第8話 破邪の力の本質と魔王の正体

 アニマは自らが発動した転移魔法によって、勇者パーティの前衛と後衛の間に移動したため、図らずも挟み撃ちされる形となっていた。とは言え、勇者パーティにおける最大火力である聖剣の解放が破られた今、勇者達にはアニマに対して有効打を与える手段が無く、陣形の上では優位に立ったものの、次の一手が打てずに手をこまねいているのだった。


 勇者達が手詰まりとなっている事を察したアニマは、申し訳程度に構えていた腕を下げつつ、依然臨戦態勢の彼らに声を掛けた。

「君たちの実力は概ね分かったし、長々と戦ってもしょうがないからこの辺でやめにしようか。」

「なんだと?」

 アニマからの突然の停戦の申し出に、勇者は耳を疑い思わず聞き返した。元よりアニマが一方的に仕掛けた戦いであるから、勇者が疑念を抱くのは当然の反応と言えよう。

「まだ他にも奥の手があるって言うなら付き合ってあげてもいいけどね。ただ、忠告しておくと聖剣は私には効かないから、さっきまでと同様に聖剣頼みの戦法を取るなら時間の無駄だよ。人間が言うところの破邪の力は私に効果が無いからね。」

 そう言うとアニマは、大神官が後衛を守るために張った破邪の結界へと無造作に腕を突っ込み、結界が役割を果たせていない事を実践してみせた。

「そんな馬鹿な。破邪の力が及ばない悪魔が存在すると言うのか?」

 勇者は結界を張っていた大神官の男と、魔法使いのゼニスに目配せして意見を求めた。勇者は元々剣士であり、魔法に然程精通しているわけではないため、アニマが結界を本当に素通りしているのか、はたまた先ほど聖剣の光刃を解呪したのと同様に破邪の力を無効化しているのか、彼の目では判断が付かなかったので、その分野の専門家二人に意見を求めたのだ。

 勇者の問いにまずは大神官が答えた。

「彼女の言う通り、結界には何の反応もないですね。ありのままの事実を受け入れるなら、彼女は結界の効果の及ばない存在と言う事でしょう。」

 続いてゼニスが大神官の言葉に補足する形で答えた。

「そうだね。結界に対して魔法的な働きかけをした痕跡も無いから、嘘はついてないと思うよ。」

「なるほど。聖剣のみならず女神の結界さえ受け付けない者が魔王軍に居るとは、あまりにも想定外の事態だ。」

 勇者は情報をまとめた結果、アニマであれば人間界を守る女神の結界を素通りして侵略可能である事実に思い至り、口には出さなかったが一人戦慄したのだった。


 勇者の少々先走り過ぎた不安を他所に、アニマは話を続けた。

「君らの言うところの破邪の力に関して誤解があるみたいだから訂正しておくけど、これは正確には世界をあるべき姿に修正する力だね。」

 そう言うとアニマは右手の人差し指をピンと立てて、指先から聖剣のそれと同じ光の刃を出して見せた。そして光の刃を自在に変形させて見せ、破邪の力を完全にコントロールしている事実を、またその正体を勇者達より詳細に把握している事を暗に示したのだ。

 指先の光刃を消した後、アニマはさらに続けた。

「より具体的な話をすると、創世神イルの許可なくこの世界に顕現した悪魔や邪神を強制退去させる。あるいは死してなお現世に留まり、世界の理を破っている不死者アンデッドを浄化して、魂の循環を正常に戻すと言った効果を持っているね。人間からすれば邪悪な存在を倒す力なわけだし、破邪の力と呼ぶのもあながち間違いとは言えないかもね。」

「あなたの言葉を信じるとして、なぜ聖剣や結界はあなたに効かないのですか?」

 アニマがすっかり敵意を失くして普通に話し始めたのを受けて、勇者もそれに倣って口調を柔和な物へと変化させて問いかけた。

「私は無許可でこの世界に住み着いた悪魔達とは違って、この世界で産まれ育った歴とした住人だからね。強制退去させられるいわれは無いよ。私はどちらかと言えば悪魔よりは堕天使に近い立ち位置になるのかな。神に仕えていた事は無いから、それもまた語弊があるけどね。」

 アニマは勇者達とのやり取りを隠れて覗き見していた堕天使ルキフェルに視線を向けつつ言った。

 アニマの視線を受けたルキフェルは何かを察した様子で上空へと飛翔すると、まばゆい後光を纏いながら雲の切れ間から舞い降りて勇者達の前に姿を現した。その威容はまるで神話の1ページを切り取った様に神々しく、まさしく天使が天界から光臨する姿そのものであった。

「戦いはもう終わりか。シャプシュの使徒がどの程度のものかと思ったけど、大したことなかったな。」

 ルキフェルは現れるなり早速勇者達の体たらくを貶したのだが、当の勇者達はルキフェルの言うシャプシュの使徒と言う言葉に心当たりがなく、困惑して顔を見合わせていた。

 双方の認識の齟齬に気が付いたアニマは、このままでは会話が成立しないと判断したため、両者の間に割って入り、認識をすり合わせる事にした。

「最近はもっぱら太陽神サンナと名乗っているから、寿命が短い人間には馴染みがないかもしれないけど、シャプシュはサンナの別名だよ。ちなみにこの偉そうなのは魔界の七大公、傲慢のルキフェル。魔界の一画を支配する大領主だからこう見えて本当に偉いよ。」

 アニマの紹介を受けたルキフェルは背中の八枚の翼を大きく広げると、その身に纏った後光の輝きを一層増しながら見栄を切った。

「然様、我こそは光をもたらす者ルキフェル。堕天の王にして神を越える者である。シャプシュの使徒どもよ、真なる王たる我が光輝を称えて跪く栄誉をくれてやろう。」

 ルキフェルは大仰な肩書が示す通りの実力と名声を兼ね備えており、同じく魔界の七大公である暴食のベルゼブブこと魔王バアルと並び立つ、魔界屈指の実力者であることは間違いない。しかし幼い少女の姿と、尊大な態度が行き過ぎた結果、反って子供っぽくなっている口調とが相まって、その実力に反して威厳は皆無だった。彼女を知る者からすればその言葉には嘘偽りがなく、尊大な態度も実力に裏打ちされた自信の表れであると理解できるのだが、いかんせん初対面の勇者達の目には子供の戯言として映っており、どう返した物かと反応に困って顔を見合わせるばかりだったのだ。

「ふっふっふ。我が威光を前に膝を折らないとは、曲がりなりにも女神に帰依する使徒というわけか。人間にしては肝が据わっているじゃないか。」

 ルキフェルは傲慢の名に恥じぬ自尊心の塊なので、よもや人間に実力を疑われているとは思いもよらず、双方の認識の乖離はより深まるのだった。


「君達は魔王を倒そうと魔王城に乗り込んできたみたいだけど、それって女神サンナの意向じゃないよね?」

 ルキフェルの出現で話が遮られてしまったが、顔合わせがひと段落したところで、アニマは話題を戻した。

 これに勇者が答えた。

「たしかに、今回の魔王城攻略作戦は女神からの指示ではありませんが、魔界を攻略し人間界の領土を広げると言う女神が掲げた大目標を鑑みれば、女神の意向を汲んだ範囲の作戦と言えるでしょう。」

 勇者個人としては魔王城に手を出す事に反対していたのだが、作戦実行の最終判断を下した責任もあって、要らぬ言い訳はしなかった。

 勇者の言葉を聞いたアニマは何やら納得した様子で口を開いた。

「なるほどね。どうも話が嚙み合ってない気がしていたけど、君達は魔王バアルと女神サンナの関係を理解してないみたいだね。一応確認だけど、創世神イルは流石に知っているよね?」

 アニマの問いにやはり勇者が答えた。

「創世神と言うと、女神サンナの父祖でしたか。地上に於ける神権の行使は女神に委任しているため、実質的な最高神は女神であると教会では教えられていますし、この世界を作った創世記に現れる神である事を除くと、詳しくは知らないですね。魔王と女神の関係についても、魔王は魔界を統べる悪魔達の王であるとしか聞いていませんから、両者に繋がりがあるとは聞いたことがありませんね。」

 勇者は女神に選ばれた存在ではあるものの、宗教関連の知識は一般人レベルでしかなかったので、彼が知る人間界の一般認識を素直に答えたのだ。そしてその分野においてはこの上ない程の専門家であるところの大神官二人に視線を送り、彼らの意見を求めようとしたのだった。しかし大神官達はルキフェルの出現以降、二人だけで何やら慌てた様子で密談しており、勇者の視線に気づかないのだった。

 大神官達の忙しない様子に気付きつつも、ひとまず話を進めたかったアニマは彼らを無視して再び語り始めた。

「最初に魔王と女神の関係についてだけど、魔王バアルは創世神イルの息子で、女神サンナにとっては兄に当たるね。イルの血族はこの世界の管理者の様な立場にある正当な住人だから、当然破邪の力は効かないよ。もちろん魔王にもね。」

 アニマの話を静かに聞いていた勇者は、衝撃の真実にしばし呆気にとられ押し黙っていたが、諸々の疑問は一旦飲み込んで口を開いた。

「にわかには信じがたい話ですね。我々の認識としては、魔王は世界の理を乱す悪魔達の王であり、魔王もまた倒すべき悪魔だと信じていましたからね。人間界の領地拡張のための魔界攻略は、女神サンナの神権を拠り所としてその正当性が担保されていたわけですが、魔王が女神と同等の神格を有するのが事実であれば、女神の領地を悪魔から奪い返すと言う大義名分が失われてしまうのではないだろうか。」

 勇者は思い悩んだ様子で再び沈黙してしまったが、アニマは気にせず話を続けた。

「領地の占有権に関しては正当性を気にする必要は無いよ。現在の魔界は魔王を中心とした七大公達による安定した支配体制が築かれているけど、七大公は別に神から権威を与えられた存在ってわけじゃなくて、単純に力による支配を敷いているだけだからね。現在の領主を倒して領地を奪い取る行為は、魔界においては正当な手順だと言えるね。」

 七大公の話が出てきたので、当事者であるルキフェルが身を乗り出して口を挟んできた。

「七大公は私を筆頭として神に叛逆した堕天使と悪魔がその大多数を占めているぞ。それだけでも神に認められた領主でない事は自明の理だろう。私に関して言えばイルの息子シャヘルの子であり、つまりはイルの孫だから、他の堕天使達とは事情が違うけどな。」

 ルキフェルの発言を聞いた大神官の二人がまたざわついていたが、話に加わる様子が無いためアニマは再び彼らを無視して話を続けた。

「魔王が魔界の王として君臨しているのは、魔界最強の武力を有しているからであって、創世神の息子である事実とは無関係だよ。転じて魔王を倒して領地を奪おうという君達の企みに関しても、実現可能かどうかはさておき特に問題は無いね。」

 これまで信じてきた常識が根底から揺るがされ、正義の在り処を見失いかけていた勇者だったが、アニマの話を聞くにつれて世界の摂理は彼が思い悩むほど複雑な物ではなく、力こそが正義と言うシンプルなルールに支配されているのだと理解するに至っていた。ところで勇者はアニマが信頼に足る存在であるかどうか、実のところまだ判断しかねている状態だったのだが、勇者の直感によれば彼女が嘘をついている気配はなく、またその発言内容が彼女及び魔王軍に利するものではなかった事から、嘘はついていないと判断したのだった。

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