第14話 交戦


 健太は左のコントロールスティックを慎重に押した。たちまち全高80メートルの巨体が前進し始めた。


 基礎がない二十階建てのビルが動いているようなものだ。動き出したときは健太の乗る頭部が果てしなく前傾して行くように思え、地震で揺れるビルの頂上にいるときの数倍の恐怖を感じた。

 揺り戻しはさらに不快だ。

 歩行速度もまったく未知の感覚だった。一歩で50メートルも進んでしまう。それも大きいから重厚にもったいぶった動きというのではなく、生身の人間よりわずかに遅い程度。秒速50メートル……時速にして新幹線ほどの速度だ。

 その振動と騒音は凄まじかった。たちまちあたりは粉塵が立ち昇った。


 変型したエネミー01もまた三本の細長い足で立ち上がり、数十本の触手を威嚇するようにエルフガインに向けている。


 「動いた……!」

 対決を見守る遠巻きの群衆のそこかしこで、喘ぐような声が漏れた。

 一歩大地を踏みしめるごとに、遅れてドーン、ドーン、ドーンという爆音めいた重低音が響き渡った。

 それは人類がはじめて聞いた音、巨大ロボットの歩行音だ。

 エルフガインの足裏が地面に及ぼすエネルギーは五〇〇ポンド爆弾の爆撃と変わらない。普通の機械であれば過負荷でたちまち壊れてしまうだろう荷重だ。

 だがエルフガインは普通の機械ではなかった。関節機構は流体金属電磁回転体……リニアモーターによる非接触型構造で、基本的に音は発生しない。しかし関節機構に莫大なトルクを与える補助油圧シリンダーはそうではなく、ひと組の関節にたいして540本の並列シリンダーが奏でる作動音もまた凄まじい騒音だ。

 優れた先進機械は可動部品の少なさがその指標と言えるが、エルフガインはその真逆だ。


 「歩いてる……!」

 エルフガインコマンドのあらゆる部署でも、外の様子を見ていたものはそう呟いた。ヴァイパーマシンの整備担当者でさえそれが最初の感想だった。

 ヴァイパーマシンの構造は複雑すぎ、それぞれの機体特性も極端に違うため、すべてを把握するものはほんの一握りだった。

 関係者の大多数にとってちゃんと動くのが不思議と言えるメカだ。


 「すげえな」

 久遠でさえそう思うしかなかった。

 滅多に外に出せなかったおかげでテストや飛行訓練はわずか数度しか実施されなかった。合体に至っては今回が初だ。めちゃくちゃな話だったが、このときばかりは浅倉澄佳と島本さつきが真の天才なのだと感心するほかなかった。


 本物の巨大ロボットが歩いている。


 テレビの中でさんざん見て、いまや日本男児の遺伝子に刻まれたイメージが具現化しているのだ。

 全高18メートルでも57メートルでもなく、80メートル。105メートルや150メートルには足りないが、途方もなく巨大であることはたしかだ。

 かつて小学生だった60歳以下の男性すべてが共有するイメージ。


 感慨深さは健太も同様だ。

 だが自分で操縦するのは、外から見ただけとはだいぶ違うイメージだった。

 ただ歩いているだけでも故障したエレベーターに乗っているようだ。最新型の戦車と同じく歩行前進によって生じる揺れの大半はショックアブゾバーに吸収され、頭部のあたりはほとんど揺れが伝わらず、その部分に集中している精密機械であるセンサー類や射撃管制装置の機能に影響を及ぼさない……が、乗っている人間に対する配慮は兵器らしく二の次だ。

 健太は特大ビーカーの中の液体に浸かってゆるゆるシェイクされているような感覚に襲われていた。

 (これは慣れるまでだいぶかかる……)

 戦闘中、という緊張状態に置かれていなければたちまちエチケット袋が必要になりそうだ。

 幸いさらに気を紛らわせてくれる無線通信が入った。

 『よし坊主、ここまでは順調だ』

 「坊主って言うな!」

 『わあったよ。無駄口叩いてる暇はないぜ。相手は撃ってくるぞ!』

 「どうしろっての!?」

 エネミー01がカニ歩きで右に回り込んだ。素早い動きだった。エルフガインは戦車砲の要領で相手を自動追尾していた。つまりつねに相手を正面にとらえるように首を回していた。

 (オッと……!攻撃モードが自動索敵モードのままだ。ええと……そうだ!あの敵を標的認定して、自動モードをすべてオフ……)

 健太は馴染み深い操作を徐々に思い起こしていた。トラックボールに乗せた右手が忙しく動き、親指で次々とコマンドを選択した。

 自動モードをすべて解除されたエルフガインはいまや健太だけの操作に従う。エネミー01を正式に『敵』として認識させたので頭部の回転は止まり、全身のカメラによる継続追尾に切り替わった。

 高度な攻撃管制システムを起動させるのはこれより攻撃するその瞬間となる。それまではわざわざレーダーを照射し続けて敵に攻撃するぞと知らせる必要はないわけだ。

 トラックボールをまた押し込むと、モニターの両脇に武器コマンドがずらりと並んだ。トラックボールを転がすと武器リストがスクロールした。

 (一体どれだけ武器を装備させたんだか)

 健太がシミュレーターを使っていた頃はミサイルと機関砲、それに剣とレーザーくらいだったのだが。

 武器リストは有効射程によって色分けされている。グリーンなら有効、レッドは撃っても無駄な武器ということだ。グレーのやつはおそらく合体によって一時的に使用不可能になった兵器だろう。

『おいおい!自動迎撃モードまで切っちまったのかよ!?』

 「ったりまえだ!エルフガインは歩く砲台じゃねーよ!」

『まあ待て、おまえさんがいない五年のあいだにいくらか装備が追加されたんだ。戦争技術の発展に即した奴がな。敵のリモート兵器に対する自動防衛システムはオンにしとけ!』

 「り、了解」

 『よし、それでうるさい雑魚を気にせず戦えるぞ』

 その点も昔のシミュレーターとは違う。 

 前は航空機やヘリや戦車をひたすら破壊して、最後にボスキャラみたいな大型メカを相手にしたのだ。それなのに、いまの説明によると雑魚キャラは自動防御システムが勝手に迎撃してくれるみたいな話だった。 

 (なるほど、CIWSみたいなかんじかな?)


 『聞け、相手もおそらくヴァイパーマシンだ。つまり、エルフガインとおなじくらい頑丈にできてる。一八〇㎜リニアキャノンの直撃弾を少なくとも五発食らってるのにほとんどダメージを受けてねえんだ……バケモンだ。エネルギーシールドみたいなもんを張り巡らせてる。ハジキは役に立たねえ。まずそのシールドに穴を開けなくちゃならん。』

 「なにか方法あるの?」

 『とにかくエネルギーだ。力技で攻めろ。相手に負荷を与えろ。ひとつだけこちらに有利な点がある。エネミー01はおそらくエルフガインの1/3程度の質量しかない』

 「なんとなく分かったよ!」


 参考になるのかならないのか分からない説明を受けかえって質問がいくつも浮かんだが、それ以上会話を続けられなかった。エルフガインのまわりを一定の距離を保って回り込んでいたエネミー01が、背後から突然突進してきたのだ。

 「エネルギーか!」

 自動攻撃モードであればエルフガインは即座に敵のほうに正面を向けたはずだ。だが健太によってコントロールされているいまは、敵に背を向けて立ったまま身動きしなかった。

 健太は突進してくる敵を映し出すメインモニターだけに集中した。

 エネミー01との相対距離が200メートルを割り込んだところで健太はいきなり方向転換した。しかもただくるりと方向転換したのではない。片足を振り上げ、軸足で駒のように9600トンの図体を回転させたのだ。

 次の瞬間、大きく降り出されたエルフガインのつま先が、圧縮された大気の雲を曳きながらエネミー01に衝突した。


 「蹴った」久遠が呆然と呟いた。「無茶苦茶な……」

 傍目にはそれほど鋭い動きには見えなかったが、振り向きざまにエネミー01を蹴飛ばしたとき、エルフガインの脚部の末端速度は時速500㎞に達していた。

 足一本だけで1500トン近い質量がある。

 貨物列車百両が同時に衝突したような破裂音。

 砕かれ捻りつぶされた金属の悲鳴が轟き、避難の足を止めて高みの見物を決め込んでいた連中は身をすくませた。何㎞も離れているにもかかわらず本能的に身の危険を感じさせるほどの音量だ。巨大ロボットの出現に大喜びしていた人間でさえ「これは思ったよりやばい」と危機感を新たにした。

エネミー01は弾き飛ばされた。砕けた部品をまき散らしながら3㎞ほど宙を飛び、小高い山の頂上に叩きつけられそのまま突っ伏した。

 「なんてこと……」島本博士が慄然と呟いた。

 さすがの博士も自ら開発したマシンがどう使われるかまでは想像できなかったようだ。あるいは電動マッサージ器が想定外の使い方をされていることに気付いた開発者の心境か。

 「けど、いまのはちょっと凄かったんじゃない?エネルギーシールドに包まれた装甲どうしの衝突なら、たしかに打撃を受けたほうのダメージは大きいわ。シールドが相殺されるから」

 「ええ……だけど致命傷まではどうか……それよりパイロットは……真琴ちゃんは大丈夫なんですか?」

 島本博士は頷いた。「システムドライヴァーはみんな耐衝撃ジェルに包まれてるから、大概の衝撃は耐えられる。でも機体そのものが……」

 メインモニター横のステータスボードを見上げた。エルフガインのシルエットを模した図の股間から右足にかけて黄色いアイコンがいくつも灯っていた。油圧ダンパーの破裂、細かいシステムエラー、装甲板のよじれなど故障レポートは多岐にわたっている。

 さすがに徒手空拳の格闘戦は無理があるようだ。

 「当然そうでしょうね……」久遠はやや残念そうに答えた。蹴る殴るの戦いが可能だというなら、それは面白かろうと思っていたのだが。

 エルフガインに回線を開いた。

 「坊主、いまの蹴りはなかなかいかしてたが、キックやパンチはなるべく控えろや。機体が壊れちまう」

 『た、たしかに……』

 おなじシステムステータスは健太のコクピットモニターにも当然表示されている。

 それでも「絶対禁止」と言い切らなかったのは、いざとなれば機体など壊してでも勝てば良い、という戦闘のプロらしい考えによるものだ。イージス護衛艦三隻分くらいの値段の機材とは言え、兵器は目的を達成するための道具に過ぎない。後生大事に使いすぎて負けてしまったでは本末転倒だ。

 「それじゃどうするか……」

 健太は武器セレクターを操作した。各内蔵兵器のコマンドは日本語で表記されているのだが「八七㎜ナントカカントカ」とか「対空誘導なんたら」など、すぐに用途の見当が付かない名称ばかりだ。そんな中で「ロングソード」というのが目に付いた。

 そんなもの本当に装備しているんだろうか?半信半疑で右手のトラックボールを押し込み「ロングソード」を選択した。

 エルフガインの右手首の付け根、袖の部分から数珠つなぎの白銀がじゃらりと垂れ下がり地面に届いた。白銀を繋ぐ 十二本の単分子繊維が引き締まり、一本の剣となった。

 


 さつきがつぶやいた。

 「上手い選択だわ……あの剣もエネルギーコーティングされてるから」

 久遠はモニターを注視したまま頷いた。

 「でも技術的には試作段階も良いところですよ。まともに実験さえしてない」


 小山に突っ伏していたエネミー01がふたつの半球を持ち上げ、立ち上がろうとしていた。

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