第10話 娘がかわいい
詠斗は叶望をクボに預けている最中に、未来と目的地も設定せずにブラブラと散策していた。
色とりどりの物であふれるこの場所は、未来にとってとてもめずらしいものに感じられるようで、ことあるごとに「あれなに?」と訊ねられた。
それだけだったらいいのだが、たまに「あれほしい」なんて言うものだから、詠斗は困ってしまう。
(叶望に訊かなきゃまずいよな。勝手に買って怒られるのは……)
ダサい。別に格好つけたいわけではないが。
父親の威厳なんてものそもそも存在しない。さらに言えば、未来は詠斗を父親だと知りもしないのだ。
ふと気になる。彼女は詠斗のことをどう思っているのだろう。
「未来。僕ってママのなんだと思う?」
「なんだと?」
「ああっと……、未来はママのこどもだよな」
「うん。ママはみらいのママ」
「じゃあ、僕は?」
「えいとはえいと」
「……だよな」
(僕は何を5歳児に聞いているんだ)
そもそも、なんて言ってほしかったのだろう。それすらもよくわからない。自分でもわからないことをこんな小さな娘に訊ねるとは、なかなかどうかしている。
詠斗は自嘲し、空を仰ぐ。
こうして、自分の娘と手を繋いで歩くことになるとは思ってもみなかった。できるなら、最初からその隣にいたかったと、望まずにはいられない。
そんな平常な家庭こそを、もしかしたら叶望も望んでいたのではないだろうか。
こんな傷だらけで、痛々しい身体を持った、女みたいな顔の自分。
詠斗は、未来が女の子で良かったなと思った。もしも男の子だったら、将来身長が伸びなかったら恨まれそうだ。
ふと、そんなことを考えてぞっとする。
この先も当然とこの場所にいられると、そう考えている自分の能天気さに辟易する。
自分は、異常だ。職業の稀有さなどどうでもいいくらいに、異様で、特異で、醜悪だ。まっとうな家庭環境にはおらず、学校にも通っていない。
ただなにかに飢えたようにものを作って、たまたまそれが見初められて、人気になっただけの、中身のない人間。それでも、そんな自分にも、家族がいると思わせてくれる彼女と、その娘。
彼女たちの幸福こそが、自分の生きる意味であり、価値だ。
彼女たちを不幸にしてしまう事こそが、なによりも恐怖すべきことのはずなのに、今の自分は幸不幸お構いなしに、ただ離れることだけを恐れている。
(あほらしい)
詠斗はかぶりを振って、未来を胸に抱く。
いつまでこうしていられるかはわからないけれど、だからこそ、いつまでもこうしていられるように、ただひたすらに彼女たちが求める自分であり続けるべきだ。
別に、父親と呼ばれる必要なんてない。ただ、この場所で、この温もりの中で――死にたい。
「お、可愛いな」
「おひめさまみたい?」
「おお、お姫さまみたいだ」
とあるブティックの中で、詠斗は新品の洋服を身に着けてくるりと回る未来に笑みを向けていた。
「あの、詠斗さん、ですよね?」
「ああ? 当たり前だろ」
スマートフォンで愛娘をパシャパシャ撮影している最中に声をかけられた詠斗はぶっきらぼうにそう答える。
「あの栗林詠斗が女児にカメラを向けて満悦顔なんて……。ファンが見たら死にますよ?」
彼の醜態に目を細めながら指摘する女性は、盛大なため息を吐いて頭を抱えた。
「うるせえな。仕方ないだろ。かわいいんだから」
「……急に呼びつけられて飛んできてみれば、まさかこんな小さな女の子の服を選べと頼まれるとは思いませんでしたよ」
嘆息する彼女は、詠斗の知人である。そして、パトロンでもあった。
艶のある黒髪を長く伸ばし、怜悧な美貌を誇る18歳の女子高生。それでいて自らがデザイナーを務めるファッションブランドを持つ実業家――華院一葉。
そして、今まさに詠斗のいるショップが、そのブランドの店舗だった。
中学生時代から雑誌モデルとして活躍していた彼女は高校入学とともに起業。インフルエンサーとしての知名度を活かした販促活動が功を奏し、瞬く間に成功を収めた。
そして、同じ手法を取って栗林詠斗という存在を今の地位まで引き上げた立役者、というよりは暗躍者。
「その子が、前に言っていた『家族』ですか?」
「ああ」
「えんどうみらいです。ごさいです」
「――くっ、かわいいっ」
丁寧にお辞儀して自己紹介する未来に、一葉が悶絶する。
詠斗がじろりと睨むと、一葉はこほんと咳払いをして平静を装う。
未来の前に屈んで目線を合わせた。
「お姉さんは華院一葉と言います。よろしくお願いしますね」
「よくできました」
「――かわいすぎる!」
なぜか未来は一葉の頭を撫で、そして一葉もまた悶え始めた。
我慢できんと言わんばかりに、一葉は優しく叶望を抱きしめるので、詠斗は「おいおいやめろよ」と注意する。
けれど、誰に似たのか物怖じしない性格の未来は、全く気にした素振りをしなかったので、とりあえずは一葉が満足するまでそのままにしておいた。
「ふう、やっぱりこどもはかわいいですね。――それで、詠斗さんのもうひとりのお母様とやらはどこにいらっしゃるんで?」
「ああ、今はクボのところで髪やってもらってる」
「なるほど、その空いた時間に未来ちゃんとお母様の服を選びたいと、そういうことですか?」
「理解が早くて助かる」
一葉は詠斗の家庭環境を知っていた。その服の下の傷を含めて一通り。それをPRに利用することを決めたのも彼女だ。そういう意味では、彼女もまた、今の栗林詠斗を生んだ恩人という言い方もできるだろう。
「でも、驚きましたよ。まさか詠斗さんがこんなふうに笑うことができるなんて、愛の力は凄まじいですね」
「うるせ」
「こんな笑顔をファンに見せたら、もっと人気になるに違いありません。笑みを知らぬ冷たい麗人、壮絶な過去に加えて血の繋がらない母親と妹との再会によって笑顔を取り戻す。感動の物語じゃないですか」
「…………」
そういえば、と詠斗はふと思い出した。
詠斗は彼女に、叶望と未来のことを血のつながっていない母親と妹としか説明していなかった。別に間違ってはいないのだが、しかし、未来は実の娘でもある。これをどう説明したものかと思い悩む……。
(ま、いいか)
めんどくさくなった詠斗は思考を放棄した。
「とりあえず、いま着ているこの服をもらう。あとは叶望の分だな。背丈はお前とあんまり変わらないから、同じサイズで適当に用意してくれ」
「そうは言っても、うちのブランドは結構若い人向けですよ? お母様には合わないかも知れませんけど」
「いや、それは問題ない。童顔だから」
「いやいや、童顔にも限度があるでしょうよ。この私が選んだ服が似合わないとなれば華院一葉の名折れです。――どんなお顔なのか知りたいですし、写真とかありますか?」
詠斗はスマートフォンを取り出すが、即座にしまう。今更ながらに叶望の写真など1枚たりとも持っていないことに気がついた。今まさに、未来の写真ですら初めて撮ったのだ。
「みらい、ママのしゃしんあるよー」
「ほう。じゃあ、少し見せてもらってもいいですか?」
「うん!」
そう言って一葉がスマートフォンを受け取り表示された写真を眺める。
「とても可愛らしい方ですね。……でも、あれ、なんでこんなに若い時の写真しかないんですか?」
首を傾げる一葉。それとなく、若い時の叶望と聞いて興味を示した詠斗がその後ろから覗き込む。
「いや、それ今の叶望だぞ? 期待させんなよ」
「は? 今?」
「見ればわかるだろ。一緒に映ってる未来が今と大して変わらねーだろ」
詠斗はふんと鼻を鳴らして写真から目を背けた。
昔、それこそ、未来が乳児だった時分の写真でもあるかと思ったが、そうではなかった。よくよく考えれば当然だ。これは未来の物。去年与えたばかりのスマートフォンに、そんなものがあるわけなかった。
「ちょ、え、は? どういうことですか?」
「どうもこうもねえよ。叶望はお前と同い年だっつーの」
「はあ? で? 未来ちゃんが5歳?」
「ああ」
「つかぬことを聞きますけど、父親は?」
「…………」
詠斗は何も答えなかった。その代わりに、明後日の方向を見やる。
しかし、察しのいい一葉は、それで得心がいったようだ。
「はあああああぁぁぁぁぁ?」
大絶叫がこだました。
※※※※※※
「どう? 可愛くできたでしょう?」
「はい! ありがとうございます!」
姿見に映る自分を眺めた叶望は、これが本当に自分なのだろうかと、魔法でもかけられた気分になっていた。
ぼさぼさではないにしても、地味ったらしく野暮ったい印象を与えていた髪が、今ではすっきりとシャープに洗練されたものに変わっていた。
前髪も綺麗に整えられて、顔周りが明るく、垢抜けて見える。
胸辺りまであった長さも、今は肩にかからないくらいの長さまで短くなった。昔の、彼と出会った時の長さだ。
大人にならなきゃと、幼さが消えるように、そして母のようにと思って伸ばした髪。
鏡の中自分はやっぱり幼く見えてしまうけれど、でも、どこかすがすがしい感じだ。
「こうして見ると、アナタ本当に若く見えるわね。高校生どころか中学生にも見えるわ」
「あはは、本当に童顔なんですよ、私」
本当に嫌だった。早く大人になりたいのに、心はどんどん母親になっていくのに、それを拒むかのように、身体は成長してくれなかった。
「大人になりたいのはこどもの証拠。こどもに戻りたいのは大人の証拠。無理して大人ぶったって、結局は幼稚に見えるだけよ。その人にあった、その時にふさわしい髪型や服装こそが美の最適解」
「そうですね」
「可愛いだとか綺麗だとかは単なる表現のひとつでしかない。大切なのは、輝いているかどうかなの。今のアナタ、輝いて見えるわ」
「ナ、ナルホド……」
やはり、彼(彼女?)の言うことはよくわからないが、しかし、その言葉の全てに叶望に対する配慮と激励が込められている気がして、背中を押されている気分になる。
――と、鈴の音が遠くから響く。来客を告げる音。
扉越しに、愛する人達の声が聞こえてくる。
やがて、扉が開くと、小さな娘と彼が入ってくる。
「…………」
「あの、どうかな?」
立ち上がり、振り返った自分を見やる詠斗の顔。最近よく見る笑顔ではなく、昔みたいな、なにを考えているだかわからない凪いだ表情を浮かべて沈黙している。
(あれ? 失敗した?)
そう危惧して、ちょっぴり胸がざわつく。不安げにクボに振り返ると、彼はやれやれとため息を吐いていた。
「まま、きれい!」
「未来。ありがとう」
はつらつとした声で評されて、叶望はようやく笑顔を浮かべた。とりあえず、未来の目にはよく映っているようで安心した。
けれど、彼は、未だなにも言ってくれなくて――。
(ん?)
叶望はあることに気づき、ずいずいと詠斗の下へと近づいた。
右の目尻が少し赤くなっている。気になって、彼の顔を秘しているマスクをつまんでずり下ろすと、雪のように白いはずの肌が赤くなっていた。右頬の、一部分だけが。
「それ、どうしたの?」
「あー、知り合いに会った」
「あのねー、なんかおねえちゃんにたたかれてたー」
「はあ? なにがあったの? こんなに赤くなっちゃって」
叶望は心配げに詠斗の頬に手を添える。
誰がこんなことをしたのだろう。まったく、ひどい人もいるものだ。せっかく、こんなに白くて、綺麗で――、
「わ」
「僕はガキじゃねえ」
詠斗がぶっきらぼうな口調でそう言って、叶望の手から逃れるように身を引いた。
「はーちゃんにやられたわね?」
「……ああ。意味分かんねえよアイツ。いきなり切れて殴ってきやがって」
クボは「詠斗ちゃんも詠斗ちゃんで、罪作りな男よね」なんていかにもわけありげな言い回しをするものだから、叶望は「誰?」と詠斗を見上げた。
「気にしなくていい。前言ってた俺のパトロンで、まあ、友達みたいなもんだ」
「え⁉ 詠斗くん友達いるの? もう帰っちゃったの? ご挨拶しないと……」
「……お前、僕のことなんだと思ってるの?」
ともあれ、大事には至っていないようなので、叶望は訝みながらも宙に浮いたままの手を下ろした。
そして、ふと、詠斗が両手に大きな紙袋を持っていることに気がついた。
「なあに、それ」
「ああ、服だよ。未来の分と、お前の分。とりあえずはワンコーデしか買ってないけど」
「ええ⁉ 買ってくれたの? ありがとう」
詠斗はそう言って紙袋を掲げる。叶望はそれを笑顔で受け取った。もらってばかり。でも、それを心苦しく思うのはもうやめた。それが物でも、そうでなくても、高くても、安くても、愛が込められていると、そう思うから。
紙袋にはおしゃれなブランドのロゴが記されていたが、雑誌などは読まない叶望にはそれがどのようなものテイストのブランドなのか、わからない。けれど、彼のことだ。きっと、素敵なものに違いない。
「ついでだから、ここで着替えていったらどう? 向こうに着付け用のフィッティングルームがあるわよ?」
「いいんですか? ありがとうございます!」
叶望は言うと、指し示された場所へと駆けていく。
途中で「みらいもー」と言った娘を連れて、躍る心に弾む足取りで。
※※※※※※
「どう? かわいいでしょ」
「ああ、正直、びびった」
詠斗は、高鳴る鼓動をどうにか鎮めようと必死だった。
昔よりも、ずっと愛らしく、綺麗に見える彼女。幼くて、大人びていて、清くて、尊い。
「何をそんなに我慢しているの?」
「……さあ。青い衝動?」
「ヤダ、下品ね」
クボは髭を指先でいじりながら、真面目な口調で続ける。
「彼女が例の母親なのね。びっくりしちゃった。本当に若いんだもの。――半年前に急に相談があると言われた時は槍でも降ってくるのかと思ったものだけど、まあ、背中を押して上げた介があったと思っていいのかしらね」
「ああ、感謝してるよ」
「ふふ、ならお礼、楽しみに待っているわ。せいぜい幸せの味を噛み締めなさいな。――はーちゃんにはお気の毒だけどね」
「…………」
クボの強烈なウィンクから顔を背けて、叶望の方へと顔を向ける。
フィッティングルームのカーテンが開くのが待ち遠しいはずなのに、
なぜかそれが、無性に怖かった。
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