では不遇だったのかなと思える方ですが、本作では安十郎が将来飛躍するための下地を築いてくれた恩人ということで、実は種ちゃんの恋心も十分に把握していたりして……

 すでに史実より2年ほど長生きしており、いずれは亡くなる話を入れないといけないなあと、今からちょっと憂鬱です。

(登場人物に思い入れしてしまうダメ作者ですいません)

 

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