第13話 堕天使グレゴリと復讐の天使ネフィリム

 ルキフェルによる魔界七大公の成り立ちについての講釈が終わったところで、小休止のタイミングをうかがっていたアニマは客人にお茶のおかわりを注いで回った。先だっては敵地で出された飲み物に警戒していた勇者達であったが、まるで敵愾心を示さないアニマとルキフェルの二人を前にすっかり毒気を抜かれてしまった様子で、おかわりの紅茶は特に抵抗もなくすんなりと受け入れていた。……先ほどから妙にソワソワしている聖職者の二人を除いて、であるが。

 さて、アニマ、ルキフェルの双方ともに、件の二人の不審な態度とルキフェルに敵意を向けている事に気が付いていたが、魔界においてもトップクラスの実力者である彼女達にとって、人間の奸計が脅威となる事はまずあり得ないため、何か企てているなら早く仕掛けてこないか等と暢気に構えており、逆に期待しているくらいであった。


 ところで、そもそもなぜアニマが勇者達を屋敷に招いたのかと言えば、精霊魔法に関する話を四大精霊及び、その術者である魔法使いゼニスとオルファニスの二人から聞くためであった。しかし、ルキフェルが急遽、勇者に向けた魔界の基礎知識解説講座をはじめてしまい、件の魔法使い二人もまたその話に聞き入っていたので、空気を読んだアニマはルキフェルの話が終わるのを待つことにしたのだった。

 ちなみにアニマは産まれてこの方、魔王城から出たことが無い。要するに生粋の引きこもりであるわけだが、魔王城では魔界の歴史や現況に関する情報が収集、資料化した上で、適宜更新もされているため、常識レベルの知識は魔王軍幹部として恥じない程度には持っていた。ゆえにルキフェルの解説からアニマが新たに得られた情報は無かったが、天界の最高位天使の目線から見た魔界の歴史は、当事者である魔界の住人の目線から見たそれよりも、偏りのない公正な事実のみを述べた物であったため、立場上多少なりとも偏っていたアニマの認識を改め、魔界の歴史を客観的に省みる機会になったのだった。


 しばしのお茶休憩を挟んだのち、ルキフェルは再び勇者ブレイズに問いかけた。

「七大公の成り立ちは分かったと思うけど、他に何か聞きたいことはあるか?」

 魔界の実態を知ったことで、勇者パーティとしての今後の行動指針の修正を思案し、難しい顔をしていたブレイズだったが、まとまらない思考は一旦打ち切り、顔を上げてルキフェルに向き直った。ところで、ブレイズは当初、アニマが席を外している隙に、仲間達と今後の指針を相談するつもりであったが、ルキフェルと話しているうちにアニマが戻ってきてしまったので、その機会を逸していた。ともあれ、過ぎたことを後悔しても仕方がないので、ブレイズはアニマの様子をそれとなく観察しつつルキフェルの問い掛けに応じた。

「それではまたいくつか質問させてもらいます。先ほど人間に実害のある堕天使として、グレゴリとアスモデウスを挙げていましたが、彼らには具体的にはどういった害があるのでしょうか?」

 これにルキフェルが答える。

「先に断っておくけど、グレゴリは人間に対して悪意を持っているわけではなくて、むしろ好感を抱いている下級天使達の事で、組織的に示し合わせて堕天した二百人ほどの小集団の総称だ。中には最上級天使たる熾天使セラフィムだったアザゼルや、その部下の主天使ドミニオンが数人混じっているけど、こいつらは下級天使達を統率している主犯格で、構成員の大多数は天上位階における最下位の天使エンジェル達だな。グレゴリは天界では人間達の動向を観察し、記録する役割を担っていた奴らで、天使の中でも特に人間と近い距離で接する役柄上、姿かたちや精神構造が比較的人間に近しい連中だ。そのせいか観察・記録の役割を越えて、少々人間の事情に入れ込み過ぎるきらいがあって、天界でもたまにトラブルを起こしていたな。要するに堕天する前から問題行動を起こす兆候は既にあったわけだな。」

 ルキフェルは一息にグレゴリに関する基礎知識を語ると、そこで一旦話を区切り、ブレイズの反応を待った。


―――補足説明 天界におけるルキフェルの立場―――

 堕天する以前のルキフェルはすべての天使を統括する大天使長の役職に就いていたので、その役柄上、天界・地上問わずあらゆる情報が彼女の元に集まっていた。とは言え、天界は細かく組織分けされており、各部署にも管理者が置かれているため、天界全体のトップである大天使長が末端の下級天使にまで目を配る必要は本来ない。しかしルキフェルの個人的な資質として、情報集めが趣味なところがあり、それゆえ、当時二百万からなる天使の大軍勢であったが、末端に居る下級天使の一兵卒に至るまで、彼女はその動向をかなり詳しく把握していたのだった。当然個人情報保護などと言う高尚な概念は、上意下達を極め、上位者を絶対とする封建社会である天界には存在しない。

 さらに補足だが、天使の役柄を示す名称として大天使長並びに三大天使や七大天使と言った呼称が存在するが、ここで言う大天使とは天使の中でも特別な権威を誇る偉大な天使を意味する言葉であり、下級中位天使であり天上位階八位に当たる大天使アークエンジェルとは無関係である。

―――


―――補足説明 天使の階級―――

 天使には上級、中級、下級の区分があり、さらにそれぞれに上位、中位、下位の三区分が設けられており、3×3の合計九階級が存在する。下級並びに中級天使は同じ階級に居てもその役割はさまざまであり、個人名・階級名とは別に同じ役柄を持った集団を指す名称が与えられている事が多い。例としてはグレゴリがこれに当たる。


 以下は特に覚える必要はないが、天使の各階級の名前と簡単な特徴を付記する。


・上級上位 熾天使セラフィム

 すべての天使の頂点に位置する最上位天使。三対六翼の翼を持つ姿が基本形だが、例外も存在する。例えばはじまりの天使ルキフェルやグレゴリ達の長官アザゼルは六対十二翼の翼を持つといった具合に、天使に位階が産まれる以前から存在する天使は画一的な姿を持つとは限らない。ちなみに現在のルキフェルは四対八翼の姿を取っており、本来の十二翼の姿から四枚翼が少ないが、これは熾天使セラフィムであるミカエルやガブリエルが地上に降りる際に、本来の六翼の熾天使セラフィム姿ではなく二翼の天使姿で光臨していた事例に倣い、翼を四枚減らした姿を取っているのである。さらに特異な例だが、異形の天使メタトロンは巨大な炎の柱の様な体に無数の目を持ち、36対72翼の翼を生やした異形の怪物である。

 熾天使セラフィムが組織的に行動をとる事はほとんどなく、個人個人が得意分野を担っているスペシャリストの個集団である。また彼らは自身の持つ役割とは別に各階級の長を兼任しており、会社で言うところの部長兼取締役の様な役割を持つ。


・上級中位 智天使ケルビム

 二対四翼の翼を持つ異形の天使で、顔は人間、体は獅子や虎と言った具合で、人面獣身の姿を取る。

 天界と地上を繋ぐ門や楽園エデンの入り口の様な、各地の重要拠点の門番の役割を担う。職務に忠実であまり融通が効かない反面、問題を起こす者も少ない。


・上級下位 座天使スローンズ

 天界の事務作業担当。二対四翼の人型天使。主に智天使ケルビムの補佐役であり、実地的な肉体労働は智天使ケルビムが担う一方で、その他の事務的な処理は座天使スローンズが担っている。生徒会の書記や庶務みたいな役回り。

 上級天使と中級・下級天使双方から意見を聞いて、互いの主張を調整する折衝役を担っており、上下からの板挟みに遭い、気苦労だけが多い中間管理職の過労死枠。


・中級上位 主天使ドミニオン

 地上に降りて活動する中級以下の天使達の統括役で現場監督、あるいは雇われ店長的な存在。中級以下の天使は人間の背に二枚の翼を生やした姿を基本としている。


・中級中位 力天使ヴァーチャー

 困難に直面した善人の前に現れて手助けしてくれる天使。神殿で洗礼を受けた聖職者に奇跡を授けたりする。人間に対しては友好的だが胡散臭い。


・中級下位 能天使パワー

 軽度な悪人の前に現れて罪を濯ぐ方法を教えてくれる天使。風紀委員的な存在で、ちゃんと話を聞かないと怒る。体育会系。


・下級上位 権天使プリンシパリティ

 主に中級以下の悪魔と戦う天使。爵位持ちの高位悪魔相手には力不足。

 個々の戦力に大きな差異があり、堕天使フェニックスは元権天使プリンシパリティでありながら熾天使セラフィム級の戦闘力を持っていた。


・下級中位 大天使アークエンジェル

 十人程度の天使エンジェルを指揮して悪魔と戦う戦士長。また人間からの嘆願や陳情を神に届ける役割を持つ。


・下級下位 天使エンジェル

 戦闘天使の場合は一般兵。人間の守護や監視と言った雑務もこなす。人間に近い感性を持ち、比較的堕天しやすい。

―――


 グレゴリの概要に関してブレイズからの質問が特に無いようなので、ルキフェルは続けて詳細な解説を始めた。

「グレゴリは人間と接するうちに、人間とより深く関わる事に憧れを抱き、とりわけ恋愛感情に強い関心を抱いていて、自分達も恋愛に興じたいと考える様になったんだ。そして人間達に近づくために天界から地上に降りることを、すなわち堕天することを決めたわけだな。他の堕天使達は概ね天界に居た頃から私を支持していた天使で、私の堕天に同調して地上への降下を決めた、要するに私の配下として付いてきた連中だ。一方でグレゴリは私の出奔騒動に便乗しただけで、アザゼルをトップに置いた別集団ってことになるな。だからグレゴリの堕天に関しては私に直接的な関係はないし、あいつらの行動に関しては関知してはいるが責任は持てないぞ。」

 そう言うとルキフェルは再度話を区切った。


 グレゴリに関する諸事情に真剣に耳を傾けていたブレイズだが、しばしの情報整理の後、ここで生じた新たな疑問をルキフェルに投げかけた。

「お話を聞く限り、グレゴリ達は人間に好意を持っており、実害をもたらすようには思えないのですが、具体的にはどういった害が有るのでしょうか?」

 その問いにすぐさまルキフェルが答える。

「そうだな。お前が言う通り、グレゴリ自体は人間に危害を加えないぞ。グレゴリは人間と恋愛するために地上に降りたのは先に述べた通りで、それだけなら特に問題はなかった。ただあいつらは恋愛するだけに飽き足らず、さらにその先を求めたんだ。つまりは人間と天使が交わり、混血の子供を作ったわけだな。そうして誕生したのが、人の原罪より出でし復讐の天使ネフィリムだ。」

 ブレイズはルキフェルが口にした思いもよらぬ言葉に違和感を覚えたため、首をかしげながら聞き返した。

「天使と人間の混成児が終末を呼ぶ巨人ネフィリムになる事は、聖典に語られる伝承として知っていますが、人の原罪とか復讐の天使云々とはどういう意味でしょうか?私の認識では天使と人間の交配が、怪物を産み出す禁忌の組み合わせであり、神によって禁じられた行為なのだと理解していたのですが。」

 ブレイズの返答を聞いたルキフェルは、ほんの一瞬疑問符を頭に浮かべて間の抜けた顔をしたが、すぐさま何かを察した様子で語り始めた。

「その口ぶりからすると、天使ネフィリムについても原罪についても、根本的に勘違いしているな。いや、シャプシュが意図的に事実を歪曲しているのか。」

 ルキフェルは何やら一人で勝手に納得するとさらに言葉を続けた。

「そもそもの話だけど、この世界には禁忌なんて存在しないぞ。神は何も禁じていないからな。あぁ、神って言ってもシャプシュの事じゃないぞ。この世界を創造した創世の神イルの事だ。誰であれ自由に選んだ行動の責任は自分に返ってくるのが世界の摂理だ。自業自得、あるいは因果応報ってやつだな。だから思考を放棄して信念信条のよりどころを神に求める信仰ってやつが、私は嫌いなんだけど、思考放棄の代償もいずれ自分に返ってくるわけだし、それ自体にとやかく言うつもりはないぞ。思考放棄するのも、それこそ神は禁じていないからな。群れて数に頼る種族は、個々に自我が無い方が上手く機能するのも確かだしな。」

 ルキフェルはほんのわずかな間だけ真面目な顔をしてそう言ったが、すぐにいつもの調子に戻って無邪気な笑顔をこぼし、さらに言葉を続けた。

「前置きが長くなったけど、本題である人間が犯した原罪と、ネフィリムの話をしようか。」

 ルキフェルの問いかけにブレイズは無言で頷いた。


―――補足説明 聖典―――

 ブレイズが言うところの聖典とは、女神サンナが幾人かの預言者を通して人間に伝えた言葉をまとめた書物であり、そこに記されている内容は女神の都合で歪曲された部分を内包している。それゆえ必ずしも事実のみを語っているとは限らないのだが、寿命が短く人間界から出る事さえ困難な、認知能力の低い人間の尺度では、それらを検証することは不可能である。また人間界は幾度も破滅の危機を迎えながらも、女神サンナの助けと破邪の結界によって辛うじて存続している現状があるため、その権威に異議を唱える事は自身の生存権を否定する様なものであり、表立って女神を否定できる者や、聖典に嘘があると疑う人間は表向き存在しないのだ。ただしブレイズは彼が持つ勇者の直感力により、ルキフェルが真実を語っていると確信を持っていたので、絶対とされる聖典の記述とは異なる彼女の言葉にも耳を傾ける素養があった。

 なお人間の中にも悪魔崇拝者サタニストや精霊信仰、ドラゴン信仰を信教としている者が少数ながら存在するため、全人類が聖典を信じているわけではない事を付記しておく。

―――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る