第27話 木曜日


 「久遠一尉」

 背後から声をかけられ、久遠は素早く振り返り、一礼した。

 「天城三佐殿」

 「楽にして、久遠くん、元気?」

 陸上自衛隊内でも屈指の美貌と才媛の持ち主、天城塔子。33歳。

 六本木の高級ブティックで仕立て直したと噂される制服は、身体にぴったり張り付いたように見える。

 「忙しくてへたばる暇もないすよ。天城さんがここに来るとは珍しい。なんのご用で?」

 「捕虜と回収されたカナダ軍の機材を引き取りに」

 「おつかれ様です。電話していただければ朝霞まで運んだのに」

 「直接自分で手配したいのよ」

 「相変わらずですねえ。ぼくも信用してくださらないんですか?」

 「忙しいんでしょ?邪魔したくないの」

 「まあ、半分は小僧をしごいてるだけなんですが」

 「浅倉健太くんね?本人はまだここにいるの?」

 「いまシミュレーター訓練中です。お会いになります?」

 「いいえ。わたしはすぐ帰るの……ところで台湾海峡の動きは伝わっていて?」

 「いえ……」久遠は声を潜めた。「初耳です」

 「やっぱりね……海自が張り切ってるから 」

 「ひどいなあ。ここだって自衛隊の一部なのに仲間はずれですか?」

 「まだなにか上陸してきたわけじゃないし、ウチだって似たようなものよ。だから仲間はずれどうしこうして情報をシェアしてあげてるんじゃないの」

 「へへへ、すんません。それで動きとはどんな?」

 「北京政府の指令で韓国、北朝鮮、それに加えてフィリピンが連動して不穏な動きを見せているの。半島勢は日本海沿岸にずらりとミサイルを並べているようね。潜水艦が釜山に集結中……大規模な陽動じゃないかと思うのよね……と言うことは」

 「ヴァイパーマシンが来るかもしれないと」

 天城塔子は人差し指でピストルの形を作り、その通り、というように久遠を撃つ真似をした。

 「それじゃあ行くわ。あなた、こんなところに籠もりっぱなしは身体に毒だわよ。今度暇になったらさつきも一緒にどこかで飲まない?」

 「いいすね」


 久遠は上官の後ろ姿を見送った。

 (捕虜ねえ……カナダの兵隊をどこに連れて行くんだか……)



 体育訓練とシミュレーターを終えると、さらなるメニューが追加された。


 体育室に隣接した畳敷きの道場で待っていたのは、胴着姿の二階堂真琴……ちゃんだった。

 「えっと……マーシャルアーツの特別授業だって、聞いたんだけど……」

 「ハイ」真琴がにこやかに応じた。「わたしが教えるんですよ」

 「え~……?」

 「さっそく始めましょう。まずは基本的な組手からです」


 それから一時間で健太は何度も倒され、投げ飛ばされ、組み伏せられた。

 身長160㎝前後、中学三年生としてはちょっと大きいほうか。しかしほっそりしていて、ショートボブなので絵に描いたようなアスリート系だった。そんな女の子の胴着の襟を掴め、というだけで最初は躊躇したが――

 そんな遠慮は無用だった。

 めっちゃ強い。

 足を払われるだけで痛い。黒帯は伊達ではなかった。

 いいように体勢を崩され、すっ転ばされ、何度も畳の匂いを嗅ぐ羽目になった。

 たった一時間だったが、最初の5分で遠慮は吹っ飛び、あとはムキになって取っ組み合った。しかしたった一度でさえ真琴の裏をかくことはできず、健太はなかば腹を立てて――投げ飛ばされ続けた。

 小休止ののち、健太のなにが悪かったのかレクチャーが始まった。手取り足取りの丁寧な説明と身体に刻まれた痛みにより、健太は自分でも驚くぐらい合気道的な力学応用を理解できた……

 が、聞くは易し、実戦は別物ということも「痛いほど」理解できた。


 健太は混乱していた。妹系の可愛い女の子がしっとり汗ばんで、ソーシャルディスタンスゼロ㎝で健太と取り組みあっているのだ。顔がすぐ近くに寄り、息吹を感じるほどで、いい匂いがして、ときには背中に密着され、躍動するしなやかな筋肉の動きさえ伝わる。胴着がぴんと張るたびにくっきりするおしりの形……


 なのに喜びは皆無で、ただただ身体が痛めつけられ、プライドが崩れ去るのみ。


 (おれ、なんでこんな罰ゲームしてんだろ?)

 

 「今日はこのくらいにしましょう。すこしあちこち痛いでしょうけど、ぬるいお風呂にゆったり漬かってよく寝てくださいね。次はあさってにまた」

 「よろしく~」

  健太はボロ雑巾の気分でなんとか返事した。


 その夜はちょっと泣いた。

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