「死体漁りの勇者」
かちゃりとした金属音が、足元を転がっていった。
軋むドアを手前に引くと、むわりとした古ぼけた木材の匂いが部屋の中から流れ出てくる。
中に入り扉を閉め、転がっていった金属の破片を破損した扉の蝶番にはめ込んだ。
部屋の中からは、申し訳程度に置かれた割れた鏡台と、ハンガーラックと言っていいかは分からないほど、崩れかけた木造品が俺を出迎えた。
有栖は今日も起きてこない。
部屋の奥では、グレードが一段上のベットを占領した彼女がぐーすか眠りこけている。
もう一年近く住んでいるせいか、変わり映えのない殺風景な部屋の風景に、帰ってきたという安心感を覚える。
汚れた胸当てとレギンスを脱ぎ、窓際に移動させたハンガーラックに吊るす。
服に消臭剤を吹きかけ、水が張られた桶に服をぶち込むと、染み込んだ汚れがどろりと波紋状になって広がった。
脱いだ服と全く同じものに着替え、朝から姿勢すら変えずに寝ている有栖の脇に立つ。
「兄ちゃん帰ってきたぞ、有栖」
濡れ羽色の髪を掻き分け、真っ白な有栖の額をこつんと叩く。
そのまま指を滑らせ、頬を撫でる。
輪郭のハッキリとした有栖の寝顔はどこが儚げで、青白い肌と窓から差し込む夕日の朱がそうさせるのか、俺の目に映る有栖は、ミルク色の布団に溶け込んで消えてしまいそうだった。
「それにしても、パーティ殺しってあだ名はちょっとそのまますぎると思わないか?」
「そうだ有栖。二番街の表にあるパン屋に新商品が並んでたんだ。起きたら食べに行くか?」
「でもお前、朝はパンよりご飯派だったか。
こっちに来てから、米らしい米は食べた事なかったよな。安心しろ、別に一人で抜け駆けして食べたりなんかしてねぇよ」
有栖からの返事はない。
それでもしばらくの間、腰まで伸びる有栖の髪を手櫛で掬ったり、三つ編みにして遊びながらベットの脇に腰掛けて過ごした。
「今日も頑張ったぞ、有栖」
どのくらい時間が経っただろうか。
既に部屋の中は薄暗く、開いた窓からは向かいの家に明かりが灯っているのが伺えた。
「喉、乾いたな」
燭台の蝋燭に火を点けるついでに、裏口の横にある井戸から桶に水を汲んで運ぶ。
その水を冒険者の装備から自作した、不細工極まりない簡易のろ過装置に入れると、その下に貯まっている桶と交換する。
部屋に戻ると、とっぷり日は落ちており、持っている蝋燭の周りだけが、頼りなく明るい。
もう宵だ。
明日は暦替わりの日だ。
マフィアからの行方不明リストも更新されるはずだ。
明日は朝一でギルドに行って捜索依頼を受けよう。稼ぎ時だ。
あぁでも、明日は有栖の体を拭いてやる日か。それに、有栖にかけてやった魔術も切れかけてる。
どうしようか、明日帰ってきた後に有栖の体を拭く気力があるだろうか。
まぁ朝一番に依頼を受けなくとも、捜索依頼なんぞを受注する奴はそうそういないから大丈夫だろう。
なら明日はまず、有栖の体を拭いてやろう。
そんなことを考えながら汲んできた水を飲み、窓の外を眺める。
別に特段面白い物がある訳でもない。
ただ、部屋の中を眺めるよりも、外を眺めていた方が視界が開けていて、見ていて気分がいい。
だが、もう寝なければ。
そう思い窓を閉めて部屋の中に戻ろうと、した。
ーーー
別になんて事のない、見慣れたオンボロ部屋のはずだった。
だが何故かゆっくりと融けていく蝋燭が、それに灯されて不規則に舞う埃が、切り取った絵画のように寝ている有栖の姿が、嫌に目に付いて心をざわつかせた。
視界がだんだんと狭まっていく。
そんな錯覚に陥った。
それが焦りだと気づいた頃には、何かが、土の匂いがする水と一緒に、既に口から零れてしまっていた。
「…いつまで続くんだろうな、これ」
気づかないようにしていたはずのものが、いつの間にか、すぐ後ろまで迫って来ていた。
何度も振り払い、追い払っても、消えることの無い感情。
「本当にしつこいな、お前」
桶に入った水を両手で救い、こびり付いた何か洗い落とすように勢いよく顔をぶちまける。
そして、ひび割れた鏡台の前に立ち、中に移る男の顔を見る。
男の顔は想像していたよりも痩せており、隈も濃くなり、それを隠すように覆う黒い髪は、所々白髪になっている。
男の顔を眺めていると、何故だか無性に腹が立ってしまい、握った拳を鏡に打ち付けた。
「ひでぇ顔だな、お前」
勇者と呼ばれていた頃とは、似ても似つかない。
「それより、進展は?」
まだない。現状維持だ
「先月もそう言った。お前は何をしてる?方法は合っているのか?」
蛇の道は蛇だ。マフィア共と癒着するのがいい。
「間違っても勘違いするな。奴らは手段だ。障害となったらどうする」
全て払い除ける
「それを妨げる奴は?」
皆殺しだ。
「そうだ。それならこんな事で、いちいち感傷に浸ってる暇はないだろ。お前の命は誰のためにある」
有栖のために。有栖を起こすために
「時間が無い、早く探しだせ」
千年生きる、忌み子の魔女を
「そして聞き出せ」
有栖を目覚めさせるための、魔術書のありかを。
就寝前のルーティンの内容は今日も変化なしだ。
だがそんなことも有栖のことを思えば些細なことに思えた。
明日の準備を済まし、有栖の寝顔を横目に見ながら、床に就いた。
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