第4話 活字から分泌されるもの

 小説にせよ、エッセイにせよ、ネットニュースにせよ、活字からは何かしらが分泌されているとしか思えない。甘い蜜であったり、腐敗臭だったり、えずくような毒であったり……。


 文字単体としては分泌されないが、それが文章としてひとつの意味を持つようになると、執筆者の意識のようなものが入り込んでくる。

 ことさら、形容詞はまずい。

 形容詞とは、名詞や動詞を修飾したり、主語の性質などに用いられる。

 たとえば、次のようなものである。


・美しい

・暖かい

・面白い

・美味しい

・欲しい


 などなど、数え切れないほどある。

 ここに、井上ひさし著『私家版 日本語文法』(新潮文庫)があるので、少々読んでみよう。


 ク活用の形容詞が客観的内容をあらわしているのに、シク活用のそれは情意の濃い、すなわち感情をあらわしているのである。簡単にいえば、

  ク活用………属性形容詞(無常)

  シク活用……感情形容詞(有情)

 ということになる。

(井上ひさし著『私家版 日本語文法』(新潮文庫)p.64-65)


 たとえば、ク活用であれば「重し」「白し」「高し」「長し」「深し」などと状態的な属性を表す。シク活用であれば「うれし」「恨めし」「悲し」「楽し」「恋ほし」などと情意的な面を表す。


 これを踏まえると、私が特に注意しているのは、感情形容詞ということになりそうだ。属性形容詞であれば、ただ状態を表すだけなので、これは良い。

 問題は、情意的な面を表す形容詞だ。

 これを、文中のどのようなところで、どのように活用するかで、執筆者の意図や思惑や感情の伝わり方が変わってくる。場合によっては、それが文章の裏側に隠れてこともあるが……。


 フィクション小説となると、その世界観は作者が選ぶ文字と構成に左右される。

 個人的な見解を言えば、世界観は、ただ情報を羅列すれば良いのではない。何故なら、そこで生活している『人間』がいるからだ。彼らの営みを描写しようとすると、必ず、感情形容詞が入り込んでくる。

 どのような語を選択し、どこで入れ込み、どのように表現するか。

 それによって、世界観――ひいては、その世界で


 活字から分泌される様々なものの正体は、その営みから生まれ出る感情なのではないだろうか。

 しかし、その営みを書くには、作者の経験・知識が重要になってくる。

 何しろ、作者が知らないことは書けないのだ。

 となると、その世界観を構成する文章は、作者が知っている世界のみで構築されることになる。更に言うと、その世界で生きる人々の営みと、そこで生じる感情もまた、作者が知っていることだけしか表現できない。

(もっとも、これは文章の話であって、作者が経験したことがないことは作品として描くことはできない、と言いたい訳ではない。あくまでも、単語や文章構成の話である。( ※1))


 何が言いたいのかと言うと、描かれる営みを読むと、作者の心情までもが伝わってくる、ということだ。

 ことさら感情形容詞が使われると、作者がその営みに対して、どのような価値観を持っているのかまで伝わってくる。


 私はアホみたいに感受性が豊かであるため、簡単に作者の心情の影響を受けてしまう。それがポジティブなものであるならまだしも、ネガティブなものであると、ずーんと心に来てしまう。

 そんなことだから、雑食動物のように、どんな本でもおいしく頂ける訳ではない。

 好きな作品であっても、分泌される作者の感情に触れると、心が突き飛ばされたような感覚を受ける時もある。

 逆に、優しい感情に触れると、読んでいるこっちまで優しい気持ちになり、癒やされることもある。


 活字から分泌される何かしらは、薬にもなり、毒にもなる。

 これは、読み手としても、書き手としても注意しなくてはならないことだろう。


 たまにではあるが、私の作品に対して、裏側にひっそりと隠していた事柄をずばりと言い当ててくる読者様がいたりする。


 活字から分泌されるもの。

 それは作者の心情であり、価値観であり、世界である。


 それを思うと、「うかうか文章はかけないな」と思ったりする……。


( ※1)二〇二三年四月二七日 加筆

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