第15話 特異な天使ガブリエルと大神官の背後に潜む影

 ガブリエルとルキフェルの通信魔法が終了して間もなく、応接室の大窓から不意にまばゆい光が差し込んだ。怪現象を前にしたアニマとルキフェル、並びに四大精霊達が平然としている中、勇者達は何事が起きたのかと窓に駆け寄った。そこで彼らが目にしたのは、天空を覆う雲の切れ間から地上へと降り注ぐいくつもの光の束だった。それは先だってルキフェルが天空から光臨した際に見せた光と同じ物であり、高位天使の光臨を示唆する先触れの現象である。

 奇怪な現象の発生から暇を置かずに、神々しい天の光を背にまとった一体の天使が、眠そうな顔で膝を抱えて舞い降りたのだった。その正体はもちろん三大天使ガブリエルだが、いささか様子がおかしかった。と言うのも、光臨したガブリエルはなんと寝間着姿であり、長く美しい髪もボサボサで、いかにも起き抜けにそのまま外に出てきた状態だったのだ。


―――補足説明 熾天使セラフィムガブリエル―――

 ミカエル、ラファエルと並び称される三大天使の一人。

 人間や他の種族から昇天して天使となった後天的な天使を除き、純粋な天使は基本的に両性具有、あるいは無性である。しかし例外的にガブリエルは麗しい乙女の体を持っている。その理由は彼女が少々他の天使達とは違う出自を持つためである。

 他の天使は創世神イル、あるいは死の女神アリアのいずれか、世界の創造に深く関わる二大神の眷属であるが、ガブリエルだけはイルの配偶神である女神アーシラトの眷属なのである。ちなみに女神アーシラトとは、イルと血の繋がった実の妹であるが、同時に妻でもあり、イルとの間に数多の神々を産んだことから、神を産む神とも呼ばれる多産の女神だ。神を産み出す権能は男神であるイルには無い力なので、神々にとってのアーシラトはイル以上の影響力を持った存在である。またアーシラトは母なる海の女神としての側面を持っており、ガブリエルが水を司る天使とされているのも、天使としては異質な女性の体を持っているのも、アーシラトの女神としての権能を強く受け継いでいるためだ。

 ガブリエルとアーシラトの関係は母娘だが、その誕生に際して父親の存在はなく、アーシラトが単独で産み出した分身体アヴァターラがガブリエルである。それゆえにガブリエルとアーシラトの容姿は似通っており、ほぼ同位体であるがゆえに両者は対等な関係性を形作っており、実態としては母娘と言うよりは姉妹の様な間柄となっている。なおガブリエルにはアーシラトが持つ多産の権能、つまりは母親としての側面は受け継がれておらず、外見的には十歳前後の幼い姿で固定されており、歳をとっても成長しない永遠のロリっ子である。


 ガブリエルの天界における役割は主に三つ存在し、一つは創世神イルの言葉を地上へと運ぶ、天啓を告げるメッセンジャーの役割。二つ目は戦いの天使として、世界の危機に対処する役割。そして三つ目は天使を監視・監督する役割である。

 まず一つ目の役割についてだが、神の言葉を運ぶ天使は他にも居るものの、ガブリエルは確実に届ける必要がある特に重要な預言を地上に伝える役割を持っている。なお、よく寝坊して預言を伝えるのが遅れるのだが、なぜかそれを咎められることはなく、重要な役割を任され続けている。それゆえにガブリエルの遅刻による遅延も含めて、預言が与えられるタイミングは神の意思であると言われている。実際のところ、ガブリエルが遅刻するのは単純に怠慢であり、神がそれを咎めないのは、遅刻こそすれども最終的には他の天使に任せるよりもいい形で事態を収める、ガブリエルの際立った対応力を信頼しているためである。その辺の事情を知る古い天使や神々の間では、告知天使をもじって遅刻天使と揶揄されている。

 次いで二つ目の役割だが、ガブリエルは天界においても有数の戦闘力を有するので、世界存亡の危機が訪れた際に、自己判断で流動的に戦線に立つという、かなり大雑把な行動指針を与えられている。要するに、状況に応じて人手の足りない所に助力する予備戦力であるが、突出した個戦力によって単独で機能し、独立裁量権を有するガブリエルだからこそ成立する役割だと言える。緊急時のガブリエルが重要な役割を果たすのは先にも述べた通りであるが、翻って平時には明確な役割がなく、各部署が正常に機能している限りにおいて彼女は暇人である。一応ガブリエルは魔界の七大公ベルフェゴールが何か事件を起こした際に、主導して対処に当たる担当天使となっているが、ベルフェゴールは強大な力を持ちながら何もしない事に定評があるため、実質的にその役割は無いに等しい。

 最後に三つ目の役割についてだが、先述の通りガブリエルは他の天使とは異なり、女神アーシラトの眷属として独自の指示系統と裁量権を有しているため、天使を裁く天使としての特権を与えられている。現状アーシラトの眷属である天使は彼女だけなので、派閥のしがらみに囚われる事は無く、また性格的にもめんどくさがりで功名心がないため、天使を裁くという神にも比する特権を、外ならぬ創世神イル本人から与えられているのだ。


 普段はやる気が無いガブリエルだが、いざ彼女の力が必要な程の危機が訪れると、一転して苛烈な戦いの天使へと変貌を遂げる。かつて巨人ネフィリムが地上に跋扈し、連鎖的に嫉妬のレヴィアタンが暴走状態に入り、さらにレヴィアタンを迎撃するためにベヒーモスまでもが顕現するという、正に終末を思わせる異常事態が発生したが、同時多発的な破局を前に現場が混乱する中、ガブリエルは単騎でネフィリム群団を殲滅し、さらに暴走状態に入っていたレヴィアタンをベヒーモスと共闘して叩きのめす八面六臂の大立ち回りを見せたのだった。そう言った実績もあって、普段のふらふらと暇そうにしているガブリエルを見ても、他の天使達は誰も文句を言えないのである。


 余談だが月を司る天使とも呼ばれるガブリエルは、同じく月の女神であるアリアとは仲が良い反面、太陽の女神サンナとは若干不仲である。自身を最高神と称して憚らないサンナにとって、母アーシラトの権能を受け継ぎ、創世神イルからは特権を与えられ、さらにはサンナがライバル視している女神アリアと懇意にしているガブリエルは目障りな存在なのだ。

―――


 あちらこちらとフラフラしながら、ようやく魔王城の庭園へと降り立ったガブリエルは、寝ぼけ眼をこすりながら周囲をキョロキョロと見回し、やがて応接室で紅茶をしばいているルキフェルを視界にとらえた。ちなみにこの庭園とは、勇者達と接触する前にアニマがルキフェルと共にティータイムを楽しんでいた東屋のある庭園である。

 ルキフェルを発見したガブリエルは再度ふわりと宙に浮かぶと、そのままフワフワと応接室の大窓の前まで飛んできた。そして大きな窓にゴンと鈍い音を立てて激突したのだった。それはまるで透明な窓ガラスが理解できない犬や猫の様だったので、少々愉快な絵面だったが、人間である勇者達は最高位天使の放つ強大な神気を前に存分に目が曇っていたため、窓に張り付いてワタワタとしているガブリエルにツッコミを入れる者が不在であった。

 勇者と熾天使であるガブリエルとの関係性がいまいち判然としていなかったため、しばし傍観に徹していたアニマだったが、お見合い状態で互いに身動きが取れなくなった両者を見かねて、間に割って入った。そして鍵のかかっていた大窓を開けて、ガブリエルを招き入れつつ声を掛けた。

「ガブちゃんおひさ。」

 妙に馴れ馴れしい口調で話しかけるアニマに、ガブリエルはようやく目が覚めた様子で応じた。

「あ、アニマだ。おひさー。」

 ガブリエルもまたアニマと同様に気やすい口調であり、ほんの短いやり取りではあるが、両者は気が置けない間柄である事が窺えた。

 引きこもりのアニマが天界に住むガブリエルと面識を持っているのは、一見不思議に思えるが、なんのことはなく、ガブリエルとアニマの母アリアが月属性繋がりの友人なので、アリアを通してアニマとガブリエルも親交があった。ただそれだけの話である。


 ガブリエルが覚醒してまともに話せる状態になると、テーブルに座っていたルキフェルが立ち上がり、アニマとガブリエルの元に歩み寄って声を掛けた。

「やぁガブリエル。まずは招集に応じてくれてありがとう。」

 少々固い口調での社交辞令もほどほどに、ルキフェルもまた友人に対する明け透けな態度になって言葉を続けた。

「それはさておき、だ。急に呼び出した私が言うのもなんだけどさ、ガブお前すごい格好だぞ。頭はボサボサだし、服は寝間着だし、よく見れば裸足じゃないか。流石にだらしないぞ。」

 基本的に細かいことは気にしないルキフェルだが、あまりにもあんまりなガブリエルの惨状に、思わず苦言を呈したのだった。

「おや?本当だ。」

 ガブリエルはルキフェルに言われてはじめて自身のあられもない姿に気が付いたが、そこからの対応は早かった。すぐさま背中に生えた六枚の翼で全身を覆い隠し、着替え始めたのである。それは時間にしてほんの一瞬の出来事であったが、ガブリエルが再び翼を開くと、先ほどまでの寝ぼけた幼女の姿から一変し、光輝を纏った至上の大天使ガブリエルの姿がそこにはあった。ボサボサだった髪はきれいに梳かされ、服装もくたびれた寝間着から天使の聖装である純白の麻布のキトンへと変容し、また裸足だった足には革紐のサンダルが履かれていた。そしてキメキメの完全形態となったガブリエルの頭上には、燦然と輝く天使の輪エンジェルヘイロ―が鎮座していた。

 一応補足しておくと、麻布のキトンとは、簡潔に言えばギリシャの英雄像が着ているアレで、要するにステレオタイプな天使の服装である。パルテナの鏡のピットくんと言った方が早いか。

 さらに補足だが、天使の服や装飾品は、天使の翼と同様に、彼らが常時生成している魔力が体内から溢れて、余剰分となったエーテルを物質化したエーテリアルによって構成されており、当人の魔力量並びに魔力操作技術に依存するものの、ある程度自由に形態や材質を変化させることが可能である。ガブリエルほどの実力者ともなれば、瞬く間に着替える程度の事はまさに朝飯前なのだ。寝起きだけに。


 余談はさておき、早着替えを済ませたガブリエルは、何事もなかったかの様に話を再開した。

「やぁ、ルキフェルも久しぶりだね。ところで……」

 ガブリエルはキョロキョロと周囲を見回すと、さらに言葉を続けた。

「アリアは居ないみたいだね。」

 無造作に周囲を見回した様に見えるガブリエルであるが、その実一瞬のうちに周囲数キロメートルにわたって魔力放出による探知を行っており、魔王城内に友人である月の女神アリアが居ない事を把握したのだった。

 これにアニマが応じた。

「魔王一家と、私以外のうちの家族は、そろって行楽キャンプに出掛けているから留守だよ。」

 それを聞いたガブリエルがさらに続けた。

「なるほど。それでアニマは相変わらず引きこもっていたわけか。」

 ガブリエルにアニマを非難する様な意図はなかったが、事実として人付き合いが悪いアニマは、婚約者や両家の弟妹達からの家族イベントへの参加要請を今回に限らず幾度となく受けていたのだが、そのたびに断っているため、多少気後れしないでもなかったので、やんわりと自己弁護した。

「魔王軍の上位戦力が揃って城を留守にするのも難だからね。実際今回は人間が攻め込んできたわけだし。」

 急に話題の矛先を向けられた勇者一行は、お茶会に招かれた上ですっかり暢気して居座ってしまっていたが、自分達が襲撃者である事実を今さらながら再認識して、所在ない様子を見せたのだった。

 ところで相も変わらず落ち着かない様子の大神官二人は、ガブリエルの光臨を機に、一層挙動不審になっていたが、やはり会話に参加する素振りは無かったので、アニマ並びにルキフェルは彼らの放置を決め込んでいた。

 しかし今しがたやってきたガブリエルは、彼らの様子が気になったので、なんとはなしに声を掛けるのだった。

「そっちの二人。見たところ高位神官みたいだけど、何をそんなに慌てているんだい?」

 ガブリエルにしてみれば何気ない質問だが、神殿に帰依する大神官の二人にとって、神の最側近である三大天使の言葉は、神の言葉に準じる絶対的な物であるため無視するわけにもいかず、いよいよ観念して大神官の一人が口を開いたのだった。

「お初にお目にかかります、ガブリエル殿。質問に質問を返す様で恐縮ですが、何ゆえ堕天使であるルキフェル……殿や、魔王軍の者と親しげにされているのでしょうか?」

 女神サンナの信徒である神官は、堕天使をあからさまに敵視していたので、思わずルキフェルを呼び捨てにしかけたが、面と向かって喧嘩を売るのは分が悪いと思い直して、日和って敬称を付けたのだった。要するにビビったのである。

 さて、質問を返されたガブリエルはと言うと、大神官の内なる葛藤と精神的痛痒など意に介さず、あっけらかんとした様子でこれに答えるのだった。

「何か勘違いしている様だけど、天界に居る天使の中でルキフェルと敵対しているのは半分くらいで、女神サンナを支持する新しい勢力だけだよ。私はアーシラトの眷属だから、サンナの派閥とは関わりが無いし、ルキフェルとは昔馴染みの友人だから、反目する理由がないよね。」

 思わぬ返答に閉口する大神官を尻目に、ガブリエルはさらに続けた。

「それと魔王軍に関しては、女神サンナの派閥を含めて天界とは敵対関係にないはずだけど、君たちはいったい誰の指示で魔王城に攻め込んでいるのかな?」

 返す刃のように鋭いガブリエルの問いに大神官はやはり答える事ができず、すっかり口をつぐんで黙りこくってしまったのだった。

「ふーん。まぁ大体事情は分かったよ。ウリエルの仕業か。」

 ほんの一瞬だけ怒りを含んだ声色となり、戦いの天使としての顔をのぞかせたガブリエルだったが、すぐに元の飄々とした調子に戻った。


 さて、大神官は何も答えなかったが、それでもガブリエルは彼らの背後に居るウリエルの存在を感じ取ったわけだが、それは何も直感的な理由ではなく、明確な確信があってのことである。

 神職にある神官が最高位天使ガブリエルの質問に答えられないと言うことは、ガブリエルと同格の天使がその背後に居る事を暗に示していたからだ。つまりは返答できない事実、それ自体が返答となったのである。

 ところでガブリエルと同格の天使と言えば、同じく三大天使であるミカエルとラファエルが真っ先に思い当たるはずであるが、彼らにはバアルと敵対する理由がないため、消去法で三大天使に次ぐ権勢を誇るウリエルが犯人と推定された。もちろん消去法で犯人を決め付けたわけではなく、ガブリエルが確信に至るのにはさらなる理由がある。と言うのも、ウリエルは人間の預言者ウリアが昇天アセンションした天使であり、産まれながらの天使ではないのだが、彼女がまだ人間であった当時、亜人種を中心として魔界で広く信仰を集めていた魔王バアルを強烈に敵視していたのだ。そう言った出自もあって、天使となったウリエルは未だバアルに敵対的なのである。

 天界の総意としては、世界の安寧を保つ意味もあって、魔王軍とは中立の立場を取っているため、ウリエルの個人的な好悪感情によって引き起こされた今回の独断専行は、魔王軍との関係悪化を招き、世界情勢を不安定にさせかねない愚行である。それは世界の危機を防ぐ立場にあり、また天使を裁く天使でもあるガブリエルの逆鱗に触れるに足る、割と致命的なやらかしであったのだ。それゆえにほんの一瞬とは言え、ガブリエルは怒りをあらわにしたのである。

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