第9話 非正規契約の精霊召喚

 生物が無意識的に肉体に纏っている魔力には、意図して魔力制御しない限り感情による揺らぎが発生している。分かりやすい例を挙げれば、怒りによって感情が昂ると魔力放出量が増すと言った具合だ。人間は種族的に魔力感知能力が低いため、魔力の様態から感情を読み取れる者は限られているが、魔界においてはコミュニケ―ションを図るうえで魔力の情報を読み取るのは普通の事である。

 アニマは勇者からの質問に答える間も勇者パーティの魔力を常に観察しており、いくらかの会話を通して彼らの敵愾心が薄れたことを確認していた。またタイミングよく勇者からの質問が途切れたので、今度はアニマの方から質問を投げかける事にした。アニマが勇者達から聞き出したい情報は大きく分けて二つあった。一つは精霊魔法に関する情報で、もう一つは人間離れした力を勇者達が持っている理由についてだ。

 精霊魔法の存在自体は、魔王城所蔵の魔導書等を通してアニマは知っていた。しかし魔界の住人は精霊に力を借りずとも魔法を使えるのが普通であるため、魔王城から出たことが無い彼女は実際に精霊魔法を扱う者と出会い、行使される様を観測するのは初めての経験だった。魔王軍最強の魔法使いを自認するアニマにとって、初見の魔法に対する関心は非常に高く、先だっては勇者達との戦闘の真最中にもかかわらず、ゼニスが発動した精霊召喚に気を取られ思わず隙を晒す程だったのだ。


「さて、こちらからもいくつか聞きたいことがあるんだけど、その前にちょっと試してみようかな。」

 アニマはまず最大の関心ごとであった精霊魔法について、その使い手であるゼニスから色々聞き出そうと考えていたが、魔法使いとしての探求心は彼女に質問の言葉を選ばせず、魔法の実践による検証を促した。要するに初めて見た精霊魔法を自分でも使ってみたい欲求が湧いてきたのである。

 アニマは誰もいない方向へと無造作に開いた右手をかざし、風の魔法を発動して小規模な竜巻を発生させた。

「な、何を!?」

 突然の事態に、魔法使い二人を除く勇者パーティの面々は身構えた。魔法使いの二人は、アニマの放った魔法がゼニスの精霊召喚の模倣であるとすぐに気づいたので、然程驚きはしなかったのだ。

「おっと、驚かせてしまったかな。害意は無いから身構えなくても大丈夫だよ。」

 アニマは慌てる勇者達に一声かけると、さらに魔法の発動を続けた。

 アニマが魔力を注ぎ込むと竜巻は回転速度を増し、先ほどゼニスが起こした風魔法と同等の威力に調整された。

 ゼニスの召喚魔法とアニマのそれとの主な相違点は、事前の詠唱が存在しない事と、魔法陣の有無である。まず詠唱が存在しない理由だが、アニマは脳に直接思念を伝えるテレパスの要領で、呪文に相当する思念波を生成しており、時間のかかる口頭での呪文詠唱を省略したためである。次に魔法陣が無い理由だが、前提としてゼニスが使った魔法陣は、彼女が持つ魔法の杖に予め仕込まれているものであり、彼女が意志をもって魔力を込めれば即座に陣を生成できる様、刻み込まれているものである。その魔法陣には、遠隔地にいる契約精霊に召喚座標を正確に伝えるアンカーの役割と、召喚する精霊の疑似的な肉体を構築する術式。他にも召喚に際して前準備として発動する属性魔法を魔法陣上に固定・安定化する術式などが、多重に複合的に組み込まれており、精霊召喚を補助する目的に特化して作られたものである。アニマはその辺の複合的効果を魔法陣に頼らず、すべて自身の体内の魔力操作のみで完結させており、儀式めいた手順を簡略化した上で召喚魔法を発動したので、魔法陣が必要なかったのである。


 アニマが召喚魔法を発動してから1分足らずが経過したが、その間竜巻に変化は見られなかった。

「うーん?やっぱり契約者以外の呼びかけには応じてくれないのかな?」

 アニマの模倣はほぼ完全であり風の精霊シルフの召喚条件は整っていたが、そもそも精霊と契約していない者では本来精霊魔法は扱えない。そのことはアニマ自身、書物を通して知識として知っていたし、精霊魔法使いであるゼニス並びに弟子のオルフィもまた、アニマの試行は失敗し召喚は不発になるものと予想していた。それでもなおアニマが魔法の発動を試みたのは、魔法研究者として、見聞きした知識が本当に正しいのか実践して確認するためである。ゆえに召喚が失敗する可能性が高い事は最初から織り込み済みであった。

 しかし、彼女達の予想に反して、アニマが放った竜巻には突如として変化が現れた。それはゼニスがシルフを召喚した時と同様の現象であり、竜巻が大きく揺らいだと思うと、次の瞬間竜巻を切り裂いて小さな影が中から飛び出して来たのである。

「呼ばれたから来たけど、あなたが召喚者かな?私はシルフィードだよー。」

 少し間の抜けた口上と共に出現したのは、ゼニスが召喚した少年姿のシルフとは容姿が異なり、少女の姿をしたシルフィードであった。ちなみにシルフィードとは女性型のシルフの事であり、少年の姿を持つシルフとの違いは概ね外見だけである。

「初めましてシルフィード。私は魔王軍の四天王、魔法使いアニマです。召喚した私が言うのもなんだけど、どうして精霊契約を結んでいないのに召喚できたのかな?」

 魔法研究において想定外の事態が起きるのは日常茶飯事なので、アニマはいたって冷静に、原因究明のためにシルフィードに話しかけた。

「えっとね、シルフの里に召喚要請が来たけど、誰も知らない魔力反応だったから、どうしようかみんなで集まって相談したんだよ。それで知らない奴からの召喚だし無視していいんじゃないかなって話になったんだけど、どうせ暇だったし私が様子を見に来たんだよ。」

「なるほど、ただの気まぐれで召喚されたわけか。契約なしでも召喚できるなら、契約なんていっそ要らないのかと思ったけど、精霊の気分次第となると再現性は低そうだね。魔法効果を安定させるには契約が必要って所かな。それはそれとして、あなたは召喚に応じてくれたってことは、曲がりなりにも召喚者である私の言うことを聞いてくれるのかな?」

 シルフィードはただ真面目に話すのに退屈してきたので、アニマの周りをふわふわと周回飛行しだした。そしてアニマの髪やスカートの裾を引っ張るなど、ちょっかいを掛けながら質問に答えた。

「うーん、正式な契約者じゃないからねぇ。お願いの内容次第かな。私が面白いと思う事なら手伝ってあげてもいいよ。それか何か対価をくれるなら、多少興味がないことでも手を貸してあげるよ。」

「ほうほう、そんなゆるい感じでいいのか。精霊契約って加護やら呪いやらが絡む話だから、神を信仰するのと似たような、厳格な規定やら教義があるものだと想像してたんだけど、結構いい加減だね。」

 アニマはそう言うと、未だ二人だけでコソコソと密談を続けていた大神官達に目を向けた。しかし当の二人は何やら鬼気迫る様子で議論を交わしており、話を聞けそうな雰囲気ではなかったので、アニマはひとまず頭の中で情報を整理し始めた。


―――補足説明 宗教と神について―――

 異世界カナンには太陽の女神サンナと月の女神ルーナの二柱をそれぞれの祭神として崇める二大宗教が存在し、特にひねりも無くサンナ教・ルーナ教と呼ばれている。また二大宗教と比べれば信奉者は少ないものの、悪魔や邪神、天使及び堕天使の他、珍しいところではドラゴンを信仰対象に据える、細々とした零細宗教が数多く存在する。

 宗教ごとに方法は異なるが、信徒は教会等で洗礼を受けることで、信仰対象に応じた様々な加護を得る事ができ、また信仰を受けた神の方はと言えば、信徒の数や信仰の強さに応じて、世界の創造主にして所有者である創世神イルに成り代わり、世界に干渉する権限が得られる。イルを国王、神々を政治家、信仰心を投票権と置き換えると、得票数が多い政治家の発言力・権限が高まる国政選挙の構造と同じである。

 別宗教に宗旨替えして信仰する神を変更する事は可能であるが、その場合神罰を受けて身体機能や魔力操作を阻害される等の地味な呪いを1年程受けるほか、元居た宗教の信徒とはかなり険悪な間柄となることを覚悟しなくてはならない。信仰する神の選択は種族や土地柄の影響が大きいため、宗旨替えを行うと言うことは故郷を捨て、家族や知人との縁を切る事とほぼ同義であり、人生を左右する大きな決断であることは間違いない。


 神への信仰を裏切る行為はそれだけ重大な案件であるため、同じく加護や呪いを受ける精霊契約もまた厳密な取り交わしがあるとアニマは想像していたのである。

―――


 アニマが逡巡している間、シルフィードは風を巻き上げてアニマの髪の毛を逆立たせるいたずらに励んでいたが、アニマはそれを咎める事も無く涼しい顔で再び問いかけた。

「対価を払えばお願いを聞いてくれるって話だったけど、例えばどんなものが対価として成立するのかな?不躾な呼び出しのお詫びと、質問に答えてくれたお礼の意味も込めて、すぐに用意できるものなら今すぐにでも渡すよ。」

 するとシルフィードはいたずらをやめて答えた。

「召喚に応じたのはただの気まぐれだから詫びてもらう必要はないし、話に付き合ってるのは興味本位だから別に対価は要らないけど、仮に渋々従った場合の対価として挙げるなら、甘いお菓子と美味しいお茶くらいが妥当かな。」

「その程度でいいの?なかなか良心的な対価だね。そういう事なら今からティータイムにしようか。立ちっぱなしで話をするのもなんだしね。」

 そう言うとアニマは指をパチンと鳴らし、その場にいた全員を彼女の住む屋敷の客間へと転移させた。ちなみにアニマが住む屋敷とは、アニマの父にして魔王軍宰相ソフィアが魔王城内に構えている別宅である。

「はい到着っと。おや?考えてみれば友人以外を自宅に招待するのは初めてかも。ここはひとつ我が家に恥じぬおもてなしするべきか。お茶の用意をするので、ひとまずお掛けになってお待ちください。」

 ほとんど予備動作の無い突然の集団転移だったため、勇者パーティ各位は面食らってしばし固まっていたが、ルキフェル並びに四大精霊の面々にとっては然程驚くほどの魔法ではなかったので、アニマに促されるまま応接用のソファーへと順繰りに着席していった。そんな精霊達の様子を見て警戒の必要はないと判断したゼニスがこれに続き、他の面々も多少警戒しながらも各々着席したのだった。

 アニマは一同が着席したのを見届けると、お茶の用意のために客間を後にしたのだった。


 ところで、身体が炎でできているサラマンダーを屋内に招き入れ、あまつさえ革製・木製家具であるソファーやテーブルに座らせて大丈夫なのかと疑問が生じるところだが、魔王城内の施設並びに物品には高度な魔法的プロテクトが施されており、多少の炎熱で燃える事は無いので安心である。

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