旗本改革男

公社

<第一章>天才少年現る

八男坊は麒麟児

「安十郎」

「あっ父上、お帰りなさいませ。出迎えもせず申し訳ございません」


 気がつけば日も暮れ始め、いつの間にか父が城から戻ってくる時間だったようだ。


「今日は何を読んでおる」

「本草学の書物にございます」

「ほほう……そなたは学者にでもなるつもりか」

「将来に向けて、可能性は色々と持っておいた方が良いと思いますので」

「はっはっは、とんだ麒麟児が我が家に生まれたものだな」


 そう言って驚く父の名は徳山貞明とくのやま さだあきら


 徳山家は美濃各務郡を中心に二千七百石を知行されている大身旗本である。


 なんでも初代は柴田勝家の与力だったそうで、賤ヶ岳の戦いで負けた後は丹羽長秀、前田利家と戦国時代の有名人の元を転々と仕え、後に徳川家康に招かれて五千石余を知行されたらしいが、その後お家騒動で減知され、更には何代目かの当主が弟に五百石を分与して今に至っている。


 父は次男だったが、今はその分家の養子となって跡を継ぎ、暴れん坊……もとい米将軍と呼ばれた8代将軍吉宗が大御所になった後にその小姓などを務めて、従五位下甲斐守に叙任されている。


 そして俺はその末子で八男、名を安十郎と言い、現在六歳。


 数え年だから満年齢で言うと五歳になったばかり。そんな子が学問書なんか読んでいればそれは驚くだろう。


 でも正直に言うと内容は二の次。だって、時代が違いすぎて同じ日本語のはずなのに、そもそも何と書いてあるか解読するところからのスタートだからだ。




 ……どうも、未来人です。


 21世紀の日本でしがないサラリーマンをしていた俺が、江戸時代に生まれ変わっていたのに気づいたのは生まれて間もなくのこと。仕事のし過ぎで倒れたのは覚えているが、その後のことはよく覚えていない。気が付けばこの徳山安十郎に生まれ変わっていた。


 転生物ってやつ? まさか自分の身に降りかかるとは思いもしなかったけど、転生先がよく分からない武士の八男ってどういうことか。


 普通この手の話は有名な戦国武将とか歴史の本に名前が残るような人物じゃないのかとも思ったが、よく考えたら戦国時代とか選択肢一つ間違えたら死ぬとか普通にありそうだから、いきなり転生とかしても怖いよな。


 もっとも江戸時代だって、『無礼者!』とか言って平気で斬り捨てられるような世の中だから油断は出来ないが、少なくとも戦乱の世よりは平和な時代に生まれ変わったのだから良い方なのかもしれない。農民じゃないだけマシ。


 時代で言うと今年は宝暦十三年。将軍で言うと十代家治……って言っても、徳川十五代の中でも知名度が低い方だから分かりにくいか。歴史の教科書に出てくる有名人だと、田沼意次が老中になって権勢を振るい始めるちょっと前と言えば分かりやすいだろうか。


 戦も起こらない平和な時代と言えば聞こえはいいが、天災とそれに伴う飢饉によって幕府の台所事情は次第に苦しくなっている。農民から搾り取ろうとしても、それによって生活に困窮した彼らが、次々に故郷を捨てて都市部へ流入したことでますます税収は低下。さらには米の価格もどんどん下落しており、米を売った金を収入としている幕藩体制は確実に斜陽の道を歩み始めていると言ってもいいだろう。


 とはいえ旗本の八男にそれをどうにか出来る権力や能力があるわけない。まずは自分の出来ることから、つまり自分の身の振り方から考えなくちゃいけない身分だからね。


 徳山家は男子が八人生まれたけど、生きているのは俺を除いて次男、四男、五男だけ。次男は跡継ぎ、そして四男と五男は既に他家へ養子に出されたので、俺はある意味跡継ぎのスペア、いわゆる部屋住という立場になる。


 部屋住ってのは本来、まだ家督を継いでない後継者も含めてそう呼ばれるのだが、未来人の俺からするとニートに近い意味合いに感じてしまうので、なんとなく居心地が悪い。だから小さい頃から色々と励み、後々兄が跡を継いだら、どこかの養子にと声がかかってきやすいように仕組んでいて、読書もその一環である。


 最初はこの時代の文字に目を慣らすというのが一番の目的だったけど、それなりに読めるようになってからは、どうせなら難しい書物の方がいいだろうと学術書とか兵法書みたいなのばかり読んでいるおかげで、『甲斐守の末子は見どころがある』などと噂されているという。我が子可愛さに親父殿が言いふらしているのが主な原因らしいけど。


「父上、もう少し書が読めるようになりましたら、どこかの先生に師事させていただきたいのですが」

「なんと、その年でか。まだ早かろう」

「私も侍の、父上の子なれば、何かの役に立つ人間になりとうございます」

「そうか、殊勝な心がけよ。よかろう、それほど言うのなら、そのうち良き師を紹介してやる」


 なんだか父の機嫌が良さそうだったので、しかるべき師の元で学問を学びたいと言ってみればすんなり受け入れてくれた。厳格な父であるが、齢四十を過ぎてから授かった末っ子は殊の外可愛いらしく、その成長を見るのが楽しみのようである。

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