第9話 生きてるだけで満身創痍

『生きてるだけで丸儲け』なんて言葉をどこかで聞いた覚えはあるが、昔の言葉だったように思える。

 考えて見ると、自然界では弱肉強食――食うか食われるかは己次第だ。人間社会でも一生のうち交通事故にあう人は2人に1人、ガンの罹患確率も2人に1人と、生きるだけでも中々のものであるため、ある意味的を射た言葉なのかもしれない。


 しかし、国民の生活を支えるセーフティネットである社会保障は、弱者救済であり、社会的弱者にもそれ相応の理由があるものである。無論、中には自業自得という人もいるのだろうが、やむにやまれずその立場に甘んじている人もいる。

 他にも基本的人権がアレで、日本国憲法の生存権はコウで、と言い出すとキリがないので、この辺りにしておくが、要するに、今日こんにちの日本社会に限って言えば『生きてるだけで丸儲け』では済まされない部分が大きくなってきているように感じるのである。


 己と他人を比較してどちらがマシかを議論するのは詮無いことであるが、私の場合、鬱病がある。

 分かりやすく鬱病なんて言葉を使っているが、実際のところは、胸にボウリング玉をぶら下げながら生きている感じだろうか。胸のおもりをなんとか両手で抱えて歩いていると、背後からひたひたと何が近づいてくるのが分かる。いてもたってもいられず振り切ろうとしても、必ず一定の距離を保ったまま、ひたひた、と足音だけが聞こえてくる。


 ふと周りを見渡すと、曇天の下で真っ白な砂漠が広がっているのである。道なき道を錘を持って歩き、どこを目指せば良いのかも分からず、疲労で目がくらみながらも歩き続け、気がつくと膝をついている。そこからもう一度立ち上がることは至難であり、気を失いそうになるのだ。


 そのような精神を長年引きずって歩いていると、流石にまいってきてしまう。

 正に、生きているだけで満身創痍というものである。

 それでもなんとかこうして、文字を書けるくらいには生きていられるのだから、丸儲けとまではいかないまでも、生きているだけで偉いと思いたくなる。


 己と他人を比較しても意味はないと言ったが、それでも、同じような人はいるのだろうな、と漠然と思っている。

 そうした人たちは何を以てして生きながらえているのだろう。

 私は小説を書くという営みに必死にしがみついて、なんとか生きながらえているが、果たしてこれもどこまで続くのか。


 くるものはいつか必ずくる。

 それまで、ただ足掻き続けるのが人生というものだろうか……?

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