第3話 謹慎処分
「……ちゃ! おねえちゃっ! 死んじゃいやだっ! ニニもういやだっ! 死なないでっ!」
少女の泣き叫ぶ声が目覚ましになった。アズサの目覚めは悪かった。
麻痺魔法を駆けられたみたいに全身が重い。爆炎魔法を食らったみたいに四肢が痛い。
「つっ……」
呻きながら両腕の先を確認する。指に欠損は無かった。包帯だらけだが、とにかく頭の天辺からつま先まで無事だった。
目を覚ますと両腕両足が無くなっている――そんな話は、冒険者稼業をしていれば与太話でもなんでもない。
とにかくアズサは胸をなでおろした。それから、調査官でも冒険者向けの保険に入れないかをぼんやり考えた。
「ねえちゃ! 起きた! 生きてる!」
「ニニ! ここはギルドの医務室? どうして私……」
「ニニ、ギルドで待ってたら血だらけのねえちゃが運ばれてきて……死んじゃったかと思った……でも生きてた! ニニ嬉しい!」
「ギルド……そっか私、大噛主に襲われて……」
大噛主――六つの足と七つの目を持つ巨大な犬のような魔物。清青鍾洞のヌシであり、脅威ランクは同じダンジョン内の魔物より二つも三つも高い。
徐々にはっきりしていく意識の中で、アズサはダンジョンでの事を思い出す。
ニニの兄、ロカを探しに清青鍾洞へと潜った。だが見つけたのは実力派パーティの【セプテントリオン】の遺体。そこで調査を進める暇もなく、大噛主に襲撃された。
そしてアズサは、ムルルラグと一緒に慌てて逃げ出して――
「ムルルラグ! ニニ、私と一緒にいたリザード族の人、知らない!?」
明るかったニニの表情がスッと曇る。それがアズサの胸中をざわめかせた。胃がひっくり返りそうなムカムカがこみ上げてくる。
「トカゲのおじさんは……えと、すごく怪我してて……おねえちゃよりたくさんの治療師さんたちが診るんだって……」
「死んだの!?」
「ニニわかんない……ご、ごめんなさい……」
アズサは弾かれたように飛び起きた。全身の怪我が一斉に抗議の激痛をあげるが、耳を傾けている暇はない。
不安がるニニを慰める余裕もなく、片足を引きずりながらもギルド施設の奥――重症者の治療室を目指した。
時折通りかかる冒険者やギルドのスタッフが、包帯まみれのアズサをぎょっとして振り返る。
それすらも気に留めず、アズサは治療室の扉を開け放った。息が止まった。半透明の、巨大な薄緑色をしたゲル状の液体の中にリザード族の巨漢が浮かんでいた。
血の気が引いたが、アズサはすぐに気がつく。緊急治療用のリジェネ・ゲルだ。高価だが、熟練の魔術師に回復魔法をかけられ続けているのと同等の効果がある。
駆け寄ると、億劫そうにムルルラグが目を開いた。
「あぁ……生きてたかアズサ……俺ぁ大赤字だぜ……」
リジェネ・ジェルの使用料はムルルラグの依頼料を遥かに凌ぐ。アズサは脳内で素早く算盤をはじいてみた。貯めてきた貯金を崩せばなんとかなりそうだ。未来の結婚資金の予定だったが、素敵な王子様が現れる予兆など微塵もない。構うこともないだろうと結論。
「大丈夫。私がどうにかする。今は治すことだけ考える」
「なンも考えられねえよ……いや……」
ムルルラグが浅く呼吸をする度に細かなアブクがゲルの中を浮かんでいく。トカゲめいた金色の瞳が細まった。
「なぜ大噛主があんなトコにいたんだろうな……?」
「それ! 私も気になった。やっぱりおかしい?」
本当はムルルラグを休ませたかったが、アズサは自分の脳みそが音を立てて回転し始めるのを感じた。
謎がある。目の前に大きな謎があるのがわかる。調査官の仕事はいつでも謎と向き合うことだ。
アズサは自覚していないが、不可解で不可思議な謎はいつでも彼女を高揚させる。輝きを帯びるアズサの瞳、それを見たムルルラグの低い唸り声。
「たしかに大噛主ならセプテントリオンを全滅させても不思議じゃない。ううん、セプテントリオンを屠ったのは確実にあの大噛主だったはず」
「なぜわかンだ……」
「そうじゃなきゃ私達、こうして生き延びてない。大噛主はセプテントリオンと戦ったばかりで疲れ切っていた。だから私達を殺しきれなかった」
「俺がスゲーツエー冒険者だからってのは……」
「ムルルラグは強いけど、ヌシ級モンスターから私を庇って逃げ切れるほどは強くない」
褒められたのか貶されたのかわからず、微妙な顔で閉口するムルルラグ。その間もアズサはもはや独り言のようにぶつぶつと考えを口にしている。
「そう。セプテントリオンは大噛主に全滅させられた。でもなぜ? なぜセプテントリオンは大噛主に手を出した? 大噛主は凶暴な見た目に反して温厚な性格の魔物。あえて縄張りに入って挑発しなければ襲われない。セプテントリオン程の実力者たちなら勝てない戦いなんてしないはず。ならなんで……」
「アズサ」
「わからない。偶発的な事故? いいえそんなはずない。全滅地点は大噛主の縄張りの外。意図的に誘き出さない限りあそこにはいない……」
「おいアズサ……ゲホックソッ、声が出せねえ……なあおい、依頼主を放っておくなよ」
「え、あ……ニニ!?」
ハッとするアズサの服の裾を、コボルドの少女が遠慮がちに掴んでいた。その目は今にも泣き出しそうだった。
一瞬それは、自分が置いていって寂しがらせたせいだとアズサは思った。だが、事態はもっと面倒で厄介なことになっていた。
「おねえちゃっ……」
ニニに引かれていった先、酒のニオイがつんと鼻を刺す、そこは冒険者ギルドの表の酒場。
既に店内は騒然として、居合わせた冒険者たちが叫んだり、泣いたり、怒鳴ったり、あるいは愉悦の笑いをあげたりする声で溢れかえっていた。
「みんな速報速報! セプテントリオンが全滅したって!」
「いや! そんなの嘘よ嘘! 私の推しパーティだったのにぃイ!」
「ははぁ! ついにあの連中も墜ちたか! いけすかねえ三人組だったなあ!」
「おい待て、四人組だヨナ? 最近新しいのを入れたんじゃなかっタカ?」
「否、張り出されてるのは三人で全部だ……貴様の勘違いだろう……」
ギルドによって全滅が認定されたパーティは、その告知が行われることになっている。もちろんそこらのパーティが幾星霜消えたとして誰も気にかけない。
だがセプテントリオンのような知るものの多いパーティの全滅は別だ。それは一種のお祭り騒ぎを引き起こす。粛々と黙祷する者は滅多にない。冒険者という人種はそうしたものが多かった。死を悲劇と思うようでは彼らの稼業は務まらない。
だから、アズサの頭を混乱させたのは喧騒ではなかった。
なぜセプテントリオンの全滅が知れ渡っている?
彼らの全滅を見つけたのは自分が最初だとアズサは考えていた。実際、死骸虫による損壊が激しかったとはいえ、死体はまだ原型は留めていた。セプテントリオンの全滅からアズサの発見まで一日も経っていないはずだ。それ以上経っていれば骨と装備だけになっている。
もちろんアズサは誰にも伝えていない。ムルルラグがギルドに伝えたのか? だが彼はアズサ以上の瀕死だった。詳しい報告などできないだろうし、なによりアズサに断りもなく調査結果を漏らしたりしない。
「おねえちゃ……だれかが死んじゃったの? にいちゃ? にいちゃのこと!? やっぱりニニのにいちゃは――」
「大丈夫、ロカのことは何も書かれてない。大丈夫。大丈夫だから」
「そっか……でも、だれかが死んじゃったんだ……」
肩を落とすニニの隣でアズサは深く息を吐きだす。何もかもわからないことだらけだった。
セプテントリオンはなぜ温厚なはずの大噛主を挑発し、全滅させられたのか?
なぜ彼らの全滅がもうギルドに伝わっているのか?
そしてニニの兄、ロカはどこに行ってしまったのか?
アズサは頭から湯気がでそうだった。
「どうして……」
答えは出なかった。だというのに、苛立ちに歪む見飽きた顔が答えた。ばっさりと。
「それはギルドが正式に調査依頼を出したからだ、アズサ。非公式に調査をしたそうだな? 上司である私への報告もなく」
全滅事故調査室の室長が侮蔑的な目をアズサに向ける。だが苛立ちの中にどこか勝ち誇ったような余裕もあった。
「依頼人からの話を分析し、緊急性の高い事案だと判断して調査を行いました」
「そうだ。私への報告も連絡も相談もなくな」
「ギルドからの調査依頼?」
「セプテントリオンは貴族や商会からの依頼も受け持つパーティだった。その全滅はギルドにとっても一大事となる。その程度のこともわからないのか、君は?」
「そんなことはわかってます」
遠慮のないアズサの返答に室長の禿げ上がった額に青筋が浮かぶ。
もっともアズサに悪気はない。端的な言葉遣いは素早く情報を伝えられる。冒険者やその関係者には、室長の好むような迂遠な表現を嫌う者は多かった。
「疑問なのは、ギルドがどの時点で依頼をだしたのかということ。私がセプテントリオンを発見した時、まだ彼らの全滅からさほど経っていなかった。明らかに真実とはことなる調査報告が行われていたはず」
「もはやどうでも良い! アズサ! 君は正式な依頼でもなく調査を行った! これは重大な服務規程違反だ。規則により君は一ヶ月間の謹慎処分となる」
「そんな規定聞いたことないです! 室長だって、忙しいから事後報告で済ませろと普段から言って――」
「黙れ! これは決定事項だ! いいな! いつもいつも無駄なことばかりしやがって! さっさと行け! 出て行け!」
「…………はい」
逆らっても無駄だ。室長は所詮は中間管理職だが、それでもアズサの上司である。その気になれば適当な理由をつけてアズサをギルドの地下牢にぶち込むこともできる。
そうされる前に外へ出た。人いきれから開放される。甘い雨の匂い。すっかり忘れていた全身の傷が急に息を吹き替えしたように開き、痛みがアズサを追い打った。
「ぐうぅ……」
石段の上に座り込むと雨がアズサを包み込んだ。頭を回転させていた反動がきたようだった。雨に打たれ、急速に世界が冷めていく。
「アズサおねえちゃ……怒られちゃったの?」
ニニがアズサの隣にちょこんと座る。ギルドに出入りする人々は二人のことを目にもくれない。
「……そうみたい」
「ニニのせい?」
「ちがう……」
アズサは声の震えが止められなかった。魅力的にさえ思えた不可解な謎達が燃え上がり、彼女に牙を向いたようだ。
いったい自分の調査が何をもたらした? 恋人を失った女性は嘆き悲しみ、ムルルラグが大怪我を負い、果ては謹慎処分だ。もたらすどころか失い、傷つけてばっかりに思えた。
「私、私は、いつも間違っちゃうみたい。誰だって大切な人の最期を知りたいはずだって思ってた。そうするべきだって。本当のことを、真実を、知りたいはずだって……でも、そうじゃないのかも……私、いつもからまわりしてるみたいだ……」
もちろんそんな事をニニに話してもしかたない。アズサもわかっている。それでも止められない。肩を震わせ、みっともなく泣くのを止められなかった。
「おねえちゃ、ありがとう……」
そっと頭を撫でるニニの小さな手が、なんだか無性に温かかった。
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