第6話 「森の妖精」

広けた場所から数十歩ほど離れたところに、最後の遺体は横たわっていた。

リスティーニャ・ローテルの遺体に感じた違和感の正体。


そしてその推測の成否は、大きなに貫かれた、防具を纏っていない遺体が雄弁に物語っていた。


 (リスティーニャ・ローテルの死体はくちばし型に捕食されていたが、それは識別個体ネームド達の嘴とは大きさが合わない。

そして魔術士のように殺されたあと、保存食にされ、枝に吊るされたわけでもない。

では誰にあの女は殺された?)


(決まってる、ゴブリンだ。ゴブリンによる嬲り殺しの結果、あの死体は出来上がったのだ)


全く予想していなかったわけではない。

ただ、同じような末路を辿ったよく似たパーティを知っていたからこそ、何処か、そうあってほしくないと、期待してしまった。


「くそったれ!」

足元に乱雑に捨ててあった防具を感情に任せて踏みつけた。

胸糞悪い感情が胸中きゅうちゅうに渦まき、苛立ちに脚が震える。


(新米冒険者の末路なんぞ腐る程見てきた。

パーティ全員、魔物のはらわたに旅立って、その上、何週間も捜索すら行われなかった奴ら。

一人だけおめおめと逃げ帰ってきて以降、外にすら出られなくなった腰抜け野郎

そして魔物に捉えられ、恥辱と絶望を味わいながら嬲り殺しにされた女共)


思い出したくもない情景がとめどなく頭の中に映し出されていく。

魔物に敗北した冒険者のその末期。


それはどんな屈強な戦士であろうが、卓越した知識と技術を持った術士であろうが、毛程の夢に魅せられた少年にも平等に訪れる、この不平等が蔓延はびこる世界で唯一、全員に用意された残酷な結末である。


中でもゴブリンに捕まった女性の最後は、一言で表そうにも、その残虐性に釣り合うだけの言葉は見当たらない。

聖協会から「悪魔の嫡男」と呼ばれる程の狡猾さを持ち、他種族の雌を孕ませる事でしか繁殖することのない傲慢さ、まさに「不愉快で醜悪の妖精ゴブリン」と呼ばれるに相応しい生態である。



(ゴブリンが、ゴブリンに捉えられ、嬲り殺しにされた女の死体が、犯された形跡もなく、あんな森の浅い所にあるはずがない。

それともゴブリンが丈の合わない両手剣を使って人を襲うのか?

識別個体ネームド級の三面鳥が仕留めた獲物をわざわざ腐らせるような真似をするのか?


…これが本当に盗賊の死体なら、あれはいったい何処のどいつで、何故こんな所に死体が転がってやがる、くそったれが)


目の前に転がる遺体は何を味わい、感じながら死んでいったのだろうか。

性別すら判別できない程膨れ上がった顔には、死に際の表情すら残されていない。


「別に、そんなものだろう。何を期待していたんだ、お前」


やがて頂点に達した感情も下り坂を進み、冷めきった感情だけが残った。


所詮は保身のために仲間を殺して逃げるようなパーティだ。

そんなパーティの末路や仔細に興味など、ない。


「…仕事にいちいち私情を挟んでいたら、身が持たない。割り切れ、情などそこらに捨ててきただろ」


キャロルの印象を上げるため、割のいい仕事を請け負った。それだけのはずだ。


誰もいない樹海はひどく静かで、思考を妨げてくれる物は何も無い。


残った防具を麻袋に敷き詰め立ち上がると、アドレナリンによって感じていなかった疲労が全身を巡り、どっと体が重くなった。


「少し、休もう」


体を樹に預ける。

しばらくの間、赤茶と群青に塗られた樹海を、何も考えずにただただ眺めていた。



ーーーー



誰だ?




平生を取り戻し、樹海を出ようと重い足を運ぼうとした瞬間、背後から何か動くが聞こえてきた。

草木の擦れる音に、脳に危険信号が送られるよりも先に体は振り返っていた。


「出てこい」



樹の影から、先程まで視界に映っていた色とはまるで不釣り合いなほど色彩の薄い手足が伸び、腰まである白磁の髪からは先の尖った耳が見え隠れする。

そして、端正な配置をした顔立ち、碧と純白のフリルに包まれた見るからに華奢で、次の瞬間には崩れ落ちてしまいそうなその身体。


森の妖精エルフであった。


少女は手を樹に置いて体を支え、震える脚を何とか保たせ、こちらに何かを伝えようと、口を動かし言葉を紡ごうとするが、それは声とならずにただ池の鯉のように何度も同じことを繰り返した。

 (森の妖精エルフ?なぜこんな所にいる、いや、そんなことはどうでもいい)


「たす…て…う…」


少女がやっとのことで紡ぎ出したであろう言葉は意味を為さず、不明瞭だった。


「こんな所でどうした?」


汚泥にまみれた防具と薄汚い両の手をした人間とはまるで思えないような爽やかな笑顔を少女に向ける。


「一人か?他の仲間は、どうした?」


なるべく緊張が伝わらないように、声音を抑えて少しずつ近づいていく。

敵であるならば、なるべく油断を誘える様に、そうでないとしても、怪しまれることのないように。


「…まは…ない…でも……くれた……がとう」

「なんだって?」


少女の言っていることはいまいち聞き取れない。

こちらが木の付近まで近づくと少女は少しばかり怯えるような仕草をする。


だがここまで間合いに入っても攻撃の予備動作などは一切見えないため、すぐにこちらを殺してくるような魔物ではないことが伺えた。


浅く呼吸を繰り返していた少女の体が傾く。


「おい」


そのまま地面に倒れ込みそうな勢いで、こちらの腹にぽすりとその体を預けてきた。


「大丈夫か?」


気絶でもしたのかと思ったがどうやら緊張の糸が切れ、腰が抜けたようだった。こちらの問いかけに少女はコクリと小さく頷く。

少女を立て掛けたまま、こちらも樹の幹に体を預ける。


「…す…かった…」


俺が腰を下ろし、必然的に仰向けになった少女は抵抗する素振りも見せずにこちらに全体重を任せてきた。

体を抱きかかえるような体勢になっても少女は抵抗を見せない。

その奇妙な行動は解きかけていた警戒心を引き戻すには十分だった。


(なぜ、ここまで警戒を解いている。

油断したと見せかける罠か?

いや、人を殺傷できるようなものは持ってはいなかったし、魔術を使おうにもこの距離なら俺の方が早い。

…まぁそれは後だ。

それよりもこいつはいったい何処から現れた?

そして問題は何時いつから俺のことを見ていたかだ。

もし、死体から防具を回収している所を見られていたとしたら?)


「お前、どこから来たんだ?」

「…りずーる、にげて...きた」

「そうか、大変だったな。それにしても何故こんな森の奥に隠れてたんだ?

森の妖精エルフならここがどれだけ危険な森かくらい分かるだろう」

「…げて…きた、…やつから」

「…そうか」


リズールという地名は聞いたことがなかったが、彼女の擦り切れた素足や汚れた衣服を見るに、何かから逃げてきたというのは本当のようだ。


「あなたは、だれ...?」

膝の上で少女が振り返り、翠の眼が俺を見つめる。

「冒険者だ」

「...そうじゃない、なまえ」

「マサツグだ、元勇者のな。聞いたことくらいあるだろ?」

「...ごめんなさい」

「知らないならいい。気にするな」


申し訳なさそうに俯く少女。

だがこちらとしてはむしろ有難かった。

もし彼女が勇者マサツグに関して何か情報を持っているならば、この場で殺さなければいけない所だった。


ひとまずは大丈夫だ、彼女は聖教会の者ではない。


だがそれとは別に、考慮しなければならないことがある。


それは彼女が俺のしていたことを、どこから見ていたかだ。




(こいつをここに置いていくのは簡単だ。

だが、片道でもこの森の奥まで来た奴だ。

万が一、街へ生還するようなことがあった場合、十中八九何があったのか聞かれることだろう…。

その際答える内容には、何がある?

俺がその中に含まれないと考えないほうがいい。どうする?いっそのことここで…)


小さな少女の傍らで、その少女をどう処分するかを考えていると、不意に戦意が削がれるような多幸感に包まれた。


(なんだ…?妙に、暖かい)


下を見れば、祈るように手を合わせた少女の両の手から蛍のような小さな光が灯る。

その直後、全身を這いずってた疲労が緩和され、左腕の怪我の痛みが引いていく様な感じがした。


「何をしてる?」


純粋な疑問が口からこぼれ出た。


「くれた…おれい……」


要領を得なかった少女の言葉が、片言だが断片的に理解できる程になった。

くれたおれい、どうやら少女は俺が窮地に駆けつけた王子様のように視えているようだ。何とも都合がいい。


「回復魔術、使えるのか?」

「…わたしのは……きとう」

「祈祷使いか、珍しいな」


小さな子供に道を尋ねるように、柔和な語気で応対すると、少女はこくりと小さく頷き、肯定した。


(ここに置いていくか、連れて行くか、ここで殺すか。どれが正解だ?

いや、どの選択がいかに損害が少なく益を得られるかを考えろ。

街でこれ以上の不評を買う危険性、回復祈祷が使えるようになる有益性、それともこれらの可能性全てを皆無にするか)


悩んでる時間はあまりない。

刻一刻と迫る日没に急かされ、天秤にかけるべき選択を取捨していく。じっくりとその重さを測り終えた後に


「一緒にくるか?」


と少女に尋ねれば、少女はこんどこそ大きく何度も頷いた。


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