第4話 スープとお風呂
ニニの家は手狭だったが、アズサは不思議と懐かしさをおぼえた。コボルド文化特有の、暖かみのある色使いと精霊信仰の装飾品のためかもしれない。
炊事場に立つニニは身長がまだ足りておらず、台の上に立ってもまだ足りない。背伸びをしてようやく鍋に届く。
それでもニニの料理は素晴らしかった。干し肉と赤茄子が入った湯気の立つスープが冷えたアズサの体と心を溶かしていく。
「おいしい」
「ほんと! やった! トモトスープ! にいちゃにいつも作ってあげるの」
「トモト?」
「トモト!」
木製のテーブルはロカの手作りだろう。テーブルクロスにはニニのものらしい猫の刺繍が施されている。
アズサは二人の慎ましくも微笑ましい生活が目の前に想像できる気がした。かたやアズサは両親が死んでずっと一人暮らし。寂しくはない。それでも、自分にも優しい兄がいたらどうだったろうと考えてしまった。
「ごめんね、夕ご飯までご馳走になって」
「ううん! お友達を大切にしなさいってにいちゃいつも言ってた!」
「お兄さん……ごめん、私ぜんぜん力になれてない。それどころかギルド、追い出されちゃった……どうしようこれから」
一ヶ月の謹慎処分。そんなに経ったらロカの手がかりは確実に消えてしまう。そもそも自分はギルドに戻れるのだろうか?
だが出来ることもない。謹慎中はギルドの助けは借りられない。ムルルラグ以外の冒険者も仕事を受けてはくれないだろう。だがそのムルルラグは療養中だ。
八方塞がり。アズサはまた泣き出したくなった。どこで間違えてしまったんだろう? いったどこで?
頭が重くなる。消えてしまいたい。アズサは自分が悪い感情の渦に飲まれているのがわかった。わかってもどうしようもなかった。
地獄のような顔を上げる。すっぽんぽんの全裸になったニニが視界に飛び込んで来て、何もかもが吹っ飛んだ。
「ニニ!? ちょ、なにしてるの」
「おふろはいる! アズサもいっしょにはいろ!」
「お風呂?」
「おいしいごはん食べてー、あったかいおふろはいってー、そしたら元気になる! コボルドの元気のひみつ!」
「でも一緒に入るのはちょっと、は、恥ずかしい……」
「おふろ! おふろ! 一緒におふろ!!」
そのまま風呂場へと連行されていくアズサ。ずっと一人暮らしだったせいで、ニニの前でさえ服を脱ぐのが恥ずかしい。
だが狭い湯船に一度浸かると、恥じらいも何もかもが溶けていった。ニニのふさふさした耳に顔をくすぐられながら、子供らしい体温を後ろから抱きしめる格好だ。
「おねえちゃ、怪我だいじょうぶ? いたくないの?」
「ちょっと染みるけど、平気。ほとんど擦り傷」
「おねえちゃもぼーけんしゃなんだよね? ニニだったら痛くて泣いちゃうよ。すごいなぁ」
「私は冒険者じゃない。冒険者が危ない目にあった時、どうしてそうなったのかとか、どうやったら次は防げるかとか、そんなことを調べるのが仕事」
「ふーん」
全滅事故調査官の仕事はニニには難しいらしい。だが、言いながらもアズサは気分が落ち込んだ。室長には全滅防止策を何度も訴えてきた。安全のために実施すべきことはいくらでもある。
だが「ギルドにそんな余裕はない」「危険にもひるまないのが冒険者の誇りだ」と常に室長に切り捨てられてきた。
防げるはずの事故がたくさん起きた。その度にもっと仕事を頑張った。犠牲になる冒険者を減らすために。真実を知らない遺族を減らすために。
頑張って、頑張って、頑張って……少し、疲れた。
「気持ちいいね、お風呂……」
「でしょー? でも一人でお風呂はさみしいよ。アズサおねえちゃが来てくれてニニ嬉しい!」
「そっか。一人は寂しいよね……私はずっと一人だったから、よくわかる」
「そうなの? パパとママ、いないの? ニニたちとおんなじだー」
「うん……私のパパとママはね、冒険者だったんだ。でも才能なかったんだね。すぐに死んじゃったの。どうして死んだかがわからなくって、なんだか嘘みたいだった。二人の死体はよくできた偽物で、私を驚かせるための意地悪なんじゃないかって」
後ろから抱きしめているせいでニニの表情は見えない。
子供の前でこんな事を話すべきじゃないとアズサはわかっていたが、どうにも口が止められない。両親のことを考えると、彼女はいつも自分が制御不能になるのがわかる。過去から記憶の洪水が押し寄せてくるような。
「だから私は調査官になったの。私みたいな人間が生まれないように。真実が隠されて、見えなくなってしまわないように」
「おねえちゃ……」
「ごめんねニニ。せっかく気持ちいいお風呂なのに、私こんな話ばっかり」
「ううん! ニニ、おねえちゃがいてくれて嬉しい! 」
「なんで急に……」
「ニニね、最初はギルドの人に聞いたの。にいちゃ知りませんかって。でもみんな聞いてくれなかった。おねえちゃだけだったの。ニニのお話聞いてくれた人」
「そうなんだ……」
「だからね、おねえちゃがいなかったらニニ、にいちゃのこと何にもわからないままだったよ。だから嬉しいの、おねえちゃがいてくれて! ありがとう、おねえちゃ!」
「そっか……」
ニニの笑顔は太陽のようだった。
真実を追い求めること。その是非をアズサはまだ知らない。だがそれでも、アズサによって救われたという少女がここにいる。それだけで十分なのかもしれなかった。
いずれニニは残酷な真実と向き合うことになるかもしれない。それでも今は、ただこの子のために頑張ろうと勇気が湧いてくる。
結局、真実を求むるべきかどうか? その真実を暴くことを一番恐れているのは自分だった、とアズサはふと思った。
セプテントリオンとロカを巡る真実を突き止めてやる。メラメラと覚悟がアズサの胸に蘇ってきた。
「ニニ、家の中を調べてもいい?」
「うん、いいけど……どうして?」
「お兄さんのことを調べたい。今の私には何にもないの。ムルルラグも動けないし、ギルドの力も借りられない。でも、このまま室長の言う通り謹慎なんてしてらんない。ニニ、お兄さんはきっと家の中にも手がかりを残してるはず。一緒に探そう、お兄さんの行方につながる手がかりを!」
「そっか! うん、ニニも探す! それなら、あのね、にいちゃのお仕事用の倉庫があるんだけど……ニニは危ないから絶対はいっちゃダメだって言われてて……アズサおねえちゃと一緒なら、いいかな……?」
「倉庫……うん、調べてみよう」
お風呂ですっかり温まった二人は、清潔な服に着替えてからロカの倉庫の扉の前に立った。
年季の入った木の扉を押し開く。重苦しい音が響き、埃っぽい冷えた空気が二人を絡め取った。ぎゅっとニニがアズサの背に身を隠した。
「すごい……」
アズサがランタンを掲げると、ずらりと並んだ冒険者の装備品が照らし出される。
一角には砂漠用の遮光マントや寒冷ダンジョン用の耐冷コートが几帳面にかけられており、もう一角は回復品用の薬品棚のようだった。松明やロープなどの消耗品を詰め込んだ箱もあった。
ただ、ざっと見た限り種類は充実しているが、どれもあまり良い状態ではなかった。おそらく様々な場所から中古品を買い集めたのだろう。
おそらくロカは、準備を怠らない優秀な冒険者である一方、中古品しか揃えられないあたり稼ぎが良い方ではなかったとアズサは見て取った。寒冷地用から砂漠用まで装備が整っているのも、あまり依頼を選べる立場になかった事を示している。
ひょっとするとロカは、コボルド族という出自のせいで実力以下の評価に甘んじていたのかも――。
アズサの脳裏にムルルラグのことがよぎる。彼もリザード族の珍しい外見のため、実力がありながらも名のあるパーティに入れずにいた。
冒険者の世界は実力主義だと思われがちだが、実際はもっとずっとシビアなものなのだ。命を預ける相手はできる限り自分に近い存在がいい。そう考えるのは自然なことだ。
「ロカさんが素晴らしい冒険者だってこと、この倉庫を見ただけでよくわかる」
「うん! にいちゃはすごい冒険者なの! ねえねえ、ニニは何をてつだう?」
「手伝うこと、うーん……あ、待って。これは何……装備じゃないし……」
その平たい袋にしまわれていたのは、まさにアズサの探し求めていたものだった。特徴のある七つ星。【セプテントリオン】のパーティ認可証、その写しだ。
「あった」
アズサが静かに快哉を叫ぶ。よくわからないが一緒にニニも喜んだ。
セプテントリオンのパーティ認可証がロカの家にある、それが意味するところは一つしかない。ロカもまたセプテントリオンのメンバーだったのだ。おそらく今回の探索から新たに加わったのだろう。それでアズサもムルルラグもロカがメンバーだと知らなかったのだ。
だがその探索が、セプテントリオンのロカとしての最初で最後の冒険になってしまった。
「やっぱりロカさんは清青鍾洞にいた。間違いない」
しかし新たな謎が生まれる。アズサが見た死体の中にロカの痕跡は無かった。彼はどこへ消えたのか? それを調べる方法は、アズサの考えうる限り一つしか無かった。
「ニニ」
「う、うん」
「これからお兄さんのことを調べに行く。でも、その途中で私は死ぬかもしれない」
「お、おねえちゃ……?」
「もし私に何かあったら、その時は、ムルルラグっていうリザード族の冒険者を探して。きっと良くしてくれる」
「おねえちゃ! やだ、死んじゃやだ! 戻ってきて!」
「……うん。私も死ぬ気はない。やっぱり撤回! やることが山積み。ごめんねニニ、約束するから。必ず生きて帰ってくる。お兄さんの行方を見つけてくる」
「うん!」
ニニの家を出る時、もう雨は上がっていた。夜の闇を冷たい強風が渦巻いていた。
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