第23話 最初の男女アダムとリリスの決裂
ルキフェルの要請により語り部の役を請け負ったリリスは、改めてその場に座したる全員の顔を見渡してから、さらに一呼吸置いて静かに語り始めた。あえて沈黙を作って聴衆の興味を惹く手法は、小手先の人心掌握術だが、他者にすり寄り、懐に入るのに長けているリリスは、意識せずともそう言った小技が出てしまうのだ。
「では、ルキフェル様に代わりまして、不肖の身である私リリスが語り手の役を担わせていただきます。内容が内容ですので、お聞き苦しい点もあるかとは存じますが、しばしの間ご清聴いただければ幸いですわ。」
リリスが話そうとしている内容とは、
ここで改めて、現在応接室に集まっている顔ぶれに着目すると、勇者一行が九名、魔王軍のアニマが一名、堕天使達が四名に天使ガブリエルが一名、さらに四大精霊が五名と、語り部の悪魔リリスを合わせれば計二十一名の大所帯となっていた。その中には実年齢はともかく、幼い少年少女の姿が散見されており、アニマを始めとして、勇者一行には魔法使いの弟子オルファニスが、さらに堕天使ルキフェルと天使ガブリエル、そして四大精霊のシルフとシルフィードを合わせると計六名、割合にして実に三分の一以上が子供の姿をしていたのだ。
エロ悪魔の筆頭たる
なお実年齢を鑑みると、聴衆の中で最も若いオルファニスですら成人年齢の16歳を超えているし、比較的若いアニマに至っては約1万歳である。創世期より存在するルキフェルとガブリエルは言わずもがな、大精霊と呼ばれるに至った精霊の個体は少なくとも1万年以上生きているので、実際のところ彼ら彼女らに配慮する必要性は皆無である。
余談はさておき、リリスは再び聴衆の顔を見回し、丁寧に各々と目を合わせつつ微笑んだ。
淫魔が種族的に持っている魅了の魔眼は、目を合わせた相手にわずかな催淫効果をもたらし、術者の話を嫌悪感無く信じ込ませる程度のちょっとした洗脳作用があるのだが、その程度の精神干渉は最上級天使達に効かないのは当然として、それに類する存在であるアニマにも効果はなかった。また勇者一行にしても全員が女神サンナの寵愛とも言える最大級の加護を受けている精鋭達なので、精神干渉にはそれなりの耐性を持っており、残念ながらリリスの魅了の魔眼は不発に終わっていた。なお精神干渉の効果が無くとも、淫蕩な美貌を持つ女悪魔と目が合って若干名の剣士達がそわそわしていたが、彼らは男盛りの独身男性なので健康的な反応と言えるだろう。相手が悪魔で、しかも人妻であることに目を瞑れば、だが。
まんまと悪魔の策謀に嵌まって魅了されかけた、股下のガードがユルユルな男達を後目に、リリスはようやく本題へと移った。
「先ほどルキフェル様がおっしゃられていた通り、私とアダムは楽園に於いて特に何もせずとも、快適に過ごせる環境が整っていました。そんな中で私達に課せられていたのは、子を産み、育て、種族を繫栄させることでした。当然ながら子供を産むにはその前工程として性行為が必要なわけですが、ここにきてある問題が発生致しました。」
そう言うとリリスは、神妙な面持ちでたっぷりと間を取り、ぐっと言葉を溜めた。聴衆は、と言っても主に人間達だけだが、いずれにせよ聴衆は、そんなリリスの様子に、よほど深刻な問題があったのだろうと予想して息をのんだ。
ところが続くリリスの言葉は、想像を絶するくだらないものであった。
「その問題とは、アダムのエッチが下手過ぎたという事ですわ。」
あまりにも期待外れ、と言うかどうでもいい話に、息をのんで答えを待った人間達は少々ずっこけてしまった。
しかしリリスはにべもなく話を続けた。
「私は多産の女神であるアーシラト様の似姿を授かり、その属性や性格もまた同様に受け継いでいますので、性行為に対しては産まれてより常に、特段の高い関心と憧れを抱いておりました。しかし、アダムはそっちの方がまったくの無関心と申しますか、とにかく独りよがりでして。初めて行為に至った時などは、前戯も何もなくいきなり入れようとする上に、私の反応など気にも掛けず、一人で勝手に腰を振って果てるだけで、まさに傍らに人無きが如し、と言った有様でした。そんな状況ではありましたが、当時は人間の男女は私とアダムしか居ませんでしたから、下手くそで心配りもできないダメ男なのはもはや仕方が無いとして我慢し、せめてまともな行為ができる様にと、次は私が主体となって動こうと考えました。しかし男としても夫としても半人前以下で、器も男性器も小さいアダムは、その一方で自尊心だけは一人前に高かったので、男性上位の正常位しか認めようとせず、また私が満足していない旨をお伝えしましたところ、性行為に快楽を求めるのは不徳であると、怒って切り捨てる始末でしたわ。」
リリスは表情こそ変わらぬものの、若干の怒りと多大な私怨のこもった口振りでアダムをひとしきり
「かくして、私の抱いていた夫婦協同の道への憧れは無惨にも打ち砕かれ、これが結果として私が楽園を去るに至った最大の要因ですわね。」
最初の軽い口振りからして、リリスが漫談でも披露するのかと気楽に構えていた聴者の面々だったが、かなり深刻にアダムが夫として不能であったと明かされるに従い、軽い気持ちで聞いていた者も次第にリリスに同情を寄せるのだった。
軽い言動から急転直下の重い話への落差、そして最後には冷たい無機質な態度で締める緩急を巧みに用いた話法は、聞く者の心を大きく揺さぶる効果が期待できる、これまたリリスによる人心掌握術の一つであるが、今回は大いに功を奏したのだった。
ところでリリスの思惑とは無関係に、妻帯者の男達は自身の行いを省みて、自分は大丈夫だろうかと少し心配になっていたが、今は置いておこう。
思いのほか場の空気が重苦しくなり過ぎたので、リリスは一転して明るい口調で話を続けた。
「暗い話をしておいて難ではございますが、早い段階でアダムとの相性が最悪であると知れたことは、私にとってはむしろ僥倖でしたわ。下手に我慢できる程度の不仲であれば、私も思い切った行動には踏み切れず、不満を抱いたまま形ばかりの夫婦生活を続けていた事でありましょう。そういった意味では、アダムが中途半端に私を気遣ったりしない、ちゃんとしたクズでよかったとも言えますわね。」
明るい口調とは裏腹に強い言葉が漏れ出すリリスだったが、世界にただ二人だけしか居ない状況で、その相手が自分勝手で相容れない存在である絶望は、筆舌に尽くしがたいものであり、今でもその恨みは彼女の胸の奥に燻っているのだ。
リリスの思惑通りとは言え、少々同情を集めすぎてジメっとした薄暗い空気感が拭えなかったので、語り部の役をルキフェルに返す前に、リリスは一度話題を変えて状況の好転を図る事にしたのだった。
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