第22話 土曜日 昼


 愛知県、防衛省ビル一二階会議室。

 防音処置が施された分厚いガラスを通して名古屋城が見える。朝から天気はめまぐるしく変化している。いまは低い雲が垂れ込め、強い通り雨が降ってきそうだ。


 ガラスに保たれながら、天城塔子はぼんやり思った。

(豊田の特車生産ラインは見学したのに、あんなにちかくにある名古屋城に行ったことがないな……)


 ふと足元に目をやれば、塔子たちのいるビルに面した通りには雨合羽姿の人だかりができている。50人程度か、左翼のデモ隊が今日もがんばっているようだ。外国人退去でお仲間を大勢失ったのに、なかなか根性がある。


 降水量は毎年増加する一方だ。去年も一昨年も台風で大きな被害が出た。それでも日本はまだ穏やかなほうだった。ヨーロッパでは洪水で都市がいくつも水没している。死傷者の数も二桁多い。


 あとひと月もすれば梅雨だ。そして台風シーズン……。東シナ海が台風街道と化せばしばらくアジア方面の心配をせずにすむはず。

 北米は去年11月のサンアンドレアス地震で壊滅した西海岸都市の復旧で手一杯……。

 (ふざけた戦争さえなければ、ひと息つけるのだけど)

 会議室のドアが開いて知ってる顔ぶれが入ってきた。

 次官連中はみな一昨日よりくたびれきっているようで、呻きながら会議卓を囲む椅子にどかっと座り込んだ。自衛隊関係者はこざっぱりしていて、小馬鹿にしたように次官の後ろを回って所定の席に座った。

 塔子も席に着いた。


 外務省の男が書類の詰まった封筒をぞんざいに投げ出して言った。

 「カナダは白旗を揚げたよ。やれやれ」

 さっそく本題のようだ。

 「アメリカのほうはなにか動きがあるか?だれか知っているかね?」

 「いまのところしらばっくれているようだ」


 G8がすべて国交断絶状態となった現在でも、世界は細い糸で繋がっていた。

 日本の友好国であるオーストラリアから欧米の情報はもたらされる。台湾からはアジアの情報が来る。

 情報がほぼ皆無なのは大中国とロシアだ。外務省は職員全員が軽い鬱状態だという。 


 「これでわが国のあー、例の「コア」は、三個になった、のだな?」

 「はい」

 「どうするんだ?カナダに返還するつもりなのか?」

 「人道的な理由で、カナダの電力を回復させる決定が下されました。まるまる二日間停電を経験したのですから、あちらは大変なことになってるでしょう……」

 「わが国はお優しいな」

 「ちゃんと降伏条件は呑ませましたよ?」

 「調印式はビデオで見たよ。わがほうの政府関係者のほうが恐縮していたじゃないか。情けない」

 「それじゃあカナダまで護送艦隊出動なのか?」

 「いいえ」海自の一佐が答えた。「バイパストリプロトロンは距離に関係なく作用します。コアは日本で貯蔵されたままカナダに電力を供給できます」ご存じですよね?と問いかけるように方眉を上げた。

 「ま、そうか。これで我々が面倒見なきゃならない国は、いくつになる?」

 「台湾、フィリピン、アフリカのなんとかいう国、南シナの島いくつか、インドとスリランカにも我々の技術供与で作られた反応炉がいくつかある……」

 「そしてカナダ、か。米国は余計な国を我々に押しつけ負担増になるのを狙っているんじゃないかね?」

 「当然そうだろうがコアが三個あれば余裕なんだろ?」

 「電力だけならな!まあさいわい、カナダは世界屈指の食料生産国だよ。久々に麦の供給制限が解除されるだろう」

 「ならやっぱり護送船団じゃないか!どこぞの潜水艦にタンカーを沈められないよう気をつけなきゃなるまい?」

 海自の一佐は頷いた。「まあいずれは……」


 会話が一時途切れ、何人かがさっそくたばこに火を点け始めた。

 この面子による会合は三度目になるが、警戒態勢が一時解除され、地下のセキュリティーのしっかりした部屋ではなくこの会議室に移された。

 情報収集機能が充実した地下のほうが便利なのだか、禁煙だった……。どうやらこの会議はこの先も続きそうなのに忌々しいことだ。


 経済産業省の男が紫煙を燻らせながら会話を再開させた。

 「そういや、自衛隊に採用されなかった連中が大勢東北に行ったそうだよ」


 いま「東北」と言えば企業グループによる大規模集団農場を指す。日本はついに食糧自給率改善に乗り出したのだ。

 「コルホーズだな」と揶揄する人間も多いが、事実日本のみならず、世界中が社会主義を実践しようかと考え直しているところだ。グローバル経済が終焉を迎えて内需だけでなんとかしなければならなくなった現在、どの国も規模を縮小させる方向で経済再編を余儀なくされている。


 アメリカだけがそうした潮流を無視している。


 もとよりバイパストリプロトロンによる電力供給にも強烈な嫌悪感を示した国だ。塔子でさえワシントンDCの背広を着たデブが「それは共産主義だよ」と言い捨てる様子を容易に想像できた。

 かの国のパワーエリートにとって弱者たる民衆に無料の電気を施すなどあってはならないことだ。国民皆保険制度を断行しようとした大統領が熱心な共和党員にリンチされる国なのだ。

 そして日米安保の傘から抜けた日本はいまや、彼らが嫌悪するすべてを実践しようとしているのだった。

 彼らにとって浅倉澄佳はサタンの手先だ。

冷戦以来世界中の火種の原因となり、信仰のわりに――とくにピラミッドの頂点に近いパワーエリートほど反キリスト的なことばかりしている国に悪魔呼ばわりされるのは、ある意味痛快なことだ。

 長いことアメリカのポチだった日本は交戦規則まで変え、次の湾岸戦争が起きたときには属国として戦うことになっていた……だがそれは結局実現せず、忌々しい超大国のくびきから抜け出した。

 同じように反米(と反日)に走った半島の国は、愚かなシーソーゲームを続けたあげく国連主導で北の兄弟と無理矢理連邦化させられ、挙げ句の果てに混乱のどさくさで棚ぼたを狙った大中国に呑み込まれた。

 (それに比べれば我々はタイミング的に恵まれていた……)と塔子は思った。


 しかし将来的にはまったく見通しがきかないのだが。



 六年前、スウェーデンのノーベル地球物理学者によってひとつの論文が発表された。

 「ドゥームズデイ・レポート」と題されたわずか八五ページの論文は、人類の終末をいくつかの統計データと数式によって数学的に証明していた。

 無理矢理要約すると、ヤンキーノウハウと、それに追従する各国官僚主義により、あと半世紀で地球は熱死する。

 22世紀には地球は金星よりちょっと寒いくらいになり、生物のほぼすべてが死滅するのだ。

 それが結論だった。

 信じられない話だが、基礎研究は三〇年以上まえから行われ、米国ほかいくつかの国、大企業が基礎段階からレポートを真剣に受け止め、密やかに選民政策を進めはじめていた。

 レポートはアメリカが握りつぶそうとしたが、いくつかの国には届いた。大学で自由に閲覧できる日本やイギリス、ドイツなどでは真剣に受け止められ、検討された。ベネチアが水没したイタリアやオランダ、南極の氷が溶けて実際に被害が出ている国や北欧諸国、シベリアでも同様だ。

 発表後の気象推移をすべて予言していたため、レポートに対するまっとうな反証は誰にもできなかった……しかしそれ以上に、米国や中国のえげつない選民政策がマスコミにすっぱ抜かれたことがドゥームズデイ・レポートに大きな信憑性を与えた。


 そして現れたのが浅倉博士だった。

 小手調べで世界中の発電施設を過去のものとした。それと呼応するように「新しい戦争」が異星人によってもたらされた。

 確かに、今回の日本VSカナダの戦争はわずか二時間で終わり、死傷者は三四三名(しかも自衛隊員は損失わずか四名。カナダ軍に至ってはゼロだ!)、費やされた戦争資材とエネルギーは湾岸戦争の一〇万分の一だった。資源節約に二酸化炭素の放出量減少その他、人類と地球にとってはいいことずくめの結果と言える。紛争が起こると先ず株価の上下に注目していたハイエナ共にはいい気味だ。

 だがしかし、新しい戦争はちっとも儲からないと気付いたのは、欧米人ばかりではない……。

 「ほかに、民の様子はどんなかね?」

 「大騒ぎですよ。巨大ロボット出現とUFO出現。どちらを優先すべきなのかマスコミさえ分からないでいる。ですがコアが出現したシーンはばっちりカメラに捉えられていましたから、みんなあの「主審ジャッジ」のメールを思いだしました……。カナダの降伏宣言でみんないよいよ〈ゲーム〉が始まったのだと確信しています。官房長官が二度会見しても質問や問い合わせが増える一方です」

 「これでしばらくパンとサーカスはじゅうぶんだな……」

 「エー、みなさん」

 「きみは?空自の人かな?」

 「わたしは航空自衛隊宇宙作戦群から来ました」

 「宇宙……?そんなのあったっけか」

 「まあそうです。わたしのほうの情報筋から報告があります。じつは12時間前、ロシアとウクライナのあいだで〈ゲーム〉形式の紛争があったようです」

 その場にいた半分が呻いた。

 その情報はこの場の発表に先立って自衛隊に知らされていた。アメリカに破壊されなかった虎の子の偵察衛星の情報だが、もちろん偵察衛星が生き残っていることを官僚に知らせたりはせず、表向きは通信衛星の傍受ということになっている。過去の手痛い教訓によって、教えたら来週には世界中に知られてしまうというのが自衛隊首脳部の信念となっていた。

 次官級なら政治家ほどとんまではないだろうが、用心に越したことはない。

 「それで……どちらが勝ったのだ?」

 「ロシアのようです」

 「くそっ」

 「これでロシアのコアはいくつになる?たしか八個目だな?」

 「アメリカと並んだな」

 「わが国ももっと外交手腕を発揮して、ゲーム以外でコアを供出してもらわんとな……でなければ、異星人と戦う栄誉はアメリカかロシアのものとなる」

 「ムウ……」官僚たちは気むずかしげに唸った。仏頂面で腕組みしたまま中を睨んでいる経済産業省の男は、さしずめ(わが国もとっととアメリカにコアをあげてしまったほうがいいのに)と思っているのか。

 与野党共々そう考えている者はけっして少なくない。来るべき第一次宇宙戦争などアメリカに任せてしまえばいい。彼らは嬉々として闘うはずだ。「ドゥームズデイ・レポート」がなければ多くの国が早々とそうしたことだろう。

 実際には、50年後に世界を滅ぼすことになる国に命運を委ねようという国はほとんど無かった。

 アメリカ人は躍起になって「ドゥームズデイ・レポート」を否定しているが、彼らも馬鹿ではない。自分たちの問題点にはもう気付いているはずだ。だから改めてアメリカに任せてみてはどうか?そんな論調を作り出そうという動きは内外にあるのだ。しかしまだ少数派ではある。

 だが代替案は?中国人には誰も期待しなかったし、ロシアも似たようなものだ。

 だからといって日本人に任せてみようと考える者もいない。相互不信。世界連邦などとうてい実現するとは思えない。

 結局はちからでもぎ取るしかない。

 政府にもうちょっと気概があれば、恫喝外交でひとつふたつのコアを獲得することもできたろうが、もちろんそんなことは一寸たりとも期待できない。

 自衛隊関係者としては「もっとがんばりましょうよ」とも言えない。たちまち危険な主戦論者として社会的に抹殺されてしまう。


 日本はまだまだそういう国だった。

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