晩餐会

* * *


 ビビアンのディナーには、ヴァイオレット・ホールの支配人ホイットニー氏のほか、財団が育てた若者エルヴィスとその婚約者、そして現在のプレスコット伯爵キース卿が出席していた。

 キース卿は、年の頃四十前後で質素な服に身を包んでいた。爵位を継ぐまでは他の地方で会計士をしていたらしい。所作や言葉の端々がどことなく粗野な印象で、育ちを察してしまう。そして、ビビアンに対してはよそよそしかった。お互いに赤の他人だし、遺産の扱いなどで思うところがあるのだろう。


 僕は、彼女の古い友人で新進気鋭の作曲家だと紹介された。

「ティモシー卿は昔からバイオリンとピアノを嗜んでいらしてましたが、今は立派な音楽家ですわ。楽団を編成して王都や地方へ出掛け、市民の皆様に素敵な楽曲を披露する活動をされているそうですの」

 良いように言ってくれるのはありがたいけど、奥ゆかしい夫人風の台詞が彼女の口から出るのには違和感しかない。


 ホイットニー氏は芸術に理解ある郷士といった印象で、やり手でもあった。この地方を盛り立てることに情熱を燃やしていて、もっと垢抜けた演目をホールで上演して観光客を呼び込み、周辺にも波及させて文化の底上げをしていきたいと語った。

「王都の水で洗ったような、瀟洒で華やかなショーが必要なのですよ。ティモシー卿、あなたの招待を受けてコンサートも覗かせていただきました。よくまとまったアンサンブルではありますが、いささか小ぢんまりとしてますな。いや、お気を悪くしたら申し訳ない」

「構いませんよ。批判こそが僕たちを洗練させてくれますので、気兼ねなくお話しください」

「そうですか、では。

 私が拝聴したのは二曲かそこらですが、どうものっぺりとしていると言うか…ただ耳障りではないという程度で、印象に残らない。舞踏会の黒子として演奏するならちょうど良いですが、もっと主張してもいいのでは?」

「と言いますと?」

「ええ、演奏が始まった瞬間から観客を引きつけ、聞かずにはいられないような、そんな力のある音楽を聴きたいものです。音楽が主役、奏者が主役。純粋に聴くためだけに聴く音楽でないとショーとして成り立ちません」


 なるほど。僕や仲間たちは、皆伴奏だのBGMだのの仕事が多かったために、小綺麗だけれど主役の邪魔にならないような曲作りをしてしまう癖がついてしまっていたんだろう。


「どうですかな、思わず曲に耽溺してしまう、夢の中を旅するような気分にさせてくれるような、そんな曲をもしお書きになられましたら、ぜひご連絡ください。必ずヴァイオレット・ホールで上演させていただきますよ」

「…ありがとうございます」

 そんな曲はない。僕だってぜひ作りたくて何年も前から挑戦しているけど、まだものになっていない。ホイットニー氏の眼鏡に適うには、道が遠そうだ。


「ホイットニーさん、どうぞご期待してらして。ティモシー卿はこれから輝く御方だと、わたくし信じていますわ」

 ビビアンが助け舟を出してくれた。でも持ち上げられ過ぎてちょっと居心地悪い。

「奥様が太鼓判を押されるなら、それは素晴らしい才能をお持ちに違いないですわ」

 エルヴィスの婚約者が同意する。

「エルヴィスの才能を見出して、財団の支援をお申し出になられたのも奥様ですもの。あの時は、私以外にも彼の才能を信じて下さる方がいた!と、とっても嬉しかったですわ」

「本当に、僕も深く感謝しています。でも僕は奥様のご指導のおかげで何とか一人前になれたようなものですが」

「まあエルヴィス、あなたはもっと自信をお持ちなさい。わたくしはただ簡単にアドバイスしただけよ。そこから新しい技法を生み出して美しいレースを編み上げたのはあなた。エルヴィスにしかできないことよ」

「はい、奥様」

「それにあんまり謙遜しては、あなたを支えてくれたルシンダ嬢にも失礼ですよ」

「! そ、そうですね。すまない、ルシンダ」

 いやはや。ビビアンは伯爵夫人の貫禄を見せつけた。一体どうやってここまで大化けしたのやら。

 エルヴィスとルシンダはにっこりと微笑み合っている。エルヴィスはしばらく財団の支援を受けながら修行していたが、この度一人前の職人として大手の仕立屋に雇われることになったそうだ。それを斡旋したのもビビアンだ。

 …ああ、あの靴下フェチの店なのか。前途ある若者のために、彼女は文字通り一肌脱いだわけだ。

 僕は思わず笑いが漏れそうになり、ナプキンで口元を隠した。彼女なりに精一杯仕事をし、貴族の務めを果たそうとしているんだということはよく分かった。売り込み方にはちょっと難があるけど、彼女のを最大限活かした結果なんだろう。


 ディナーの後、キース卿は仕事を残していると言って屋敷へ帰っていった。

 立ち去る前に僕にくれたアドバイスはなかなか奮っていた。

「ティモシー卿、財団やホールは残念だったね。だが楽士も職人のうちだ、芽が出るまでは一朝一夕とはいくまい。精々修練したまえ。

 まあ君も学園で教養を修めたのなら、官僚や法律家などもっと潰しの効く仕事もあったろうに、物好きなことだ」

「…お気遣い、どうも」

 貴族の息子が本気でやることではないとは言われ慣れているけど、にわか貴族にまで見下されるとはね。確かに会計士の方がよほど手堅い仕事には違いない。でも形式的にでも便宜を図ろうとしたホイットニー氏や、正に職人のエルヴィスまでまとめてぶった切ってるのはいただけない。

 彼との握手は手短に済ませた。人差し指にはめたオニキスの指輪が何だか不吉で、そんなところも気に入らなかった。


 サロンには小さなピアノがあったので、余興がてらに小綺麗だが邪魔にならない曲を弾き、エルヴィスと婚約者にダンスをさせてやった。コンサートには足を運べなかったというビビアンにねだられ、持参したバイオリンでも一曲弾くことになった。

「あなたバイオリンの方が得意でしょう? 何かとっておきの曲をお願いしたいわ」

「…では、未発表の曲を」

 僕はバイオリンを構えて静かに弓を動かし始めた。


 憂い気なテーマから始まり、続く軽やかなメロディは夏の風や川のさざめきを思わせる。乱反射する光のように曲は盛り上がりを見せ、一転してまたテーマに戻ると、静かな痛みを伴うかのようなシークエンスと軽やかなメロディの断片が交互に現れ、尾を引くように終わる。


 この曲は六年前に作ったものの、未熟すぎて何度も手直しをしていた。それでもまだ完璧には思えない。だから未発表だ。永遠に完成しないとすら思ってる。

 あの夏の日の川べりの光景は僕の心に焼き付いてしまい、手直しの度にとどかぬ想いとともに蘇る。一層美化されていくせいで、曲が追いつかないし彼女を忘れることもできない。手直しは不毛な趣味になりかけていた。


 ホイットニー氏が、ゆっくりと力強い拍手をくれた。

「これはなかなか印象的な曲ですな。先程の論評は撤回したくなりました。ぜひ新曲に期待したいところです」

 見直したけどまだ諸手を挙げて採用というわけじゃないらしい。

 リクエストした本人の方は、居眠りもせずにちゃんと聴いていた。何か響いたのか、さり気なく指先を目の縁にやると、すぐ貴夫人の顔で礼を述べた。


 程なくホイットニー氏の迎えの馬車が到着し、彼もいとまを告げた。エルヴィスたちは歩いて帰るつもりだったが、気前の良いホイットニー氏は二人に同乗を勧めた。彼が僕にも声をかけようとしたとき、ビビアンが袖を引いた。

「ね、ティモシー。あんたはちょっと残ってくんない?」

 不意に耳元で懐かしい口調で囁かれて、僕は固まった。

「話があんの」

「え、さすがにまずくない?」

「ゲストルームを支度させるから、遅くなっても平気よ」

「でも…」

 僕たちのやり取りを見て、ホイットニー氏は何も言わずに引き下がった。表情に含みはないし、彼が噂を撒くような人ではないといいが、と月明かりに遠ざかる馬車を見送りながら、切実に思った。

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