第7話 救出と真相

 地下牢には湿気と陰鬱、そして死が垂れ込めていた。そのコボルド族の青年もまた、死の雰囲気に飲まれて沈んだ瞳を澱ませ、蝋燭がぼつぼつと揺らめく様子を見つめていた。


 青年の長い耳がびくりと震える。地下牢に続く階段から足音を敏感に捉えていた。だが為すすべはなかった。禿げ上がった中年の男と、質の良いスーツに身を包んだ若い男の二人組が牢の前で足を止めた。


「やあロカ君。そろそろ気は変わったかな?」


 ロカ、と呼ばれた青年は何も答えない。酷薄に薄ら笑みを浮かべ、スーツ男が肩をすくめる。


「ちっ。室長、冒険者ってのは彼みたいな強情ばかりなのか? いい加減俺もうんざりだぜ」


 室長と呼ばれた男――冒険者全滅事故調査室の室長が顔色を変える。年齢はマズルの二倍以上もあるはずだが、室長の腰はそのまま地面にへばりつきそうなほど低くなっていく。


「申し訳ありませんマズル坊ちゃま! なにぶんこの男はその、卑しいコボルド族ですから! 常識というものがないのでございます!」


「ふん、そうさ。こいつのせいで俺は大噛主の生首もコレクションに加えられなかった。こいつが真面目に戦わなかったせいだ!」


 マズルの怒声にロカが顔を上げる。淀んだ瞳に怒りの色がさした。だがマズルは気がついていないらしい


「金を受け取っただろ、室長。その分の仕事はしてくれよな。言ったろ。別にそんなゴロツキ一人殺しちまってもかまわないんだが、死体の処理は面倒なんだ。殺す者、運ぶ者と足がつきやすい。困るんだよ、うちは名家なんだからな」


「もちろんでございます! もちろんでございます!」


 忌々しげに顔を歪めてマズルは去っていく。その足音が完全に聞こえなくなってから、室長は憤怒の形相でロカに詰め寄った。先ほど見せた無礼なほどの慇懃さは欠片もなかった。


「おいロカ! これ以上私の立場を悪くさせるな! マズル坊ちゃまとセプテントリオンに関する一切のことを口外しないと、その契約書にサインさえすればいい! そうすればここから出してやると言っているだろうが! 一体何が不満なんだ!?」


 口を閉ざしたままのロカに室長はさらに怒鳴りつける。


「言ってみろ! 金か!? 坊ちゃまの提示した口止め料ではまだ足りないと言うのか!? この業突く張りが!」


 ロカは口を開かない。室長は顔を真赤にして、もし怒りで人が死ぬことがあればきっと死んでいたに違いない。


「クソ! おまえもわかってるだろう? マズル坊ちゃまのお父上は冒険者ギルドの大口スポンサーなんだぞ!? だから実力のあるセプテントリオンに斡旋してやったというのに……もし坊ちゃまの気が変わればどうなる! ギルドに金が流れなくなれば、貴様だけではない、全ての冒険者に迷惑がかかるとわかっているのか!」


 その後も一時間に渡って怒鳴りつけ、なだめ、また怒鳴りつけ、マズルに関する一切の秘密を守ることを要求した。だがロカは答えなかった。彫像のように微動だにしなかった。


 結局室長はロカの口を開かせることはできず、怒りよりも疲労に顔を歪ませながら背を向ける。


 だが思い直したように彼はまた振り向き、底意地の悪い笑みを浮かべた。


「そういえば君には妹がいるそうだったな? たしかニニとかいう名の」


 ロカの顔に動揺がよぎる。室長はそれを見逃さない。鉄格子をつかみ、甘ったるい猫なで声を投げかける。


「私も鬼じゃない。子供が悲しい思いをするのは耐えられんよ。だがこのままでは君は死んでしまう。そうだ、家族との別れ! これほど悲しい思いを子供がする必要はあるまい。そうとも……そんなことが起こらぬよう、妹に直接君を説得してもらうというのはどうかな?」


 ロカの動揺はいよいよ顔中に広がっていた。必死に抑え込もうとするほどに、それは室長を満足させるだけに終わった。


「一晩じっくり考え給え。もし妹の手を煩わせたくないのなら、私たちは喜んで手を貸すぞ」


 室長はもはや勝ち誇った笑みを浮かべていた。鎮めきれなかった殺意と憎悪がロカの瞳に輝いている。しかし鉄格子越しのそれは、ただただロカの立場を悪くするだけのものだった。


 ゆうゆうと室長が去ると、地下牢に静寂が降りた。


 その中で一人、ロカは自分の弱さと惨めさを呪うように項垂れていた。何時間もそうしていた。あるいはほんの数分だったかもしれない。この地下牢では時間の流れが弛緩している。一時間が永遠に思えることもあれば、ふと気がつくと十年の時が経っていることもある。闇と孤独は人の心を容易く壊す。


 だからロカは、てっきりもう翌朝になったのかと思い違った。あの憎々しいマズルと室長が戻ってきたのだと。


 それは足音のせいだ。コボルド族の鋭い聴覚が捉えた足音の。しかし一人分の足音である。誰かがこの地下牢に単身降りてきたらしい。そんなことは初めてだった。


「……ロカさん?」


「誰だ。俺を知ってるのか?」


「アズサ。ニニちゃんから依頼された。今助ける。静かに」


「待て、ニニを知ってるのか」


 説明する時間はなかった。アズサが鉄格子を開き、ロカの戒めを手早く解く。


 ずっと拘束されていたせいでロカの筋肉はだいぶ衰えていたが、さすがに冒険者で、すぐにアズサに歩調を合わせてきた。


「あんた、なんでここに、どうやって鍵を――ああくそ、とにかく信じて良いんだな!?」


「まかせて。これが仕事だから」


「仕事? なんの仕事を――」


「全滅事故調査官。生きてる間にお世話になるとは思ってなかった?」


「いや……調査官か。だがいいのか? あんたんとこの室長が命令したわけでもないだろ」


「関係ない。私は私の真実を求めて動いてる」


「真実?」


「セプテントリオン全滅事故。ギルドは何かを隠してる。調べた結果、ここに行き着いた。あなたに結びついた。そしてマズルという男に」


「ああ……あのクソ野郎……だがどうやって? マズルはな、お前のとこの室長を抱え込んでいるんだ。手がかりなんかなかったはずだ」


 地下室に伸びる階段を駆け上がると、強い陽光が二人を突き刺した。よく手入れされた広大な庭地の一角。アズサは迷宮のような垣根を迷いなく進んでいく。


 陽炎の先には豪奢な屋敷がそびえていた。それこそがアズサの探してきたセプテントリオン全滅の原因、ロカの行方を握る者――マズルという男の本拠地だった。


「ハティ――大噛主に聞いた。清青鍾洞で何があったのか、全部」


「……冗談だろ?」


 アズサの沈黙が何よりの答えだった。


「……調査官なんてのはみんなあの室長みたいな連中かと思ってたが、あんたは凄いな。歴戦の冒険者だって大噛主と相対したらビビっちまって声なんてでねえよ。俺もそうだった」


「他に方法がなかっただけ。でも、マズルが関わっていると知った時は、もう無理だと思った。冒険者ギルドの大口スポンサー。その御曹司。裏でやりたい放題してると聞いてた」


「ああ……まさにその通りだ。だからはっきり言って、助けてもらったことは感謝してるが、俺には無謀に思える。捕まる人間が二人に増えるだけなんじゃないか。それとも何か策があるのか」


「静かに。もうそろそろ出口」


 気がつけばもう二人は迷宮のような大庭園を横切り終えていた。錆びついた通用門を押し開き、飛び出した。


 だが、そこまでだった。


 出口で待ち構えていたマズルの私兵たちが一斉にアズサとロカを取り囲む。鋭い槍の切っ先が二人を捉えていた。ロカの舌打ちが虚しく響く。


「ちっ……だから言ったんだ! アズサさん、あんた泳がされていたんだよ! くそっ俺が囮になる! あんただけでも逃げ――」


 衛兵の一人に殴られ、ロカは力なく倒れた。孤立無援になったアズサに、忌々しくも聞き慣れた声がかかった。


「そのとおりだ、アズサ君。君は完全にギルドに背信したようだな?」


 開かれた槍ぶすまからゆうゆう姿を現すのはマズルと、室長だ。アズサは何も言わない。無言で室長のニヤケ顔を睨めつけていた。


「もはや呆れて言葉も出んよ。君は優秀な調査官だったはずだ。それがなぜ? いや、そんなことはどうでもいい。私は何もするなと命じたはずだ。命令が聞けぬ者は組織には必要ない。それだけの話だな」


「私は私の職務を全うしたまで。なぜ冒険者パーティは全滅したのか? その真実を追い求めただけです、室長」


「君は思い違いをしている。我々の職務は真実を暴くことではない。必要とされる真実を作り出すことだ。調査はそのための方便にすぎない。君は最後までそれがわかっていなかったようだがな」


「私はそうは思いません。真実を必要とする人が一人でもいるなら、私はそのために命でも捧げる覚悟です」


「ならばここで死ぬんだな、優秀なるアズサ調査官殿!」


 吐き捨てる室長を押しのけ、マズルが嫌らしい目つきをアズサに向けて笑う。


「おまえ一人で俺のもとにたどり着いたのか?」


「一人じゃない。色んな人の力を借りた」


「ふ~ん、いい目をしてるな? それに顔も不細工ってほどじゃない。それに俺は頭いい女って好きなんだ。いや、女なんてバカなほど良いんだが、だからこそさ。そういう頭のいい女が金の魔力に取り憑かれて、だらしなく俺の上で腰を振ってる様が好きなんだよな!」


「マズル坊ちゃま! こやつは今すぐ殺すべきです! この手の狂人は禍根を残します!」


「おーおー酷い上司だ。なあアズサちゃん、俺の女になれよ。じゃないと君、ここで殺されちゃうぜ?」


 マズルは腰をかがめ、ギラつく指輪のいつくも嵌った指をねっとりとアズサの頬に這わせていく。


 アズサは顔色一つ変えず、キッとマズルを睨み続けている。それがますますマズルの嗜虐心をそそるようで、彼は三日月のように口を歪めた。


「なかなか度胸があるな? 冷や汗一つかいてない。だがいまだけさ。俺が手籠にしてきた女の誰もがそうだったぜ。すぐに許しを請うようにな――」


「いいや、許しを請うのはてめえだよ」


 パキリ。


 唐突に場違いな、乾いた音が響いた。呆気にとられる室長の視線の先で、ひん曲がった指先をおさえて青ざめるマズルが呻いている。


「な――」


 次に彼らの視線は、いつの間にかマズルの背後に立っていた巨漢の影へと向いた。指先の鉤爪、リザード族特有の鱗ある肌。マズルの恐怖の形相を睥睨する金色の瞳。


「遅い」


 アズサが口をへの字に曲げる。ムルルラグが肩をすくめた。


「あのな、いきなりあんなこと頼まれてすぐ来れるわけねえだろ。しかも俺は病み上がりだぞ?」


「あーあ、もう少しで手籠にされるところ」


「おまえ意味わかって言ってるのか……」


 ため息を吐くムルルラグは、体のあちこちに包帯が残るものの、すっかり顔色を取り戻している。


 対して色を失ったのはマズルだった。彼は騒然としている衛兵たちに唾を飛ばして叫んだ。


「貴様ら何してやがる! お、俺の指っ……クソ! さっさとそのチンピラを捕えろ! 殺せ! 今すぐだ! 何してる!」


 だが衛兵たちはどよめくばかりで何もしない。マズルにはわけがわからなかった。ただ彼は、ムルルラグの背後に子供ほどの影が立っているのをみとめた。


 長い耳と白く長い髪。エルフ族の少女のようでもある。マズルは叫んだ。喉から血を吐き出しそうなほど強く。


「何だ貴様ら、あのガキが怖いのか!? まとめて殺せ! この能無し共が! 畜生、散々金を払ってやったのにこの役立たずのゴミめら――」


 永遠に続きそうなマズルの罵詈雑言はしかし、室長の消え入りそうな声に遮られた。


「ギ、ギルド長……?」


 マズルの顔が絶望に歪んだ。

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