それは富国強兵であり、かつ……

「産業の育成……甘藷のようなことをするというのか」

「はい。方法は様々ありましょうが、新たな産業、産物をお上の主導で生み出し、以降の取扱いは商人たちに行わせるのです」


 文化の成熟は産業の発展と経済活動の活発化にリンクする。元禄文化もそうだし、ルネサンスも東方貿易でイタリアが潤っていた時代の話だから、間違いでは無いと思う。


 新しい物が生まれやすい下地、それを意図的に生み出すのだ。後の世のお役所主導の意味が無い振興策ではなく、本気で経済の発展を促す施策をだ。


 そのために幕府が持つ金を、新たな産業の育成に投資する。後に儲かる、上手く行くと見込めば、商人たちは必ず食いついてくるだろうから、後はプロである彼らに任せればよい。お上のお墨付きで生まれた商売のタネなんだから、彼らも処罰を受けるリスクが無いから躊躇うことなく導入するはずだ。


「上手くいけば海外への輸出にも使えます」

「貿易に使うというのか」

「ええ、向こうに買わせて財貨を得るのです」


 元々海外貿易は、支払のために金銀を用いられて交易されていた。さすがにそのままだと国内の金銀が尽きてしまうので、かなり前から生糸だったり俵物だったりと、金銀に代わり交換材料となる商品を作るようにはなったが、ここに加える商品のラインナップを更に増やそうというわけだ。


 これに関しては未来の知識になってしまうが、明治維新の頃も一番の輸出品は相変わらず生糸だったはずだが、他にも磁器や着物、工芸品なども売れるのではないかと思う。高級品は勿論のこと、普段使いする市販品レベルの品でも商材になると思っている。


 例えば浮世絵。後世では大変な価値が付けられた作品もあるが、実は大衆の風俗画だ。海外に渡ったものが人気になったというのも、元は輸出品の陶磁器の包み紙にされていたのを、西洋の人がたまたま見つけたからだと聞く。


 つまり、日本国内での価値と海外での価値はイコールではないのだ。国内では安価で製造・流通出来る商品でも、売り方次第で十分商材になる可能性はある。


 殖産の他に既存産業のブラッシュアップも経済の発展には重要だし、それで外貨が獲得できるのなら尚更のこと。海外貿易は幕府が管理しているのだから、ここをテコ入れすれば増収の道筋が見えるというものだ。




「産業を生み出すのはいいが、タダで商人に譲り渡すのか」

「まさか。取引材料にするのです」


 勿論タダで商人に餌を与えはしない。取り扱うのであれば、運上金、冥加金という形、もしくは経理帳簿を毎年提出させて売上に応じた税を課す。こうすることで新たな財源が確保出来るはずだ。


「彼らが無茶をしないか厳しく監視しなくては意味がありませんが、租税に占める米の比率を落とし、銭による収入を増やせば財源が安定します」


 物納というのは結局現金化するしかないから、どうしても相場に左右されてしまう。しかし商いを奨励し、未来で言うところの税金と同じ形で納めさせれば、収入額は一定するし、産業の振興が盛んになれば税収は増えるはすだ。


「そして、増えた収入で産業をさらに富ませ、国力を高めていくのです。決して自らの奢侈のためではなく、国を守り民を守るという武士の本分のためにです」


 考え方としては富国強兵策だ。軍事力を強化するにも、まずは経済の発展が必要。外敵という脅威に晒された明治期の日本が、列強に追い付け追い越せと遮二無二努力した結果、この国はアジア一の強国となったわけである。


 しかし、それまで太平の世で平和ボケもいいところだった国が列強の力に怯え、その反動で急激な変革を迎え、分不相応な軍備増強に特化した結果どうなったか。それを知る者としては、同じ歴史は繰り返してほしくないと思う。


 とはいえ今はまだ、外国船が通商交渉に来たわけではない。たまたまロシアの話になったので色々と考えた末の私案であり、現時点でこれを本気で捉える者はいないだろう。


 でも、間違いなくこのまま農本位の政策を続ければ、同じ未来、同じ結末が来る。開国という道を歩むにしても、もう少し軟着陸ソフトランディング出来れば、違う未来があるかもしれないことを、この時代の人間に一人でも多く伝えられれば……


 と、偉そうなことを言っているが、それが本当に正しいかは分からない。あくまで未来で起こったことを防ぐためにどうしたらいいか、俺が考えた"たられば"であり、政策のプロフェッショナルではない素人の進言によって、却って悪い結果になる可能性だってあるから難しい話だとは思うし、結局その策を採るか採らないかは為政者の判断次第だからね。




「安十郎、いくつか聞いてもよいか」

「何なりと」


 俺が少し先走った話をしたかなと思っていたら、賢丸様が難しい顔をして聞いてきた。


「まず、全ての商家を監視するのは無茶な話ではなかろうか」

「常に監視しろとは申しません。調べようと思えばいつでも調べられる。と思わせれば良いのです」


 未来でも税務署が毎年査察しているわけではない。それでも急に抜き打ち検査があるから、企業は常日頃から経理に関する帳簿を整えているし、それを疎かにした会社は摘発されて良い見せしめとなっている。


「基本は商家の申し出た帳簿を信じると」

「はい。基本は金の出入りが明確なればそれで良しとして、偶に細かく精査すればよろしいかと」

「そうなると勘定方の仕事が増えすぎるな。役人に賄賂を贈って誤魔化す者も増えるかもしれん」


 雲を掴むような話であるのに、賢丸様は明確に懸念点を感じておられる様子。こんな話を持ち出しておいて言うのもおかしいが、もう少し"??"が浮かぶかと思ったが、やはり頭の切れる御方だ。


「その懸念は然り。されば勘定方と目付役の定員数を増やせばよろしいかと」

「簡単に申すな。どこにそんな要員がいる」

「無役の旗本御家人がおります。禄を与えているのですから、労働という目に見える形で奉公させるべきです」


 高禄の旗本は寄合、それ以下の者は小普請という役が付いているが、それって実質無役なんだよね。奉公は必須ということから、上納金を納めてこれに代えているが、無駄飯喰らいの集まりなのだ。


「そこに有為の人材がおらねば、部屋住の次男以下から才ある者、意欲ある者を登用すればよろしいかと」


 無役の者たち役目が無いのをいいことに、フラフラと市中を遊び歩き、学問に対する意欲も少ない者が多い。一方で次男以下の部屋住は、独立のために身を律している者もいるので、必要ならばそれを活用すればいい。


「当主やその嫡男以外にまで役を与えると申すか」

「役職を増やせば俸給も増えます。それ以上に収入を増やすためには、能力のある者を登用せねばなりません」


 こと今回の仕事は、海千山千の商人たち相手だ。算術はもとより、頭の切れる人材でないと良いようにあしらわれてしまうから、当主かそれ以外か、旗本か御家人かなどを理由にして、才ある者を登用できないのでは意味が無い。


 未来でも親も議員だったから跡を継いだだけという、無能な政治家はたくさんいた。家格に胡坐をかいて惰眠を貪る者より、身分は低くとも志高き者を登用すべき。簡単な話ではないが、間違ってはいないと思う。だけど……


「それはややもすれば、身分制度の否定と見られると思うが」


 やはり賢丸様はそこを懸念されているようだ……

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