第26話 水曜日


 学校が終わったらすぐに出頭して二時間の運動、そしてシミュレーター訓練が加わった。

 くたびれきった状態でシミュレーターに乗るほうがよりリアリティのある想定だろう、という理屈らしい。

 (無茶言いやがる)

 髙荷マリアに対する自分でもよく分からない対抗意識だけが、健太を突き動かしていた。そのためにスマホゲーしたりマンガ読んで過ごす時間が消えたが、犠牲としては自分でも意外なくらい他愛もないことだった。現実があまりにもシュールかついっぱいいっぱいで、絵空事に気が回らないのだ。

 

 「こんなに、身体鍛えるのは、なんでなの?やっぱ、自衛のため?」健太はスクワットしながら尋ねた。忙しいのに今日も久遠一尉直々の指導だ。

 「ちげえよ!おめえのなまくらボディを少しでも鍛えにゃ、ストライクヴァイパーのポテンシャルをじゅうぶん引き出せないの!」

 「え?おれそれなりに、飛ばせてると、思ったんだけど、なあ……」

 久遠一尉が盛大に嘆息した。

 「あのな……ストライクヴァイパーのデジタルフライバイワイヤーシステムには四段階の制限がかかってんの。第四段階は完全に無人状態専用のオーバードライブマニューバなんで人間が乗ってたら即死レベルだから実質は三段階なんだが、おまえはまだたったの第一段階なの。首と腹筋をもう少し鍛えねえと、マシンの本領発揮できねえんだよ。お分かりか?」

 「な……なるほど」

 がっかりするような事実を知らされて健太は神妙な面持ちだ

 「まあ転じておまえさんの寿命に関わるんだから自衛と言えなくもねえが……よっし、今度は背筋だ、うつぶせになりな」

 健太はうつ伏せになり、頭の後ろに両手を組んで背筋を仰け反らせた。

 「そんじゃ、自衛用に、銃とかは?」

 「銃?ピストルか?」

 「そだよ」いちおう先日のカナダ兵のことも念頭にあったから、護身用になにか持たせてくれるのではと期待していた。

 だが久遠はまじめに取りあわなかった。

 「なにに使うんだ?むかつく先公でも射殺すんのか?」

 「違うよ!自衛用って、言ってる、だろ」

 「そんなもん役に立ちゃしねえよ。忘れろ」

 いともあっさり一蹴された。

ちぇっ!


 とはいえ健太も本気で銃を支給してくれるとは期待していなかった。

 (未成年だしな)

 おなじ未成年がつい最近巨大ロボット兵器を操ったのはともかく。

 健太は拳銃を持ってると一人前の男、というイメージを抱く年頃だ。軍オタゆえに実銃射撃もしてみたい……そのためだけにグアムに旅行しようと国元と話し合ったくらいだ。鎖国でその夢は消えたが。



 シミュレーター訓練は島本博士の指導で、矢継ぎ早に指示が飛び口汚く罵られるところは久遠より厳しい。

 それもこれも、健太が死なないための訓練なのだということは分かる。

 だからといって腹立たしさは薄まらないが。

 ハードな訓練だが、油圧で動く本格シミュレーターはそれなりに面白い。


 久遠の話はシミュレーターによって裏付けられていた。たしかに、戦闘機というのはうっかりしたら簡単に十Gの荷重がかかり、一瞬で気を失いかねない。

 健太は音速で何度も地面に激突した。1秒間で300メートルも進んでしまうというのがどういうことなのか、ようやく理解し始めたところだ。


 仮想敵として登場する自衛隊のFー15イーグルは、健太の乗るストライクヴァイパーに遠慮なくミサイルを叩きつけてくる。アムラームを五〇発食らっても撃墜されない機体でなければ何度殉死していたことか。


 初出撃であれだけやれたというのに、訓練が進んで知識が増え、経験値が上がるにつれて、逆に自分がどんどん無能になって行く気がした。ありがちだがおかしな話だ!

 現実はキビしいのだ。


 それに自衛隊の航空管制は基本的に英語だ。

 米軍が引き上げて日米安保がポシャったんだから日本語でいいじゃんと思うが、国際規約というのはそう簡単に変えられないらしい。

 真琴も奈美も英語ぺらぺらだ。真琴は三カ国語をマスターしているという。


 しかも近衛実奈はメンサの会員で、島本博士より頭が良いのだという。

 健太はメンサがなにかさえ知らなかった。

 だが健太の母、浅倉澄佳はそこで実奈をスカウトしたのだ……

 自分の母親が世界的な天才交流団体の会員だったとは。


 礼子先生は英語教師だし、あの髙荷でさえバイリンガルなのだ……赤点取るほどだから勉強はできないと思っていたのに、そうではなかったらしい。帰国子女で2年前までオックスフォードに住んでいたのだ。勉学がいまいちなのはそのためだという。

 なんとなく裏切られた気分だ。


 夜中にふと目覚めると、エルフガインコマンドでただひとり、自分だけが能なしなのだという恐ろしい疑念が頭をもたげ、心細さに胸が押しつぶされそうになる。


 健太を突き動かしているのはひたすらその危機感だった。

 エリート職能集団に間違って迷い込んだなんの取り柄もない高校生……。さっさと消えろよ、という髙荷の冷笑が脳内再生される。


 健太がまだお払い箱にならないのは、ひとえに健太の母親が、なぜかエルフガインを健太専用に作っていたから、ただそれだけの理由だ。

 自衛隊はその事実を覆そうと躍起になっているという。健太と同等かそれに近いバイパストリプロトロン・エンジンと親和性のある人間はいずれ見つかると、島本博士でさえ認めていた。

 島本博士の説明によれば、エルフガイン開発初期に都合良くシミュレーターを動かし続けてくれたのが健太少年だった。それでたまたまシステム全体が健太に合わせて構築されたのだという。

 代替が効かないと気付いたときにはもう手遅れだった。

 システムを万人向けに再構成する前に母が亡くなり、残ったのが健太をそのまま本番のパイロットに据える、という案だったのだ。


 島本博士は言った。

 「だから健太くんが類い稀なスーパー能力の持ち主だとか、そういうありがちな話じゃないの。そんな話を期待してたとしたら申し訳ないけど」

 「ハハ、まさか、そんなマンガみたいな展開……」


 今週いちばんがっかりした話だった。



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