第6話 サッカー部エースの評判を落とせ 06

 迂闊だった。

 わたしとしたことが迂闊だった。


 イケセンが完璧超人だということは知っていたのに、どうして油断したのだ。


 イケセンが完璧超人だということは知っていたが、まさかあれほどとは思わなかった。



 イケセンが完璧超人だということは知っていたのに、どうして油断したのだ。



 わたしとしたことが迂闊だった。


 迂闊だった。



 イケセンの評価を下げるための弱点を探していたのに、いつの間にかわたしの中で彼の評価は天井知らずで、エベレストを越えんばかりに引き上げられてしまった。




 あれだけの完璧超人ぶりを見せつけられて、「いやいやあんなやつ全然たいしたことないですよ」なんて言えるほど、わたしの性根は腐っちゃいないのだ。




 イケセンが完璧超人だということ知っていたのに、どうして、どうしてわたしは油断してしまったのだ。




 だがまだわたしは負けていない。


 勝負はまだまだこれからだ。



 彼の学校での、日中の評判の高さはよくわかったが、ではそれ以降の時間はどうなのだ。



 放課後――つまり部活動の時間だ。



 もしかしたら、サッカー部でのイケセンは、とんでもないやつの可能性はないだろうか。



 部活動というのは、実は閉鎖された空間である。

 たまに運動部なんかで暴力事件が発覚し、活動停止に追い込まれたなんてのがニュースであるが、そういうのは大抵内部告発である。



 外部の者が外から見て、「あれ、なんかおかしいな?」で事件の発覚するのは、レアもレアなケースで、滅多にないのである。



 部活動というのは、顧問や監督を頂点として、上意下達の世界であり、顧問や監督が外部に向けて発信しない限り、外部の者はなにも知ることができない。

 ましてや運動部ともなると、ひとつのおなじ競技に情熱を燃やした人間たちが部員として集まるので、仲間としての結束が固く、些細な不祥事は漏れ出ることがなくなる。




 だからこそ、たまに運動部なんかで暴力事件が発覚し、活動停止に追い込まれたなんてのは、常識ある部員がさすがに我慢しきれなくなった場合の内部告発で、世間が震撼するものばかりなのである。




 であれば――だ。


 もしかしたら、サッカー部でのイケセンは、後輩いびりの、とんでもないやつの可能性はないだろうか。


 いや、後輩いびりまでいかなくとも、サッカーが上手いことを鼻にかけた、王様気取りの、それも暴君の可能性はないだろうか。


 だいたいおかしいじゃないか。

 イケセンは頭がよくて、運動神経がよくて、人望もあるサッカー部のエースだ。


 なのになぜ、彼はキャプテンではないのだ?


 頭がよくて、運動神経がよくて、人望があって、サッカー部のエースなのに、しかも三年生なのに、イケメンなのに、なぜ彼はキャプテンではないのだ?



 日中の姿とサッカー部での姿がおなじなら、彼にチームを統率させれば絶対安泰だろうに、キャプテンを任されないのはなぜだ?




 それはイケセンがサッカー部では暴君で、彼に任せればチームが崩壊するからにほかならないのではないのか?




 ここからわたしの逆転劇の始まりだ。


 見ていてくれ子兎ちゃん、わたしは見事あなたの憧れのセンパイを、エベレストの頂上から、マリアナ海溝のどん底まで貶めてみせよう。



 ここからわたしの逆転劇の始まりだ。



 見ていてくれ子兎ちゃん、わたしは見事あなたの憧れのセンパイを、エベレストの頂上から、マリアナ海溝のどん底まで、むしろマリアナ海溝を突き抜けて、地球の反対側まで貶めてみせよう。




 見ていてくれ子兎ちゃん、ここからわたしの逆転劇の始まりだ――!




 ……そうそう上手くはいかなかった。




 いや、上手くはどころか、まったくもって失敗だった。


 誰だ、サッカー部でのイケセンは、日中の生活態度とは違う、暴君かもしれないなんて言ったやつは。



 日中の生活態度とおなじで、規律正しいやつじゃないか。


 練習態度はまじめだし、チームメイトにポジショニングなどの指示は出すし、ミスがあれば𠮟責するし、しかしユーモアも交えて練習の退屈さや厳しさを忘れさせる、監督要らずの優等生ではないか。




 誰だ、サッカー部でのイケセンは、日中の生活態度とは違う、暴君かもしれないなんて言ったやつは!




 むしろ後輩に厳しくしすぎた二・三年生たちをそれとなくなだめてすかす、暴君とは真逆の位置に存在する人間ではないか!




 ましてや特筆すべきは、練習後の行動だろう。


 彼は練習で汚れてしまったボールを磨くのや、ユニフォームの洗濯を手伝っているのである。



 ボール磨きやユニフォームの洗濯なんて、当然サッカー部のエースの仕事ではない。



 うちの学校のサッカー部では、ボール磨きは補欠の、それも一年生の仕事である。


 補欠でなくても二年生になればお役御免となるし、一年生でもレギュラーになればボールは蹴っ飛ばすだけでよくなる。



 それを三年生の、しかもレギュラーどころか、エースの彼が手伝うのだ。




 使い古しのきったねえ、ぼろぼろの雑巾を下水なんじゃねえのってくらいのバケツの水に突っ込み、絞り、ボールを丁寧に慈しむように磨くのだ。




 これは後輩たちのいい見本になるだろう。


 ましてや彼ときたら、得意の話術で笑いを巻き起こすので、三年生のエースに汚れ仕事をさせているなんて、気負いを後輩たちに与えることもない。

 補欠の一年生たちの記憶に残るのは、「今日も先輩と楽しく笑っていたら、いつの間にかボール磨きが終わっていた」という、青春の思い出だけだろう。



 彼らはきっと、自分が二年生や三年生になった時に、イケセンとおなじように後輩と接することができるだろう。




 運動部なんてのは上下関係が厳しく、先輩が後輩をいびるものだが、イケセンのおかげでうちのサッカー部からはそういったパワハラめいたものが消滅するのだろう。




 そしてユニフォームの洗濯だ。

 ユニフォームの洗濯は、言わずと知れた、女子マネージャーの仕事だ。


 しかし実は、これが大変なのである。


 サッカーのユニフォームなんて、練習時間も長ければ、否が応でも泥だらけになる。

 ましてや天候も悪ければ、練習後にはユニフォームは、ユニフォームというか泥の塊だ。


 もはや「それはどちらの遺跡から発掘されたんですか?」と言うべき代物で、こんなものは洗濯機に入れたって、洗濯機がぶっ壊れるだけで、ろくに汚れなど落ちやしない。



 まずはタライと洗濯板でごしごしやって、あらかたの泥塊を根こそぎ落としてやって、それから洗濯機にぶち込まなくてはならない。



 しかしか弱い女の子の細腕では、洗濯板でごしごしなんてのは辛い。

 頑固汚れを落とすための前後運動で腕はぱんぱんになるし、洗濯板は硬いのにぐいぐい押し付けなくてはいけないから手は痛くなるし、ボール磨きのバケツよろしくタライに満たされた水はまるで下水で、女の子なら誰も手を突っ込みたくない。


 そこで颯爽とイケセンの登場だ。


 彼は女子マネージャーからタライと洗濯板を奪い、「効率が悪いから俺がやるよ」と、さっさか泥の塊にユニフォームとしての尊厳を取り戻させる。


 その早さたるや、目を見張る。


 ボール磨きのバケツで慣れているので下水に手を突っ込むのも厭わないし、マッチョでパワーもあるので汚れを落とすための前後運動もリニア鉄道並だし、洗濯板で手が痛くなる前に予洗いは終わってしまう。


 そして次々と、泥塊でなくただの汚れたユニフォームになったものを、女子マネージャーたちに渡していくのだ。

 女子マネージャーたちは汚れたユニフォームを洗濯機に入れて、洗剤を入れて、スイッチぽんするだけでいいのだ。




 これは女の子たちは惚れる。




 女の子たちだけで泥の塊を相手にしていては、優に時間は一時間以上も余計にかかるはずだ。

 それをイケセンが手伝えば、さっさと終わるだけでなく、下水に手を突っ込まなくてもよく、手荒れの心配だってなくなるのだ。




 これは女の子たちは惚れる。




 え、待って。

 彼って本当に女の子に袖にされ続けてんの?


 デートもしてくれない退屈なやつだって?



 え、待って。


 彼って本当に、本当に女の子に袖にされ続けてんの?



 デートもしてくれない退屈なやつだって?



 たかだかデートがそんなに大切か?

 自分のために時間を割いてくれない男はお呼びじゃないってか?




 この贅沢者が!




 彼の姿を見て、そんな贅沢が言えるなんて、どうにかしている。


 とてもじゃないが、彼は素晴らしい。



 彼がなぜ、サッカー部でキャプテンじゃないのか、理由がわかった。




 彼はすでに、たくさんの重圧を背負っているからだ。




 日頃の学校生活はもちろん、部活動でも、いったいどれだけの役割を持っているのだろう。


 ただの学級委員長で、サッカー部のエースという肩書きだけでは、計り知れないじゃないか。




 そんなもの、キャプテンまで背負わせてはいけない。




 いや、サッカー部で彼は、監督で、キャプテンの責務までやっているようなものだが、肩書きがつくとまた違う。


 彼は気にしないかもしれないが、周囲がとてもじゃないが気を遣う。



 みんなイケセンには、気負わずにサッカーをやってほしいのだ。

 だからこそ、敢えてキャプテンから外しているのだ。


 みんなイケセンには、気負わずにサッカーをやってほしいのだ。



 肩書きがつくことで重たくなる重責から解放して、みんなイケセンには、気負わずにサッカーをやってほしいのだ。




 彼は気にしないかもしれないが、キャプテンまで任せてしまって――と、周囲がとてもじゃないが気を遣うのだ。




 こういうの、高校野球の強豪校でもあるって、そういえば聞いたことがある。


 ううむ、そういうことだったのか。

 人望のある彼のことだから、周りが気を遣ってくれるのも、なるほど納得できる理由だ。


 ううむ、そういうことだったのか。


 しかし、これは困ってしまった。

 弱点なんて、本当にイケセンにあるのだろうか?


 子兎ちゃん、わたしはもう、心が折れそうだよ。


 もうイケセンのわたしの中の評価は、マリアナ海溝のどん底どころか、エベレストの頂点を超えて、成層圏を突破しちゃったよ。



 イケセン宇宙に行っちゃったよ。



 子兎ちゃん、わたしはもう、心が折れそうだよ。



 ――いや、まだまだだ。

 まだ学校生活が、平日が終わったに過ぎないじゃないか。


 ――だから、まだまだだ。


 まだ週末が、土日があるではないか。



 土日のイケセンは、私生活ではもしかしたら、日頃のストレスを爆発させているかもしれないじゃないか。



 大学の女子寮に電話をかけて応答した女子大生に下着の色を聞いたり、駅の改札を出たパンツスーツのお姉さんのお尻を眺めながらストーキングしているかもしれないじゃないか。



 土日のイケセンは、私生活ではもしかしたら、日頃のストレスを爆発させているかもしれないじゃないか。




 オタク御用達のアニメショップで美少女フィギュアを物色したり、今や絶滅危惧種となったレンタルビデオ店でどぎついSMもののアダルトDVDに興奮しているかもしれないじゃないか。




 まだ週末が、土日があるではないか。




 ところがイケセンは、週末もやっぱりさわやかなサッカー少年でした――というオチがつく。


 サッカー部は自主練で、サボっている部員も多かろうに、彼は朝からロードワークに出た。

 それも人助けも兼ねていて、わたしは荷物を持ってあげながら、お婆ちゃんをおぶって横断歩道を渡る人間を初めて実際に見た。


 午後は午後で、近場の河川敷にあるグラウンドで一人ボールを蹴って練習し、ドリブルやシュートのフォームチェックに余念がなかった。

 しかも彼をみつけて小学生ぐらいの子供たちが集まってきて、気がつけばたくさんの子供たちとミニゲームをやるなど、面倒見のいいところまで見せつけられた。




 迂闊だった。

 わたしとしたことが迂闊だった。


 イケセンが完璧超人だということは知っていたのに、どうして油断したのだ。



 イケセンが完璧超人だということは知っていたが、まさかこれほどとは思わなかった。



 イケセンが完璧超人だということが知っていたのに、どうして油断したのだ。


 わたしとしたことが迂闊だった。


 迂闊だった。



 イケセンの評価を下げるための弱点を探していたのに、いつの間にかわたしの中で彼の評価は天井知らずで、エベレストを超えんばかりに引き上げられてしまった。



 もうイケセンのわたしの中の評価は、マリアナ海溝のどん底どころか、エベレストの頂点を超えて、成層圏を突破してしまった。



 イケセンが完璧超人だということは知っていたのに、どうして油断したのだ!


 イケセンが完璧超人だということは知っていたが、まさかこれほどとは思わなかった!




 イケセンが完璧超人だということが知っていたのに、どうして油断したのだ!




 もうこうなっては、このままでは敗北必至である。


 学校の校舎の片隅で、相談屋を開業して、初めての依頼失敗になりそうである。


 もうこうなっては、このままでは敗北必至である。



 ……いやまだだ。



 まだわたしには奥の手が残されている。


 このまま敗北を認めては、労働に見合わない、福沢諭吉が一人、手の中に残されるだけだ。

 依頼料を最低料金にしてしまったという後悔は、もはや先に立たずだ。


 せめて成功報酬の、福沢先生四人を迎え入れなくては、なんともみじめじゃないか。



 このまま敗北を認めては、労働に見合わない、福沢諭吉が一人、手の中に残されるだけだ。




 それにデキる女として、人間性の違いを見せつけられたまますごすご引き下がるなんて、わたしのプライドが許すもんか。




 まだわたしには奥の手が残されている。

 根も葉もない噂話を広げる前に、最終手段の前に、まだわたしにはできることがある。


 まだわたしには奥の手が残されている!


 それには日本の常識には、すこし暇を出さなくてはならない。



 申し訳ないが、「彼」がそばにいることで、奥の手は使えなくなるので、仕方がない。




 だから、それには日本の常識には、すこし暇を出さなくてはならない。




 簡単に言うと、今からわたしは法を犯します――てこと。



 ……バレたら本気で手が後ろに回るから、誰にも言っちゃダメだよ?

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