第24話 月曜日 昼


 礼子先生は屋上機械室の壁際に背を持たれて待っていた。健太が現れると壁から身を離して小走りで近づいてきた。

 屋上は高い金網フェンスで囲われている。見たところフェンスに近寄らなければ姿を目撃される心配はなさそうだ。

 健太はなにやら背徳的な気分にドキドキしつつドアの鍵を閉めた。べつにやましいことはしていないのだが……むしろ職員室から鍵をくすねてちゃっかりコピーしてしまう先生のほうが大胆だ。


 「浅倉くん、こんなところに呼び出してごめんなさいね。その……例の話なのでどうすればいいのか分からなくて……」

 「ていうと……先生はやっぱり……辞めるの?」

 「えっ?……いえ、そうではないの」

 健太はなぜかホッとした。

 「あの戦車の操縦、やめないんですか……けっこう嫌がってたと思ったけど」

 「ああ……」礼子先生はちょっと決まり悪げに手をひらひらさせた。「そのつもりだったのよ。ねえ、どこか座れる場所ないかな」


 見回してみると機械室の反対側の壁際に古びたベンチが置かれていた。公園か売店の店先に置いてあるような、ソフトドリンクのロゴが書かれた青い樹脂製シートのベンチだ。昔の生徒がどこからか失敬してこっそり持ち込んだのだろうか。


 「ちょっと汚れてますね」健太はポケットティシュを取り出して座面を拭いた。

 なんとか座れるくらいになったので二人並んで慎重に腰を下ろした。長年直射日光に曝され色あせていたが、材質は劣化していないようだ。


 礼子が話し始めた。

 「――たしかに無理矢理あんなこと押しつけられて腹が立ったけど……この三日間いろいろ考えたの。それでやっぱり引き受けてみようと思って。だけど少し決まり悪くて……それで浅倉くんに話を聞いてもらおうと思ったの」

 「はあ。あの博士にしたり顔されたら嫌ですもんね」

 「そうそう」礼子は苦笑した。「でも……あの人の言うとおりなのよ。わたしまんざらでもなかったなって。あの大きな戦車を動かすの、嫌じゃないなって。それにね、わたしが降りて誰か別の人に押しつけるのも無責任だし」

 「ああ……」

 礼子先生ってけっこう責任感強いんだ。


 今日は珍しく快晴で、ベンチから噴煙を上げる富士がくっきりと見えた。富士山をちゃんと眺めたことなんてしばらくなかった。

 「なに見ているの?ああ……富士山ね」礼子は立ち上がった。「よく見えるわねえ……このベンチを置いた人も富士山を眺めようとしたのかな」

 手を後ろでつないで富士を眺める礼子先生のスラッとした後ろ姿に健太は魅入った。

 「かもしんないすね」

 「……あの髙荷さんもがんばってるんだし、先生もなんとかやってみようと思うの」

 「応援しますよ……俺じゃなんの役にも立たないけど)」

 「ありがとう……」礼子は振り返った。「先生、ここに赴任したばかりでさ、こんなお話しできる人ほかに思いつかなくて」

 「え?そうなの?」

 「友達は神奈川にしかいないし。――正直言うと学校の仕事ってけっこうキツいの」

 「エッ?それは知らなかった……」

 「あ、仕事じたいはやり甲斐あるんだのよ……でもちょっとその……ときどき、ハラスメントかな?って出来事があって」

 「ああ……」

 礼子先生は美人でスタイル抜群だ……顧問をやってるテニス部でスポーツウェアを披露しただけで男子どもが群がりスマホを向けるくらいだし。職員室のオヤジどもの注目は如何ほどか。

 「先生がこんなこと言ったって、誰にも言わないでね?だけどこういう事は友達にも相談しづらくて……真面目に取りあってくれないというか」

 (同性のやっかみもある、ということか……)

 美人でもいろいろ背負ってんだ。しかし――


 「それじゃあ先生もう行くね。相談に乗ってくれてありがとう。悪いけど帰りも時間差でお願いね?」

 「はーい」

 健太はやや呆然と礼子の後ろ姿を見送った。

 ポケットの鍵を握った。先生とささやかな秘密を共有できた……

 しかし漠然とした不満を覚えた。


 健太に相談したということは、よほど無害だと思われてんだろうか……

 ひょっとして、ほかの野獣どもみたいに胸をガン見せずおしりに見とれてたから、おれだって先生にハアハアしてるんだって事気付いてないのか……?


 尻ポケットのスマホが鳴り始めた。健太は溜息を漏らした。今日もか……。

 「はい、もしもし」

 『よう久遠だ。ガッコ終わったんだろ?油売ってねえでとっととこっちに出頭しろ。一三四五時までに来ねえとぶっ飛ばす』

 そして返事も待たずに切れた。


 「了解~」健太は切れたスマホに答えた。


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