第3話 サッカー部エースの評判を落とせ 03
子兎ちゃんの相談内容は、デキる女のわたしをもってしても首をかしげざるを得ない、不可解なものだった。
憧れのセンパイの、評判を落としてほしいのだそうである。
なぜだ……。
憧れのセンパイとは、要するに、彼女の想い人のことだろう。
好きな人の評判は、高いほうがいいのではないかと、わたしは思う。
だって、評判が高いということはつまり、能力や人間性が優れているということだからだ。
わたしが誰かに恋をしているならば、その誰かの評判が高ければ、素直にうれしい。
自分の見る目が確かだったことの証左になるし、それになにより、悪評の立つような相手を好きになるなんてまっぴらごめんだ。
あいつ路地裏で立ちションしてたよ――なんて噂でもあろうもんなら、どれだけ熱を上げていようと、わたしは絶対零度まで冷める自信がある。
……立ちションって、だいたい手洗いはどうするのだ。
男の人がおしっこをするときは、確実にモノを触るはずだが、都合よく立ちション現場に水道の蛇口なんてあってたまるか。
まさに不潔の体現であり、あまつさえ流れてきたおしっこが靴についたりとか、踏んづけてしまったとか、最悪の事態まで想定できるではないか。
うげー、想像だに恐ろしい。
立ちションをしたことのない男の人も珍しいのかもしれないが、立ちションをしたというその事実は、お願いだから一生隠しておいてほしい。
少なくとも恋人になるだろう相手には、「俺立ちションしたことあるよ」ってのは、絶対に明かしてはならない。
もしも結婚していたなら、離婚事由になるとさえ、わたしは思う。
それがなぜ、子兎ちゃんは憧れのセンパイの評判を落としたいのだろうか。
子兎ちゃんは憧れのセンパイが、立ちションをして手も洗わずに、靴におしっこがついていてもいいのだろうか。
好きになった人の評判は、高いほうがいいはずなのに、なぜだ。
子兎ちゃんは憧れのセンパイが、立ちションをして手も洗わずに、その手で髪を撫でられてもいいのだろうか。
ちょっと特殊な性癖なのか、子兎ちゃんは。
好きになった人の評判は、高いほうがいいはずなのに、なぜだ!
なぜなんだ、子兎ちゃん!
「――それで、そのセンパイってのは誰なの?」
脳内のハテナマークを追いかけながら、わたしは子兎ちゃんにたずねる。
「はい、あの、サッカー部のエースの……」
相変わらず伏し目がちで、視線をあちらこちらに這わせながら、子兎ちゃんは言う。
その声はか細く、消え入りそうで、聞き取るのがやっとだった。
まったく、この子はどこまで自分に自信がないのだ。
おかっぱ頭をやめて、化粧っ気がちょっとでもあれば映えそうなかわいい顔をしているのに、わたしにはよくわからん。
まったく、この子はどこまで自分に自信がないのだ。
わたしなんてのは、産まれた瞬間から自信満々で、ライバルは神か仏かってくらいだったのに、人間どうしてこうも違うのか。
「ああ、あの……」
サッカー部のエースといえば、わたしもよく知っている。
三年生の、わたしほどではないがよくデキた、優秀なやつである。
テストは常に最上位だし、サッカー部のエースだけあって運動神経は抜群だし、学級委員長を任されるほど人望だってある。
おまけに顔立ちもよくて、なるほど評判の高い、わたしが男だったらこんなだったろーなという人間である。
……おい誰だ、おまえは人間性は悪いだろって言ったやつは。
そんな失礼な、悪い人間性を隠すくらいの器量くらい持ってるわ、わたしだって。
だからこそ誰からも頼られる、デキる女なんじゃないか、わたしは。
「それで、その彼の評判を落としてほしいってのは、どうしてまた……」
「あの、センパイはいっつも、まわりにかわいい女の子がいて……」
ははあ、なるほどわかったぞ。
子兎ちゃんはつまり、自分に順番が回ってこないことに、やきもきしているのだ。
サッカー部のエースのセンパイは、常に恋人がいて、途切れたことがない。
わたしの知る限り、高校に入学して以来、実に十人前後の女の子が入れ代わり立ち代わり、恋人になっている。
……すげー男だ。
単純計算で、一年間に三人も四人も、恋人ができていることになるじゃないか。
なんでわたしには男がいたことがないのに、やつにはこんなに女がいるのだ。
これではあそこの乾く暇もなかろう。
サッカー部エースの体力を活かして、一晩中ファッションホテルでハッスルして、そのまま学校になんてこともしょっちゅうだろう。
女の子を取っ替え引っ替え、財布に忍ばせたコンドームじゃ数が足りず、鞄の中に箱ごと入っているに違いない。
……なんちゃって。
女にだらしないような、そんなで彼が、わたしと並ぶようなデキるやつに数えられるはずがない。
裏の顔は知らないが、学校の女の子何人もと関係をもって捨ててしまって、それで妙な噂も出ないなんて、そんなことはない。
おそらく彼は、ただのサッカー少年だ。
そしてたぶんだが、わたしの予感では、童貞だ。
ではなぜ、女癖も悪くないのに、何人も女の子が入れ代わり立ち代わりしているのか?
……単純に女の子たちが、愛想を尽かしているのだろう。
サッカー部のエースのセンパイは、それはそれは、女の子にしてみれば優良物件だ。
なにせ頭がよく、運動神経がよく、人望もあるイケメンなのだ。
しかもサッカー部のエースなんてのは、野球部のエースと並んで、学校のヒエラルキーの最頂点だ。
要するに彼は、学校一のブランド男であり、女の子たちは常に、彼の隣にいられる権利を争っているのだ。
ただしいざ付き合ってみると、彼はただのサッカー少年であり、女の子たちは彼のサッカー中心の生活に付き合わされることになり、結果デートの一度もできることもなく――。
それで女の子たちは去っていくのである。
だがそんな事実が知られようと、彼のブランド価値は揺るがない。
頭がよく、運動神経がよく、人望もあるイケメンのサッカー部のエースは、どんなに女の子への気の遣いかたを知らなかったとしても、ヒエラルキーから転げ落ちることなんてない。
しかもちょっとでも容姿に恵まれた女の子は、自信に満ちあふれているものなので、わたしこそはうまく操縦してみせると、彼に挑む者は後を絶たない。
結果サッカー部のエースのセンパイは、恋人を作り、恋人から去られ、恋人を作り、恋人から去られ、繰り返すのだ。
しかしそのループに、子兎ちゃんの順番はない。
もし彼女の順番があったとしても、約1500人もいるこの学校の女子生徒の中で、ほとんど最後尾に違いない。
なぜならばそのループに参加できるのは、ちょっとでも容姿に恵まれた、すくなくとも相手のブランド価値に気圧されずに想いを告げることのできる女の子だけだからだ。
残念ながら、それらの理屈は、子兎ちゃんには当てはまらない。
子兎ちゃんは小柄で、おかっぱ頭で、伏し目がちで、おどおどしている。
わたしからしてみれば、ちょっとの変化で彼女もかわいくなりそうなのだが、本人は自分の可能性にすら気づいてなかろう。
だからこそ彼女は、憧れのセンパイの評判を落としたいのだ。
例えばの話だ。
ダイヤモンドは、なぜ高価なんだと思う?
小さくても数万円、大きなものならば数十万円から数百万円、最高級品なら一千万円を下らないのはなぜだと思う?
きらきら美しく、希少価値があるからだ。
だからこそお金持ちで、身に着けても見劣りしない人たちにしか買えないのだ。
ではそこらの石ころは?
――誰だって拾える。
ちっとも輝いていないし、数はたくさんあるし、値段なんてつきやしない。
そこらの石ころならば、いかに自分に自信がなくたって、気に入った形のものをいくらでも持って帰っても、誰にも怒られない。
ではもしもサッカー部のエースのセンパイが、ダイヤモンドではなく石ころ――少なくともただのガラス細工だったら?
たぶん彼のまわりの、かわいい女の子たちは、蜘蛛の子を散らすようにいなくなるだろう。
そして野球部のエースだとか、別のブランド男を見つけ出し、そっちに群がるだろう。
その状態ならば、いかに自分に自信のない子兎ちゃんだって、憧れのセンパイをひょいと、石ころみたいに拾うことが出来るだろう。
だから彼女は、憧れのセンパイの評判を落として欲しいなんて、おかしな相談を持ち掛けてきたのだ。
ぴっかぴかのダイヤモンドである彼を、すくなくともただのガラス細工にまで貶めてほしいと、頼んできたのだ。
そうすれば、いかに自分に自信のない子兎ちゃんだって、憧れのセンパイをひょいと、石ころみたいに拾うことが出来るからだ。
「……」
なんという豪胆な女の子だろうか。
彼女のことを、自分に自信のない、地味な女の子だと思っていたが、どうやら違ったようだ。
いや、自分に自信がないのは事実で、地味な女の子なのもそのとおりなのだが、内に秘めた炎たるや恐ろしい。
鉄をも溶かすような超高温の、憧れのセンパイを自分のものにするためなら、彼の足を引っ張って引っ張って引っ張りつくして、泥まみれにしても厭わないような、それでこそわたしの依頼人にふさわしいじゃないか。
なんという豪胆な女の子だろうか!
彼女のことを、自分に自信のない、地味な女の子だと思っていたが、どうやら違ったようだ。
子兎ちゃんは、なんという豪胆な女の子だろうか!
「……あの、お願いできますか?」
「――もちろん、わたしに任せてください」
子兎ちゃんの相談内容は、デキる女のわたしをもってしても首をかしげざるを得ない、不可解なものだった。
憧れのセンパイの、評判を落として欲しいのだそうである。
憧れのセンパイの、評判を落として、まわりのかわいい女の子たちをいなくして欲しいのだそうである。
そして女の子が誰もいなくなったところを、彼女がひょいと、石ころみたいに拾うのだそうである。
子兎ちゃんの相談内容は、デキる女のわたしをもってしても首をかしげざるを得ない、不可解なものだった。
前金一万円、成功報酬四万円、依頼の期限は一ヶ月――。
ちなみに最低料金ですので、どれだけ交渉されようと、一円たりともまかりません。
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