第11話 アニマのお茶会

 ルキフェルが勇者達に魔界の知識を教えようと決めた頃合いに、お茶会の準備のために席を外していたアニマが戻ってきた。アニマは年季の入った豪奢なアンティーク調のティートローリーを伴っており、その天板上には見るからに高価なティーセットが載せられていた。一応補足しておくと、ティートローリーとは主にティーセットを運ぶことに特化した配膳台車である。


「お待たせしました。つい先日入ったいい茶葉があったから、紅茶に合うお茶請けを用意してみたんだけど、紅茶が苦手な人は居るかな?」

 アニマは誰にともなく問いかけたが、客人からの申し出が無かったため、さっそく紅茶の準備に取り掛かるのだった。


 見るからにお嬢様然とした容姿をしているアニマは事実として貴族令嬢であり、そんな彼女が給仕係の真似事をするのはいささか奇妙な光景であるが、しかしてその所作は手慣れた様子であり、日常的にお茶の準備を行っている事がうかがえた。もちろん彼女が住まう屋敷には、給仕含めた雑務を頼めるメイドや執事が勤めており、雇用主であるアニマがわざわざ手を出す必要はない。それでもなおアニマが手ずからお茶の準備をしているのは、彼女の方が使用人達よりお茶を淹れる技術が優れているからである。魔王城内に勤める使用人は職場の特性上、ある程度は襲撃に対応できる能力、要するに自衛できる程度の戦闘能力を有する事が大前提として求められる。その一方で家政能力は二の次であり、一通り実務をこなせる程度の素養は要求されるが、総じてその技術力は高くはないのだ。


 魔王城の雇用事情はさておき、アニマが用意したティーセットの中には、少々見慣れない物が含まれていたので、その辺にも軽く触れておく。見慣れない物とは具体的にはティーカップ類であり、人型種族向けの標準サイズのカップに加えて、身長が10cm程しかないノームのための小人用の小さなカップと、さらには手で物を掴めないサラマンダーのために底の浅いお皿も用意されていたのだ。小人用のカップはアニマが普段から庭園に棲む妖精達とお茶会を開いている事から常備しているものであり、サラマンダーのお皿はアニマの母アリアのペットが愛用している餌皿である。つまりはどちらもあり合わせの物だが、サイズ感がちょうどよかったため転用したのである。客人にペットの餌皿を提供するのは失礼に当たりそうなものだが、当のアニマにはサラマンダーを軽く扱っている意識はまったくなかった。と言うのも、件のペットの正体は個体名がそのまま種族名となっている特別な獣・ベヒーモスであり、アニマにとっては幼い頃から共に過ごした兄の様な存在であったからだ。


―――補足説明 ベヒーモス―――

 ベヒーモスは二体一対の雌雄存在レヴィアタンと共に、死を司る女神アリアによって創世記に産み出された神獣にして眷属ペットであり、主人であるアリアの力でしか殺すことができない不死の怪物として知られている。

 完璧な獣とも称されるベヒーモスは、捻じれた双角を頭に生やし美しい漆黒の毛並みを持つ巨大な獅子の姿が本性だが、ドレイクタイプの巨龍の姿や巨大な魚の姿に自在に変身できるため、陸海空と隙が無い。人間や亜人からは巨龍の姿はバハムートと呼称され、ベヒーモスとは別種の怪物と認識されている事が多い。また他にも様々な変身形態を持っており、例えば三つ首を持つ邪龍アジダハーカと呼ばれる龍もベヒーモスの変身形態の一つである。

 一般にベヒーモスは世界の転換期、いわゆる審判の日あるいは世界の終末にのみ地上に姿を現す聖なる神獣とされており、平時は天界に棲んでいると信じられている。しかし実態としては大型犬サイズの黒獅子の姿で、アリアのペットとして魔王城で穏やかに暮らしている。

 余談だが肉食獣の見た目の割に草食性が強く、肉より野菜や果物が好きである。

―――


「なんだか知らないうちにずいぶんと打ち解けたみたいだけど、何を話していたの?」

 アニマは淹れたての紅茶を配膳しつつルキフェルに問いかけた。

「さっきまでは堕天使の話をしていて、次は七大公について教えようとしていたところだな。どうもシャプシュはあえて魔界の情報を教えていないみたいだから、ちょっとした嫌がらせだな。」

「あー、そういう事か。」

 ルキフェルとシャプシュこと女神サンナの関係性を知っているアニマは、それについて今さら言うべきことも無いため軽く聞き流したのだった。


 アニマは順繰りにテーブルを回って全員に紅茶を配り終えると、お高そうな洋菓子が小ぎれいに並べられたケーキスタンドと、シュガーポットをテーブル中央に配置し、お茶会の準備を完了させた。

「さてと、これで全員に行きわたったかな。手前みそになるけど美味しい紅茶が淹れられたから、冷めないうちにどうぞ召し上がれ。お砂糖が必要な人はお好みで入れてくださいね。」

 アニマはテーブルを見回して瑕疵なく準備が完了したことを再度チェックすると、ルキフェルの隣に腰掛けつつ客人達にお茶を勧めた。

「いただきます。」

 アニマに促されるままにルキフェルと四大精霊達は紅茶を静かに一口啜り、まずはストレートで紅茶本来の味を確かめた。次いで好みに応じて砂糖を足すなり、お菓子に手を伸ばすなりして、思い思いにお茶会を楽しみ始めたのだった。

 一方勇者達はと言うと、アニマの用意した飲食物を少なからず警戒していたが、勇者の直感によってアニマに敵意が無いことは確認済みであったのに加え、仮に妙な薬物が入っていれば大精霊達が教えてくれるはずなので、一応の安全は担保されていると判断し、まずは勇者が恐る恐る紅茶に口を付けたのだった。

「おお、これはなかなか。」

 勇者はこれまでに経験したことのない芳醇な香りが口の中に広がる様に思わず感嘆の声を漏らすと、そのまま二口三口と丁寧に味わいながらも、一度もカップを置くことなく一気に飲み干した。

「ふぅ……この味をなんと表現するべきか、形容しがたいほど美味しい。」

 真顔でそう呟く勇者の様子に、他のメンバーは少々大袈裟ではないかと訝しんだが、勇者が気の利いたお世辞を言えるタイプではないと知っていたので、好奇心に駆られて一人また一人とカップに手を伸ばした。そしてみな同様に舌鼓を打つのだった。

「ふむふむ、なるほど。王室向けの最高級品に近い味だね。製法の関係で大量に作れないから一般流通することは無い物だけど、値段を付けるならグラム単価が金より高いような代物だから、どっちにしても口にする機会は無いだろうね。」

 紅茶を飲んで一息ついたところで、魔法使いゼニスが紅茶に関するちょっとした講釈を垂れた。

 人間界最強の魔法使いである彼女は、本人にその気がなくとも国政に影響を与えるほどの発言力を持っており、その影響力を取り込もうとする王家から接触を受ける機会がそれなりにあった。そんな中で王室主催のお茶会にも幾度となく誘われた経験があり、話のタネに色々と調べたので少しばかりお茶には詳しいのだ。

 ちなみに魔界での紅茶の流通は、七大公マモン傘下のアマイモン商会が茶葉の生産から製造・販売までまとめて管理しており、製造工程における徹底したコストカットと、実地的なマーケティング調査に基づく需給バランス調整によって、比較的低価格での供給を実現している。なので、品質的には人間界の最高級品と遜色ないできだが、ゼニスが言うほど高価なものではない。


「えっ?これってそんなに高いんですか?もっとちゃんと味わって飲めばよかったっすね。」

 ゼニスの弟子オルフィは一息に飲み干してしまったカップを見つめながら、名残惜しそうに言った。

「人間の味覚が私達と同じか分からなかったから、ちょっと心配だったけど、気に入ってもらえた様で何よりです。よければおかわりもどうぞ。」

 言うが早いか、いつの間にかおかわりを準備していたアニマは、勇者一行の空になったカップに紅茶を注いで回った。

 アニマは平静を装い顔にこそ出さなかったが、その足取りは心なしか速足で、おかわりを促す声も少しトーンが高くなっていた。魔王城から出たことが無いアニマは、普段身内や友人にしかお茶を振る舞う機会が無いので、赤の他人からの好評を受けて気をよくしていたのだ。

「アニマ、こっちにもおかわり頂戴。」

 ルキフェルがテーブルを回るアニマに声をかけた。先にのんびりとお茶を飲み始めていた彼女と大精霊達は、アニマが席を立った頃合いにタイミングよく一杯目のお茶を飲み終えていたのだ。

「はい、ちょっと待ってね。」

 アニマはルキフェルの呼びかけに快い返事をすると、勇者達にお茶を注いで回ったその足で、ルキフェル達の方に向かい再度お茶を注いで回った。アニマは魔力感知能力を用いて参加者各位のお茶の減り具合を把握していたので、予めルキフェル達の分も考慮に入れた新しいお茶を淹れ直しており、ティーポットには全員におかわりを提供するのに十分な湯量が確保されていたのだ。お茶会の主催者としてのちょっとした心配りである。


 香り高い紅茶のリラクゼーション作用とアニマの丁寧なもてなしの甲斐もあって、勇者達はすっかり気を許した様子であった。しかし大神官の二人だけは未だ緊張の面持ちを保ち、ルキフェルの一挙手一投足に警戒の目を向けていた。警戒心を向けられているルキフェルはもちろん、お茶会参加者が楽しんでいるか気を配っていたアニマもまた、二人の大神官の腹に一物抱えた様子に気が付いていたが、彼女達にしてみれば大神官達の思惑にはさして興味が無かったので、あえてスルーしているのだった。

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