第7話 「宿屋にて」

街へ戻る頃には、日はルマール山の向こう側へ消え、街には消えかけの街灯が点々と灯り、決して賑わっているとは言い切れない大通りを少女を背中に担いで進んだ。

樹海から戻る途中、疲労困憊の末、眠ってしまった少女を運ぶ為に回収した防具を一部置いていかなければならなかったのは、早くも先の決断を後悔させた。


大通りを道なりに行き、三叉路となった分かれ道に当たる。

右に行けば、住宅街や、憲兵の宿舎などが点在し、左はマフィアの倉庫や帝国証を持たないならず者が泊まる宿屋など、所謂スラムが広がっている。

慣れた足取りで三叉路を左へ進み、有栖の待つ双望亭へ向かった。

宿屋に入っても自分たち以外に人気はなく、主人もどうせ博打で朝まで帰らないので、無断で少女を運び入れる。

「まずは風呂だな…」

風呂といっても、水の張った湯船があるわけではない。

只沸かしたお湯を桶に入れ、体を拭き髪を洗うだけだが、昔の名残か風呂という言葉が一番しっくりくる。

俺の防具や肌着はもちろんのこと、担いでいたせいで少女の服まで汚れてしまっている。

脱衣場で少女の服を脱がせて用意した大桶二つにぶち込む。

少女の着ていた服は存外、高価そうな生地だったり模様が施されていたりと、自分の汚れた服と一緒に洗うのは流石に気が引けた。


「う…んん…」


寝かせていた少女が目を覚ます。ちょうどいい、自分の物は本人にやらせよう。


「起きたか、早速で悪いが自分の洗濯は自分でやってくれ」


「…う…ここ…どこ…」


座り込んだ体勢で少女が周囲の状況を確認していく、木組みの脱衣場を灯す燭台や汚水の張った大桶をきょろきょろと眺めたあと、ようやく目が覚めてきたのか、焦点が合わさってくる。


「…さむい」


ぺたぺたと自分の体を触る少女。しばらくの間、体を触った後、少女は何を思ったのか、こちらをジッと見つめるとそのまま動かなくなった。


(流石に勝手に服を脱がしたのはまずかったか?)


「わるい、体の汚れが目立ってたからな、それに流行り病に罹ってもあれだ」


口先は少女の為と言い、本音は有栖のいる部屋に妙な病原菌を持ち込まれたくないだけだ。


「…いい、別に…なんでも…する」


少女は首を横に振り、肌をあらわにしたまま立っていたかと思うと、胸に手を当て、意を決したようにこちらに近づいてくる。


「おい、何してる」


「……ご…ほうし」


少女はかたかたと唇を震わせながら、痛ましくも見える笑顔を作り、こちらに従順する証としてか膝を床に着ける。


「…やくに…たたない…すてられる…わたしは…なんでも…やれる…」


少女の手は震え、足元もおぼつかない。

だが、こちらの肌を煽るように揉む手つきは手馴れていて、とても初めてやる動作のようには思えなかった。


「…だから…すてないで…。…ください」


少女は消え入りそうな声でそう呟いた。


どうやら俺がそういう行為を望んだと思われたらしい。目の前の少女がどんな環境で生まれ育ったかなど、知りたくもなかったが、彼女の育て親は中々の好事家のようだ。


「ふん、どこの誰かは知らんが失礼な親だ。誰が、こんな貧相な身体に欲情するものか」


すでにぬるま湯となった桶の水を、ぱしゃりと少女の頭に被せる。

いきなり水をかけられ驚いいたのか、びくりと少女の肩が揺れる。


「そういうのはいらん、だが何でもすると言ったな?ならまずは自分の体を清潔にしろ。部屋に妙な風邪を持ち込むなよ。」


少女はぽかんとした表情をうかべ棒立ちになっていたが、こちらが体を拭き始めるとようやく自分の手を動かしだした。

水を桶いっぱいに張り、濡らしたタオルで体の垢を拭いていく。

髪はこびり付いた血脂や汗を水に溶かすように髪を桶の中で軽く揉みこむ。

色々と試したが、この方法が一番死臭を抑えられ、なおかつ整髪剤も少量で済みコスパが最もいい。


「ふぅ」


濡れた髪をかきあげ、少女を見る。


「…ふぬっ…あ…ふんっ…」


相変わらず、よたよたという擬音が相応しい動きで脱衣所を右往左往していた。

どうしたらそんな曲芸の様な動きができるのか知らないが、右手で体を拭こうとしては、左側に重心が傾き、すっ転びそうになりながら洗面台の端を掴む姿は、何とも間抜けで歯がゆかった。


「かしてみろ」

「いい…じぶんで、やる」

「いいからじっとしてろ、時間の無駄だ」


少女から布を奪い取り、薄い柔肌に軽く布をあてがっていく。

体に触れる度に珍妙な声を出すのが何とも鬱陶しかったが、有栖の時と容量は何ら変わらなかった。

そして体を吹き終える頃には、嫌でも彼女の身体の特徴に気がついた。

一番目を引くのは、へその下あたり、鼠径部から背筋に伸びる一線の傷跡。

そして体を拭いた時に気づいた、全体的に骨ばっている少女の体。

彼女の生い立ちを説明するには、十分だった。


だからどうという訳でもないが。


「次は髪か、仰向けになっていいぞ」


どうせさっきまでの容量じゃ、朝になってもこの髪の量を洗い終わらないだろうと思い、ついでに髪用の理髪剤を手に馴染ませる。


腰までの伸びる白磁の髪を掬いとると、それは手に良く馴染み、砂のように指の間を抜けていく。

だが、さらさらと指に絡まっていた少女の髪は、彼女の突然の跳躍によって、ぶわりと宙に舞った。


「か、かみ?!」


俺が触れていた所を押さえ、顔を赤らめながら少女がこちらを見ている。


「どうした、何か問題でもあるのか?」


流石に何事かと思い、顔を覗き込むと、少女はこちらから目線を外し、両手で握った髪で顔を隠そうとする。


「何だ、言いたいことがあるなら言え」


「…で、でも」


こちらとしてはさっさと終わらせたい所なのだが、少女は一向に体勢を崩そうとしない、どころか明らかに困惑の表情を浮かべ躊躇している。


「なんだ、今更恥ずかしがってどうする」

「…そうじゃない…ただ…」


(ええい、まどろっこしい)


「ひゃっ」


半ば強制的に少女を仰向けに寝かせ、桶の中で髪を洗う。

この先、宿すらない旅に出ることを考えれば、こんな事でいちいち躊躇してもらっては埒が明かない。


(さっさと慣れてほしいところだが)


指の間から見える少女の尖った耳は顔同様、真っ赤に染まっていた。


(あんな行為をしてきた割に、変な所で恥ずかしがるんだな。エルフの生態はよく分からん)


爪を立てぬように頭皮をやわく揉みこみ、手櫛で細い髪をといていく、この行程が雑だと有栖によく叱られたものだ。

だがそれも昔の話で、今ではもう手馴れたものだ。こうして他の事を考えながらでもミスを起こすことはない。


「…あなたが…いいなら…」


ようやく口を開いた少女から出たのはそんな脈絡もない言葉だった。しかも顔は手で隠したままで表情は読み取れない。


(…何がなんだか、な)


少女の意図は無視して、目の前の泡の塊に目をやり、早く終わらせたい一心で作業のように泡を掬った。

だが少女の髪の毛の量は有栖と同じか、むしろそれ以上に伸びていて洗い終えるのは相当時間がかかりそうだった。


わしゃわしゃと、髪を洗う音だけが聞こえる。

謎の雰囲気にいたたまれなくなり、少女に話しかけた。


「しかし、あれだな。エルフは手先が器用と聞くが、存外そればかりでもないようだな。

さっきの話の続きだが、お前は回復術の他には何ができる?」


「おまえ…ちがう…なまえ…くくる」


質問には答えず、少しむくれた様な態度でククルが応える。


「…それと」


「…ふつつかですが…おねがいします…だんなさま…」


ククルが真っ赤に染まった顔を両手で隠しながら


「おとな……の…かいだん」などと脈絡の無い言葉を並べた。


「……?」


ククルが発した言葉の意味が理解出来ずに、軽快に泡を吹かしていた手が一瞬止まった。


だんなさま、旦那様。

ふつつかもの、不束者。

おとなのかいだん、大人の階段。


どう咀嚼しようと、やはり理解は出来なかった。


「何か、語弊があったようだな…。

いいか。俺たちはただのパーティであって、断じて夫婦ではない」


命令に従順な主従関係ならまだしも、なぜ俺がこんなガキと結婚したことになっている。

それに街中でこんな小さな子供に旦那様呼ばわりされてる所を周りに見られてみろ。

雀の涙程の俺の信用は瞬く間に弾け飛び、かろうじて除名されずにすんでいる冒険者の肩書きも一気に奴隷商人へとジョブチェンジだ。


「…でも…みそぎはすんだ…それに…ごしゅじんから…」


ククルはそう言うと、恥ずかしそうに毛先を弄りながらどもり始めた。


「何を勘違いしてるか知らんが別に俺はお前のご主人でも何でもない。外では俺のことはフェイズと呼べ。いいか間違ってもご主人と呼ぶんじゃないぞ」

「…でも」

「でもじゃない」

「…いけず」


(…何故そんな言葉だけは知っている)



何度改めろと言い聞かせてもあの手この手で言い返してくるククル、俺の呼び方については小一時間程の押し問答があった後「…じゃあ、…ししょう…なら…いい」というククル側の提案に、渋々俺が折れるという形で決着がついた。


ーーーー


「なぁ、ほんとに呼ぶのか?」

ふんすと頷くククル。

「にしても何で師匠なんだ、もっと他にあるだろう」

「…なら、だーりん、ぱぱ、…ほかにも」

「よし。もう師匠でいいぞ」

「うん、よろしくね、…ししょう」


もしかしたら俺はとんだ疫病神を拾ってきたのかもしれない。

狭い脱衣場のなかで何度も「…ししょう。うん、ししょう、ししょう」と、うわ言のように呟くククルを見て、既に今更だということを俺は悟った。


ーーー


部屋に戻り、明日への準備を始める。明日はまず今日やりそこなった依頼報告、禿げ狸へ防具の納品、そしてこいつがどこまでの実力があるかを測る必要がある。


ベッドに容赦なく体当たりをかまし、羽毛を撒き散らすククルは如何にも年相応と言った所で、まともな戦闘をする姿は思い浮かばなかった。


いくら回復術を使えるからといって、回復をかける術士が真っ先に死んでしまっては意味がない。

基礎体力、近接戦闘術、そして魔物への知識。恐らく皆目、及第点にも届かないだろうが、それでも教える他あるまい。

だが時間は有限だ。それに単純計算でこれからは食い扶持も二倍になる。


「明日は早めに出るぞ」

「…わかった」

「俺のベットを使ってくれ、俺はこっちので寝る」

あまり使われていない俺用のベットを指さすと、なぜだかククルがむくれ面になる。

「…だめ、ふうふはいっしょ…」

「早く寝ろマセガキ」

「むぅ」


しっしと手払いしてベットの布を捲った所で有栖の姿にククルが気がついた。


「…ししょう…このこ…だれ」


ククルが部屋の隅で寝ている有栖の顔を覗き込む。


「有栖、妹だ。俺のな」

「ありす…まな…ながれ…へん」

「…寝てるんだよ。ずっと」


ククルは苦渋と躊躇いが混じった顔でこちらを振り返る。


「なおす…」

「それは、いい。祈祷でどうこうできるもんでもない」


有栖が目を覚まさなくなってから約二年半、ありとあらゆる手は尽くしてきた。

殺し、奪い、騙し、負の連鎖にその身を投じた結果、残ったのは莫大な借金とマフィアとのしがらみだけ。

有栖の容体は現状維持が関の山だった。


「有栖が目を覚ますなら、何だってするさ」


有栖が目を覚ましたら、謝りたいことが沢山ある。怒られたっていい。そのために、その事だけが今俺がこうして、のうのうと泥を啜って生きながらえている理由だ。


「…わたしも…てつだう」


か細い腕と手を握りしめ、ククルは許しを乞うように上目に見つめてくる。

いじらしいと言えば聞こえはいいが、ククルがやれる事は数少ない。

恐らく、本人もそれは承知しているだろう、その上でこんな行動を取っている。


「まぁお前はまだ荷物持ちがいいとこだがな」


何にでもないように一笑に付すと、ぷくと頬を膨らませ、ククルが抗議の表情で羽織っていた布団をばさばさと揺らす。


「…だから…くくる」

「ああ、一人前になったら呼んでやる」

「…かいしょうなし」

「どうやらお前にはまず言葉の使い方から教えた方がいいらしいな、そこに座れ」


燭台に、融けた蝋燭が滴る。


「…少し、話しすぎた。もう寝ろ」


か細く灯る蝋燭を吹き消し、ベットに潜る。

体温の低い有栖の温もりを感じながら目を閉じた。


今夜は寝つきがいい。

確証はないが何故だかそんな感じがした。

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