第12話 魔界の七大公の成り立ち

 アニマの客人へのおもてなしがひと段落したところで、ルキフェルは中断されていた勇者との質疑を再開した。

「さてと、話の続きだけど、魔界の七大公について知りたいんだったか。」

 勇者が静かに頷くとルキフェルもそれに呼応して頷き、どこからともなく大きな世界地図と黒のインク瓶を取り出すとテーブル上に広げた。さらにルキフェルは自身の翼から羽根を1枚抜き取るとインク瓶に浸して即席の羽根ペンとし、地図に色々と書き込みながら話を続けた。

「七大公は簡単に言えば魔界の各地に広大な支配地域を持っている、現在の魔界で最も影響力を持つ七人の大領主の事だな。そんな七大公には前身となる古い枠組みがあって、かつて地上の支配権を巡っていくつもの勢力が群雄割拠していた時代に存在した三大有力派閥、通称魔界三強が基礎となっている。魔界三強とは現在の七大公でもあるバアル、サタン、ベルフェゴールが率いる三つの軍勢の事だな。」

 そう言うとルキフェルは魔界三強の名前と共に、彼らの似顔絵と支配領域を地図上に書き込んだ。ちなみに似顔絵はお世辞にも上手いとは言い難い出来栄えであり、例えるならば幼児のらくがきであった。しかし実年齢はともかくとして、ルキフェルは外見だけであれば絵の下手さに見合った幼い姿をしているので、話を聞いていた勇者は絵の稚拙さに関して特に言及しなかった。


 勇者が真剣な眼差しで地図を見回していたため、ルキフェルは勇者の情報整理が済むのをしばし待ってから話を再開した。

「さらに少し時代が進んで、バアルと冥界の主モートの諍いが起こり、その後のバアルとモレクの一大抗争を経て地上での争いが落ち着いた頃、突如として現れたのがレヴィアタンだ。レヴィアタンは大海嘯、要するに大津波と共に地上に乗り込むと、ひとしきり暴れてから海に帰っていったが、これが後に終末の洪水と呼ばれる事になる大災害の正体だな。この時地上の全生物の8割ほどが死滅したと言われているぞ。」

 そこまで話すとルキフェルは羽根ペンをひっくり返し、羽先で地図の一部をサっと掃く様に撫でた。すると不思議なことに先刻書き込んだバアルの支配領域を表す黒線が綺麗に消え去っていた。そして再度羽ペンをひっくり返して持ち直すと、バアルの支配領域の変遷を書き込み、次いで大海嘯による被害範囲、それに加えてレヴィアタンの姿絵と侵攻経路を地図上に書き込んだ。

 繰り返しになるが、やはりルキフェルの描いた絵は稚拙であった。しかしルキフェル当人は絵の出来映えに満足しており、得意げな顔でやり切ったとばかりに鼻息をふんふんとふかしていた。さて、彼女がなぜ下手な絵を自信満々で披露しているのかと言うと、単純に彼女自身は絵が下手だと思っていないためである。魔王と並び称される強大な力を持つ彼女の不興を買うリスクを鑑みれば、絵の下手さを正面切って指摘できる豪胆な者などいるはずもない。またルキフェルは事実として端正な容姿のせいもあって、父シャヘルや祖父のイルをはじめとした年長の身内からは蝶よ花よと持て囃され、甘やかされて育っており、幼少期から現在に至るまで下手な絵に関しても基本的には褒められた経験しかなかったのである。


―――補足説明 天使の羽根―――

 天使の羽根は天使がその身に宿す魔力を疑似物質化して形作っている特殊な構成物であり、一見して身体の一部の様であるが、本質的には魔力の塊である。

 ここで魔力と言うざっくりした概念について少し補足しておくと、魔力には物質の三態、すなわち気体・液体・固体の様に、状態によって性質を変化させる特性がある。最も安定した状態の魔力は魔素マナ、魔素を励起状態にしてエネルギー的に不安定になった魔力はエーテル、そして高濃度のエーテルが結晶化し疑似的に物質の特性を示す状態の魔力はエーテリアルとそれぞれ呼ばれている。ただ魔素とエーテルが一般的な概念であるのに対して、エーテリアルに関しては特定分野でのみ知られる専門用語的な物である事を付記しておく。

 魔素は実体を持たないため目には見えず物理的に触れる事も出来ない状態なので、魔力感知能力が低いと認識する事すらできない。エーテルは低濃度だと空気の様にサラサラとしていてほとんど目に見えないが、高濃度になると光を屈折させたり粘性を示したりと物理的な干渉が顕著になる。不安定な状態であるエーテルは言い換えれば、魔法を使う際のエネルギーとして利用しやすい反応性が高い状態とも言える。魔界においても実態を正確に認識している者は少ないが、要するに魔法とはエーテルを燃料として物質やエネルギーを産み出す技術なのである。

 視点を変えて錬金術における魔力の扱いにも触れておくと、エーテルは四大元素である火水風土に続く第五元素と位置付けられており、かつてはアイテールと呼ばれていたが年月を経て変化した呼称である。通常の物質は陽子・電子・中性子から構成される元素の集合体であるが、元素の代替としてエーテルで構成された疑似物質をエーテリアルと呼ぶのだ。ちなみにエーテリアルはエーテルと物質マテリアルの合成語である。

 エーテリアルの一例を挙げると、魔素を帯びた生物の死骸や大魔法の残滓などが長い年月をかけて地中で堆積し、地下深くの高温高圧で結晶化された鉱物の一種である魔力結晶が最もポピュラーな物である。他にも妖精が蝶の鱗粉の如く纏っている妖精の粉フェアリーパウダーも比較的入手しやすいエーテリアルとして知られている。


 さて前置きが長くなったが、つまり天使の羽根とはエーテリアルの一種なのである。

 エーテリアルは通常の元素で構成された物質よりも魔法の触媒やマジックアイテムの素体として優れた特性を示すが、天使の羽根は中でも高品質で入手困難な希少素材である。ましてや最強の天使であるルキフェルの羽根ともなれば、それ自体が超神話級マイソロジークラスの神器であり、使い方次第では容易に世界を滅ぼせる危険物である。

 ちなみに、ルキフェルの羽根ペンは彼女の魔力を付加したインクを塗布する機能と、その魔力が付加されたインクだけを選択的に消し去る羽根帚の機能を有する魔道具である。ルキフェルの魔力にだけ反応して動作する個人認証機能があるため、このペンを扱えるのは彼女だけであり、このペンで書かれた文字や絵もまた彼女にしか消せない。

―――


 少々話が逸れたが、ルキフェルの世界地図に視点を戻そう。

 地図上に書き込まれたレヴィアタンによる大海嘯の被害領域は、地上のほぼ全体に及んでおり、ベルフェゴールが支配するペオル山の様な高高度の山岳地帯、あるいはバアルやサタンと言った実力者が津波を防いで難を逃れた地域以外はほぼ全滅と言える状態であった。ルキフェルは特に言及しなかったが、この時天人種を除いた人間や獣人種などのヒト種はほぼ絶滅状態に陥っている。ルキフェルがその辺の事情に言及しなかったのは、天使である彼女にとってヒト種とその他生物に差異はなく、特別扱いする理由が無いためである。

「レヴィアタンによる大海嘯はその後も定期的に起こることになるが、レヴィアタンの主人である死の女神アリアと魔界三強が協議して、レヴィアタンの暴走を抑えるための取り決めがなされたのだが……その辺の話は長くなるから端折るが、結果だけ言えばレヴィアタンは地上を支配する三強と並ぶ有力者として扱われる様になったわけだな。さらに時代は進み、天界から地上に降りた私と、私の後に付いてきたマモン、アスモデウスの二人が興した堕天使の新勢力三つが加わって、現在の七大公の形ができたのだ。」

 ルキフェルはひとしきり話し終えると、再度筆を走らせて、海洋すべてを支配するレヴィアタンの領域と、堕天使の三勢力の支配領域を書き足した。ところでルキフェル自身の身の上話でもある堕天使に関する説明がかなり雑に処理されているが、その辺に深く突っ込むと魔界とはあまり関係のない天界でのいざこざを話す必要があり、大きく話題が逸れてしまうのでルキフェルはあえてスルーしたのだ。

「ああ、そうだ。ついでだから現在の人間界の領域と、お前達が倒したモレクの領地も追記しておくか。」

 そう言うとルキフェルは一旦置いたペンを再度握り、女神の似顔絵とともに人間界の支配領域を、そしてモレクから奪った領地には勇者の似顔絵を付記してさらさらと書き込んだ。例のごとくやはりその絵は低品質であった。

 以前にも述べたが人間界の領域は地上の1割足らずで、勇者達の活躍により新たに獲得した悪魔モレクの領地を足しても非常に狭い範囲である。改めて現状を目の当たりにした勇者は、種としての人間が窮地にある事を再認識したが、同時に魔界を再征服するという大義が女神の嘘によって作られた都合のいい真実であると知った今、彼が信じる正義は揺らいでおり、今後の身の振り方を思い悩むのだった。

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