第2話 ダンジョン実地調査

 アズサのブーツが踏みしめた地が柔らかく沈む。その前に足を引き上げて進まなくてはならない。このあたりの地面は多量の水分を含んでいるため、全体が浅い沼地のようになっているせいだ。


 清青鍾洞と名付けられたこのダンジョンは、天井から突き出す青色の水晶が美しく、入口付近は観光地としての人気もある。


 しかし一度奥に潜れば話は別だ。中級冒険者の登竜門とも呼ばれ、夢と前途のある若者を無慈悲にも飲み込んできた。


 当然、アズサも仕事で何度も訪れてきた。多湿な環境のために死体の腐敗が早く、ろくな思い出がない。


 ただ、今日ほど深くまで潜ったのは初めてだった。清青鍾洞はところどころ天井が地表とつながっているためダンジョン内部でも日差しが届くのだが、ここらはもうかなり薄暗い。


「まだ……着かないの……?」


 アズサはすっかり息があがっていた。一方で先を往くムルルラグは流石に熟練冒険者であり、鱗顔には僅かな疲れものぞいていない。


「大丈夫か? 無理すんなよ、少し休んでもいいんじゃねえか」


「ダメ……ここは死体がすぐ腐るから……手がかりがなくなっちゃう……」


「そりゃ勘弁だな。ただまあ、あのおチビちゃんの話じゃあそろそろのはずだぜ。もっとも、子供の記憶がどこまで当てになるんだかな」


「それは大丈夫……あの子はお兄さんをとても大切に思ってる……大切な人のことを間違えたりしない……」


「おい! マジでふらふらじゃねえか! だいだいお前はいつも報連相が足りてねえんだよ! この前の仕事だってなあ――」


 足がもつれてぬめった壁にもたれかかる。無論アズサは一般人よりも遥かに体力がある。そうでなくては調査官は勤まらない。


 それにいつもはもっと休憩を取りつつゆっくりと降りていく。今日は急ぎすぎていた。確かに焦りがあった。アズサはすっかり忘れていたが、もう十六連勤目である点も拍車をかけた。


 ムルルラグが呼びかけている。だがそれも遠い。それよりもあのコボルド族の少女とのやり取りが、糖分不足でぼうっとするアズサの頭の中でぐるぐるとめぐっていた。


 地下水のせせらぎが薄まっていき、アズサの意識は昨晩のギルド酒場に引き戻されていく。


「にいちゃがっ! にいちゃが死んじゃっだあっ!」


 その少女はニニと言った。コボルド族らしい獣めいた耳とふさふさの尻尾。平時ならさぞ和やかな気分になっただろうが、アズサの胸はざわついていた。


「落ち着いて。お兄さんは冒険者なの?」


「にいちゃはニニのごはんのためにお金かせぐって……」


 ニニは明らかに混乱している。アズサは咄嗟に聞き方を変えた。


「お兄さんはよくこのギルドに来ていたの?」


「うん……」


 ビンゴだった。無論そうでなければアズサを尋ねた意味がわからない。おそらくニニの兄は、自分にもしものことがあれば事故調査官を頼れと妹に伝えていたのだろう。それだけでも周到で家族思いの人物だとアズサには想像できた。


「わかった。私を頼ってくれてありがとう。だけどニニ、どうしてお兄さんが死んだことがわかったの?」


 普通、冒険者の死が直接明らかにならない。ギルドに届け出た予定帰還日から二週間をすぎると、冒険者ギルドが公式に遺族に対して死亡を伝えることになっている。だがアズサの把握している限り、ここ数日でコボルド族の冒険者で死亡がアナウンスされた者はなかった。


 ニニは少しだけ困惑したように俯いた。明らかに何かを隠している。だが結局、兄への思いが勝ったようだった。少なくともアズサはそう信じた。


「今朝ね、ギルドの人が来たの……それで、にいちゃが死んだって、お金を渡されて、それでっ、だ、誰にも言うなって……」


 それからは、ニニの困惑がアズサに伝染したかのようだ。


 なぜギルドの人間が? 言うまでもなくギルドは死亡した冒険者の遺族に金を出したりしない。口止めというのも不可解だった。


 しかしニニはそれ以上の事を知らなかった。


 ただ、ニニの兄――ロカと言った――は冒険に出る前に目的地をニニに告げていた。「青い宝石が生えた洞窟に行くんだよ。その一番奥には地下なのに川が流れていて、俺たちはそれを調査しに行くんだ」と、誇らしく。条件に合致するダンジョンは清青鍾洞以外にはなかった。


「お兄さんのことは私が調べてくる。約束する。それまで、ニニはこの事を誰かに話したらダメ。大丈夫?」


「うん、約束する……やっぱりにいちゃは死んじゃったの?」


「……わからない。もしそうだったら……ニニはそれを知りたい?」


 いっそ辛い現実なら知らない方がいい。アズサの胸に蘇る上司の叱責。だがニニの答えは「わからない」だった。アズサもそれ以上は追求しなかった。


 ……もしあの時ニニが「知りたくない」と答えいていたら? 


 悪寒がアズサを現実に引き戻した。顔色の分かりづらいムルルラグが目の前で叫んでいる。


「おい! しっかりしろ! ダンジョンで過労死するんじゃねえ! アズサ!」


「ムルルラグ……」


 そこはもう人いきれと酒のにおいがむせ返るギルドではなく、清青鍾洞の冷たい空気の中だった。


 意識を取り戻したアズサにムルルラグが胸をなでおろす。仲間の死だって何度も目にしているだろうに、この大男が自分の心配をするのがアズサには意外で面白かった。


「なに笑ってんだよ!?」


「べつに。それよりロカを探さないと」


「あのなあ! そんな状態で無理だろどう考えても! 今から引き返すぞ! いいな!?」


「ダメ、ニニとの約束だから」


「いやダメだな。依頼人の生命を守るのが俺の仕事だ」


「ちょっ、おろして! おろしてってば!」


 ムルルラグの巨体に背負われ、アズサの目から地面が普段の二倍近い遠いとこに見えた。どんなにじたばたもがいても強靭な筋肉はびくともしない。


 だが、アズサの抵抗は不意にぴたりと止んだ。訝しむムルルラグ。その頭上から発せられる鋭い命令。


「ムルルラグ! 向こう! 遺骸虫!」


「あん?」


「遺骸虫が一箇所に集まって飛んでるの、見えない!? 遺骸虫の習性は知ってるでしょ?」


「知らねえよ! そいつが切り殺せるかどうかしか俺は知らねえ! そして虫は切れねえだろたぶん」


「遺骸虫は冒険者の死体に群れで集まる。辿っていけばその先に死体があるの。もしかしたらロカの遺体かも」


「……ちくしょう! わかったよ行けば良いんだろ行けば! 料金割増にするからな!」


「ありがとう。あっち、あの窪地のところ!」


 ブツブツ文句を言いながらも、ムルルラグの速度は素晴らしかった。次からは現場まで肩車してもらおうかという考えがアズサの脳裏をよぎる。が、料金を百倍にされそうなのですぐに打ち捨てた。


「うおっ凄え羽虫の量だな……こいつら毒とか持ってねえよな……?」


「大丈夫。遺骸虫は死体の放つ毒素と腐臭を分解して栄養にする。だからむしろすごく清潔。そのせいで死体が見つからなくなるんだけど」


「へえ。すげえなおまえ、よくそんなこと知ってるな」


「私いちおう専門家です」


「お、そうだったか? いきなりぶっ倒れたりしたせいでただの観光客かと思ってたぜ」


「なにそれ……」


 二人の軽口は、しかし窪地まで辿り着くとピタリと収まった。


 蠢く黒い物体が3つ、壁にもたれかかっていた。四肢があり、頭部があり、人間のように見えた。しかし炭の塊のように真っ黒だ。しかもなぜ細かにうごめいているのか?


 ムルルラグにはその理由がわかってしまった。その肩からアズサがひょいと身を躍らせる。顔色一つ変えずに死体へと歩み寄っていく。


「お、おい」


「ムルルラグ。目と口、閉じた方がいい」


 その言葉を合図に、三つの死体が同時に弾けた。否、弾けたように見えた。死体に群がっていた数百数千という数の遺骸虫が一斉に飛び立ったのだ。


 二人は漆黒の砂嵐に巻き込まれたようだった。

 

「うおっ……」

 

 悲鳴をあげたムルルラグの口に遺骸虫が何十と飛び込んでくる。アズサは目を閉じ口をふさぎ、嵐の中を突っ切った。莫大な数の羽虫はダンジョンの何処へと一瞬の内に飛び去っていった。


「ぺえーっぺっ! おい早く言えよ!?」


「ちょっと仕返し」


「お前のは洒落になってねえんだよ!」


「死骸虫は清潔だから大丈夫。むしろ栄養になる」


「そういう問題じゃ……」


「それより死体の確認。思ったより損壊が酷い」


 遺骸虫に分解された死体は、辛うじてそれらが人間だったことが理解る程度のひどい状態だった。


 反面、武具や衣服などの装飾品はきれいな状態で残っている。死骸虫はその名の通り死骸にしか興味を示さないからだ。


 黒々と穴のあいた眼孔がアズサを見つめている。彼女は意に介さず、軽く祈りの言葉を唱えてから彼らの装備品を調べた。


「相変わらずよく平気で触れるな? タフな冒険者だって同胞の死体ってのは触りたがらないもんだぜ」


「死体は怖くない。むしろ悲しい。誰だって死にたくなかったはず」


「そうだな」


 アズサは淡々と調査を続ける。遺体は情報の宝庫だ。大部分の肉と臓器をくらわれていてもそれは変わらない。


 冒険者用の万能ポーチも漁っていく。煙草やナイフなどの必需品の中に、アズサの探しているものもあった。


「見つけた。パーティ認可証。これで身元がわかるはず」


「ま、清青鍾洞で全滅するようじゃ大した連中じゃないな。俺だってソロで一週間でも宿泊できる。ホテルみたいなもんだぜ」


「静かに……これ、7つの星のエンブレム……まさか【セプテントリオン】……?」


 ムルルラグの笑い声が凍りついた。アズサも訝しげに眉をひそめる。


 【セプテントリオン】は絶賛売出中の人気パーティだ。腕も確かで人気も高い。彼らへの依頼はゆうに半年待ちの状態が続いている。


「ありえねえ! あいつらがこんなダンジョンで全滅するはずねえだろ!」


「でも、間違いない。服装や装備から見ても、青星のケンロ、赤熱のリン、浮雲のジューウ……全滅したなんて情報聞いてない」


 戦力だけで考えれば、彼らの誰か一人でさえムルルラグを上回って有り余る実力者たちである。それが三人もいて全滅するだろうか?


 また、ロカのこともアズサには気がかりだった。セプテントリオンの死とロカ、何か関係があるのか?


 謎は山ほどあったし、調べたいことも膨大だ。しかしアズサに与えられた時間は、誰かが砂時計のガラスを破壊してしまったように、唐突に失われてしまった。


「……おい。セプテントリオンがなんで殺られたかわかったぜ……」


 押し殺したムルルラグの声。振り向いたアズサが息を呑む。


 見れば、リザード族の巨体越しに見てもなお重厚な影が二人に迫りつつあった。

 

 小屋ほどもありそうな体躯、全身に逆だった体毛、突き立てられた何本もの武器さえ意に介さず、地響きを立てて向かってくる魔物。


 巨大な犬のようだと言うこともできた。足が六本、真紅に輝く瞳が七つある点を無視すればの話だが。


「……逃げるぞ」


「でも、まだ」


「死にたくなきゃ走れ!」


 今度こそアズサは逆らえなかった。


 弾かれたように逃げ出した二人の背後、証拠を満載したセプテントリオンの死体が、魔物の突撃で無慈悲にも崖下に吹き飛ばされていく。


 だが気にかけている暇はない。歯を食いしばり、疲弊した体に鞭打つ。全ては生き延びてからの話だった。

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