第10話 堕天使ルキフェルと勇者の談話

 アニマの独断により有無を言わさず彼女の住む屋敷へと招待された勇者一行。彼らはアニマと接近遭遇して以降、マイペースな彼女の言動に振り回されて、なすがままに翻弄されていたが、アニマがお茶の準備のために席を外したタイミングで、ようやく少しは落ち着ける時間ができたのだった。

 勇者ブレイズはひとまず現状の確認と情報の擦り合わせ、そして今後の行動指針について仲間達と相談しようと考えていたが、素知らぬ顔で同席しているルキフェルの存在が彼に二の足を踏ませた。と言うのも、自ら堕天使を名乗る彼女が人間に対してどういったスタンスを取っているのか、要するに勇者達にとって敵なのか味方なのか判断が付かなかったからである。

 大多数の人間が信仰するサンナ教において、堕天使は悪魔と並び神の敵対者と位置付けられている。それはアニマと会話する前の、つい先刻までのブレイズにしても同じ事であり、サンナが示す教義を疑ってはいなかった。しかし魔王バアルの正体に始まり、魔界に関するサンナ教の教えが実態と異なる事実を知ったブレイズは、これまでの常識を盲信するべきではないと考え始めていたのだった。ところで、なぜ彼が初対面のアニマの言葉をそこまで信用しているのかと言うと、彼は生来備えている鋭い直感によって他者の嘘や害意を含んだ言動を見破る特技を持っていたからである。

 そう言ったわけで、ブレイズは堕天使に対する偏見を一旦頭から排除し、女神サンナに仕える高位天使に対するのと同じ態度をもってルキフェルと向き合う事にしたのだった。


 四大精霊達と談笑しつつ戯れるルキフェルの姿は、傲岸不遜な彼女の実態を知らない勇者達の目には、無邪気に精霊と戯れる可憐にして優美な天使の少女として映っており、まるで創世神話の1ページを切り取った様な、人間がいたずらに触れてはいけない神聖で荘厳な領域の存在を感じさせるに十分な威容を放っていた。なお、外見の美しさは自他ともに認めるところであるルキフェルだが、その中身は簡潔に言えばクソガキである。

 神秘を纏う高位の存在を前にして、少し気後れしたブレイズだったが、黙っていては何も始まらないので覚悟を決めて声をかけた。

「ルキフェル様、いくつかお聞きしたいのですがよろしいでしょうか?」

「ん?お前はシャプシュの使徒の……勇者ブレイズだったか。」

 ルキフェルは精霊達との戯れをいったん止めて、ブレイズに向き直りつつ呟いた。魔界屈指の実力者である上に、傲慢が服を着て飛んでいる存在である彼女は、いかにも傍若無人な態度を取っているが、意外なことに人間であるブレイズの立場や名前を正確に覚えていた。ルキフェルはちょっとした会話においても常に優位に立って話すことを好むので、他者より広く深く、そして早く情報を得る事に重きを置いており、周囲の会話や状況の変化を見逃さない案外マメな性格をしているのである。

 繰り返しになるが再度注釈しておくと、ルキフェルが言うところの『シャプシュ』とは太陽の女神サンナの別名であり、サンナの父である創世神イルによって名付けられた原初の呼び名である。さらに補足になるが、神々は時代や地域によってその呼び名が変化して数多の異名・別名を有するのだが、創世記に産まれた最も古いはじまりの天使であるルキフェルは、神々を真名とも言える原初の名前で呼ぶことが多いのだ。


「フハハハハ。我が威容を前にして怯まずに声をかけるとは、たしかにある意味勇者だな。それで聞きたいことって何かな?」

 ルキフェルは人間を軽視している風な高慢な態度を見せながらも、質問に対しては普通に応える意志を示した。

「はじめに、あなたの人間に対するスタンスを教えていただきたいです。一般に堕天使は神の敵対者として、人間に害をなす存在と人間界では認識されています。しかしあなたからは害意を感じないので、誤った認識であれば改めたいと思うのですが、どうでしょうか?」

 ブレイズの歯に衣着せぬ物言いは、ともすれば堕天使、ひいてはルキフェルに対する中傷と受け取られかねない発言であったが、当のルキフェルは特に気にする様子もなくこれに応じた。

「私に限って言えば、種族としての人間に対して特別な感情は無いというのが答えだな。それと直接聞いたわけじゃないが、ほとんどの堕天使は人間に興味無いと思うぞ。アスモデウスとかグレゴリとか、明確に実害がある連中も居るし、他の連中も特段人間に好意的ってわけではないから、関わり合いにならないのが無難だけどな。」

「なるほど。中には害意を持った堕天使も居るものの、こちらから手を出さない限りは概ね無害と言う事ですね。」

 質問した内容以上の所感を加えた丁寧な返答を受けたブレイズは、思いのほか話の分かるルキフェルの対応に少々面食らっていたが、魔界の実力者から直接話を聞けるというのはなかなか得難い機会なので、さらに質問を続けることにしたのだった。


―――補足説明 グレゴリ―――

 グレゴリはルキフェルが堕天した際に、ともに天界から地上に降りた下級天使の集団である。

 天界では地上の人間達を見張る役割を担っていた彼らだが、儚くも美しい人間の恋愛に憧れを抱いており、地上に降りてからは人間達に近づき、自らも恋愛をしたいと考えて行動した。しかし人間と天使との交配は、創世神イルが定めた数少ない禁忌の一つであった。神の意に反して堕天したグレゴリは人間との間に子を成したが、産まれてきたのは誰にも望まれぬ怪物であった。人間の小さな器では大きすぎる天使の力に耐えられず、暴走した力は理性を奪い去り、すべてを食らいつくすだけの魔獣ネフィリムが誕生したのだ。

 その後なんやかんやあってネフィリムはすべて抹殺されたが、同時に禁忌を破った人間達もまた総人口を半分に減らす程の被害を被り、グレゴリ達は捕縛されて天界の牢獄に収監された。

―――


「それでは二つ目の質問と言うか確認なのですが、あまりにも当然の様に話されているので聞くに聞けなかったのですが、たびたび話題に上がっている七大公とは具体的にはどういった存在なのでしょうか?」

 魔界において七大公を知らない者は存在しないが、長い間人間界に閉じこもり、数世代にわたり魔界との交流を絶っていた人間にしてみれば、魔界の実情を知らないのは当然の事であった。

「んー?シャプシュの使徒ならその程度の知識はあると思っていたんだが……そう言えば、お前達は魔王が何者かも知らずにこの城に攻め入ったんだったな。であればシャプシュが意図して情報を絞っていると考えるのが自然か。」

 ルキフェルは早口で独り言を呟くと何やら逡巡している様子であったが、数秒間の沈黙の後にいたずらな笑みを浮かべつつ再び口を開いた。

「わざわざ秘匿していた情報を私から聞き出したとなれば、シャプシュあいつにしてみればさぞかし面白くないだろうな。であればなおの事いろいろと教えてやらねばなるまい。」

 勇者達の魔界に関する情報の欠落が女神サンナの意図したものであると察したルキフェルは、サンナに嫌がらせをするために、彼らに正しい魔界の知識を教え込むことにしたのだった。


―――補足説明 ルキフェルがサンナに嫌がらせをする理由について―――

 曙を司る光の天使であり神を越える者を自称するルキフェルは、太陽を司る光の女神にして自らを最高神と名乗って憚らないサンナとはキャラ被りしている事もあって折り合いが悪く、幼い時分から互いにいがみ合っていた経緯があるのだ。ちなみに創世神イルの娘サンナと孫ルシフェルは、続柄としては叔母と姪の関係にあるが、イルの末子であるサンナとルキフェルの父シャヘルは親子ほども年が離れており、ルキフェルとサンナは同時期に産まれた幼馴染でもある。

―――


―――補足説明 ルキフェルの人間に対する態度について―――

 魔界の重鎮であるルキフェルから見れば、ブレイズは女神に選ばれた勇者とは言え、取るに足らない一人の人間に過ぎない。しかしそんな彼の質問にルキフェルは真摯に対応している。双方の実力や社会的地位の格差を考えれば、これは少々歪な対応と言えるが、その一見不均衡な言動は彼女の傲慢さから来るものである。

 神を越える者を自負するルキフェルにとって、自身以外のすべての者は等しく格下であり、相手の立場や種族によって態度を違える事は少ない。それすなわち誰に対しても尊大な態度を崩さないという意味なのだが、好意的に捉えれば誰に対しても平等に接する懐の深さを持っているとも言えるのだ。多種多様な種族が煩雑に混じり合い生活している魔界においては、種族間の軋轢や係争はままある事だが、そうした古い慣習やしがらみに囚われない型破りなルキフェルの姿勢は、特に七大公の台頭によって魔界の支配が安定化して以降に産まれた若年層から広く支持されている。

 なおルキフェルが堕天した際に彼女と反目した天使達や、地上に降りたルキフェルを捕縛して天界に連れ戻す計画を主導した太陽の女神サンナとは互いに険悪な関係にある。一方で彼女の伯父である魔王バアル一家とは天界に居た時分より交遊を持っていたし、地上に降りてから最初に知り合ったアニマの父ソフィアことサタンとは友人関係にある。またルキフェルと同じく堕天使のアモンや、七大公ベルフェゴール等、一部の魔界の住人とも特別に懇意にしており、単なる日和見の八方美人ではない事を付記しておく。

―――

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