第8話 今を依って古を尋ねること
私の関心を惹いている民俗学という学問が、創作にどのような影響を与えているのか、ひとつ考えてみよう。
民俗学の定義について一言で伝えることは難しいが、『民俗学の思考法 〈いま・ここ〉の日常と文化を捉える』(慶応義塾大学出版会)には、次のような記述がある。
民俗学を「伝統文化の学問」ではなく、「人びとの生活の変化やそれにまつわる理解や解釈を明らかにする学問」として理解する
(p.62)
「日本民俗学」の創始者として知られる柳田國男の初期の著書『遠野物語』は、岩手県遠野出身の佐々木喜善から聞いた怪異譚を集めたもので、遠野の人々の日常――人間だけではなく山男やザシキワラシなど様々な存在が生きる世界――を描いたものである。
遠野の人にとって、世界がどのように存在しているのかということ、つまり山男やザシキワラシが実在する世界そのものを彼らの現実として受け止めようとしたのである。
柳田は、遠野の人にとっての「当たり前」である世界や事物に疑問を差し込み、細部に宿った「歴史」を注視しようとしたのである。それを踏まえた上で「自ら判断する力」を養うことが大切だとして、これを「史心」と呼んだ。
これは、「今を依って古を尋ねること」であり、現在の自己の「生」を過去の事象との繋がりにおいて把握しようとする歴史的感性が、「史心」なのである。
そのように考えてみると、そこで生きる人の現実をどのように描くかという点において、民俗学の考え方は大いに役立つ。
私が常々書きたいと思っている、人間の感情と関係という点で考えると、その世界観で生きる人々の現実を民俗学的な考え方で描けるのであれば、リアリティある人間を描けるだろう。
『現在の自己の「生」を過去の事象との繋がりにおいて把握しようとする歴史的感性』。
この部分が重要なように感じる。
「史心」は物書きにとって、創作した世界で生きる人間が「今」を生きる上で、その「今」と「過去の事象」がどのように繋がっているのか、と考える示唆を与えてくれる。
プロットの話でも書いたが、創作物上のキャラクターは生きているのである。
そのキャラクターの「生」と「今」を創作し、理解し、物語に反映させていく。
その世界で生きてきたキャラクターと同じ視点でその心理を捉える。
キャラクターひとりひとりが「個人」であることを認め、「個人」を発揚できる世界を構築するために、思考の素材を物語に提供する。
この気付きこそが、民俗学が私に与えてくれた創作への影響なのだと思う。
「今を依って古を尋ねること」
この理解は、今後も大切にしていきたいものである。
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