第9話 ヴァイパーマシン発進


 礼子もまた落下していた。一瞬死を覚悟した。


 だがすぐに尻が滑らかな曲面を擦り、ウォータースライダーのチューブじみた中を滑っていることに気付いた。

 すぐに明るい場所に躍り出た。恐ろしく広い地下世界……。

 先ほど見た基地か工場みたいな場所だ。

 だがその地下空間は、いまでは得体の知れない巨大機械が占めていた。


 礼子のチューブは角度を徐々に緩めながらその機械……というより乗り物、あるいはマシンと形容すべき物体に伸びていた。

 全部で五台並んだマシンの真ん中、ものすごく大きなV字型の航空機の隣に並んだ、四角い塊……・横倒しのビルみたいなマシン。礼子はそのマシンに向かって為す術もなく滑り降り、呑み込まれた。

 訳が分からないままいつの間にか滑空が終わり、礼子はひどく座り心地の良いシートに身体を沈めていた。

 礼子は身を震わせ、シートの中で身体をかき抱いた。

 ガクン。

 重い音が響き渡り、礼子はマシン全体が揺れるのを感じた。

 前方と頭上を覆っていた黒い壁が突然瞬き、まわりの光景を映しだした。基地が沈み込んでいる……いや、礼子の乗っているマシンが上にせり上がっているのだ。頭上に明かりが差し、礼子は振り仰いだ。

 白い空。外に出ようとしている。

 基地の天井がふたつに割れ、分厚い装甲シャッターを越えると、驚いたことに斜めの稜線……山の中腹に出た。


 眼前には馴染みのある関東平野が広がっていた。


 『若槻さん、シートにしっかり座って』どこからか島本博士の声が聞こえた。ヘルメットを被っていないのに耳元はっきり聞こえる。

 「え、あの、ハイ……」

 礼子がおしりをもぞもぞさせてシートにしっかり座り直すと、肩からシートベルトのようなモノが垂れ下がり、腰のベルトと交差して礼子の身体を固定した。


 『ヴァイパー3、ヤークトヴァイパー。それがあなたが乗っている超重戦車の名前よ。いいわね?』

 「えー……はい。せ、戦車?」

 『落ち着いて。その機体はとてつもなく頑丈にできている。たぶんあなたはいま、埼玉でいちばん安全な場所にいるの。だから安心して前進させて。右手の操縦パネル……ちょうど手首のあたりにスロットルレバーがある。ごく小さなスティックよ。指先でそっと押してみて』

 「ハイ……」礼子は消え入りそうな声で言うと、言われたとおり人差し指の先で小さなスティックを押した。

 ヤークトヴァイパーが身震いして、エレベーターから躍り出た。低く唸るようなエンジン音が後ろから伝わってくる。

 予期していたよりずっと早い。あっという間に数百メートルも進み、山を下りおりて平地にたどり着いてしまった。驚いてスティックを放すと、ヤークトヴァイパーががくんとつんのめりながら制止した。

 礼子の行く手には道路や林が広がっていた。これ以上進みたくなかった。だが島本博士からそれ以上前進せよという言葉はなかった。


 『良くできました。スティックを前に倒せば前進、逆なら後退、そして左右に倒せば向きを変える。簡単でしょう?機体の操作はゲームとおなじ。それでは左のボールみたいなのに手を乗せて』

 言われるまでもなく礼子はその球面に手のひらを載せていた。それ以外に手の行き場がなかったからだ。

 『そのまま親指に力を込めて。ボールを押し込むように』

 礼子がそうすると、頭上のモニターに次々と十字マークが現れた。

 「なんだか、お空に記号がいっぱい……」

 『そうね。ヤークトヴァイパーの兵装システムは全自衛隊の軍用ネットワークとリンクしている。それに加えてここ、エルフガインコマンドの集中防衛システムとデータリンクしている……けれど、そんなことはどうでも良かったわね。とりあえず人差し指で右から左にボールの上を撫でてみて』

 礼子はモニターを見渡しながら言われたとおり指を動かした。すると十字マークが黄色から赤にずらりと変化して、数字と記号のアイコンに変わった。数字は高度と速度を表し、記号は敵機の種類と進行方向を表しているのだが、もちろん礼子にはちんぷんかんぷんだ。

 それで幸いだった……総勢百機あまりの攻撃型無人機とその親玉である巨大ボール、エネミー01が礼子めがけて殺到していたのだ。

 『ヤークトヴァイパーは同時に1024の目標を追跡、人間サイズかそれより大きい256の敵に同時攻撃することが可能なの。現在は近接モード、半径10㎞以内の目標を捉えているところよ。それで……親指をもういちど押し込んで……』

 礼子が親指に力を込めると、効果は劇的だった。礼子のまわりで無数のハッチが開き、ミサイルが発射されたのだ。同時に背後で大きな機械……戦車の大砲みたいなものが急速に向きを変え、礼子の頭上に二本の砲身を構えた。

 「ひっ!」

 圧縮ガスで収納庫から押し出されたミサイルが礼子のすぐそばで次々とロケットモーターを点火し、猛烈なバックブラストがヤークトヴァイパーの車体を揺すぶった。二本の砲身も射撃を開始した。

 対空散弾を1秒に一発……電磁軌条で加速するレールキャノンは火薬式ほどの派手な轟音は立てないものの、それでも戦車砲とは比べものにならない初速で大気と衝突した砲弾は爆発的な衝撃波を発生させた。

 射撃は20秒間続いた。

 礼子はシートベルトにがんじがらめの身体を精一杯丸めて縮こまっていた。

 120発の地対空ミサイルと砲弾が空に放たれ、終わったときヤークトヴァイパーは100トンも重量を減らしていた。



 島本博士たちが詰めている指揮所では、その場に居合わせた一〇名あまりが、固唾を呑んでヤークトヴァイパーの攻撃を見守っていた。

 火器勢射が終了してヤークトヴァイパーがもうもうたる粉塵に包まれると、だれかが低く「ヒュー」と口笛を吹いた。たった20秒で火力演習一回ぶんほどの弾薬を使いきったのだ。

 エネミー01とその周囲に展開していた敵の無人攻撃機に次々とミサイルと砲弾が襲いかかり、たちどころに全滅した。

 多くの関係者にとって胸のすく光景であった。

 予想通り、肝心のエネミー01はあまりダメージを受けていなかった。

 とはいえ、音速の五倍で殺到した180㎜砲弾はエネミー01の足を止めた。

 敵も無人機すべてを一撃で失うとは予想できなかったはずだ。

 久遠が目を細めた。「相手はちょっと驚いているでしょうね……」

 「そう願いたいわ。わたしたちが超巨大戦車を出してくるとは予想していなかったでしょう……あのボール野郎ほどのインパクトはないけれど」


 ヤークトヴァイパーの全長は40メートル。礼子は漠然と「普通の戦車の10倍くらいの大きさ?」と思っているが、実際には全幅が25メートル、最大全高16メートルというヤークトヴァイパーは戦車と言うより陸上戦艦と呼ぶべき代物だ。全備重量は5000トンを超えていた。これは陸上自衛隊の一〇式改戦車120台ぶんに相当する。汎用護衛艦なみの重さだ。

 だが、それでおしまいではない。

 ヤークトヴァイパー上空を巨大なV字翼の機体が航過した。全翼機のように見えるが、B2爆撃機と違って、翼下に巨大なコンテナ状のエンジンポッドをふたつぶら下げている。

 翼長50メートルという巨人機であるにかかわらずV―STOL機能を備えており、ゆっくりと高度を増しながら加速していた。

 ヴァイパー2、バニシングヴァイパーだ。全備重量1500トンと、航空機としては異常な重さだった。これはボーイング787六機分に相当する。

 礼子は、日も暮れようとしている雲天を遮るように羽ばたこうとする怪鳥のようなその姿を仰ぎ見た。ヤークトヴァイパーのコクピットは分厚い防御シールドに守られ外界の音は完全に遮断されているが、パイロットに外の様子を伝えるため、音量を絞ってスピーカーから流している。

 実際に車外に響き渡るバニシングヴァイパーの轟音は凄まじかった。1500トンの機体を空に持ち上げ、音速の二倍まで加速させるエンジン推力である。爆音は埼玉県のみならず隣接する県まで響き渡った。



 エネミー01は進路を変えふたたび動き出していた。超重戦車――明らかにヴァイパーマシン――の出現に、相手の出方を伺いながら次の攻撃計画を練っている、というところだ。だがさらにもう一機、今度は超大型爆撃機が出現したのだ。無人機を全滅させられて制空権と情報ネットワークを奪われたエネミー01にとっては、爆撃機の出現はさらなる脅威であった。


 「さあさあ」さつきは呟いた。「奥の手を出しなさい。それかとっとと逃げることね」

 「逃がすのはまずいですよ。やつの母艦は日本海にも太平洋にも見あたらないようです」

 「ロストしたってことなの?」

 「おそらく……あんな怪物を運んできたんですから、母艦は大幅に改造されたタンカーか原潜でしょう。あのボールを発進させ、すぐに転進逃走したんでしょうね」

 「じゃあ、エネミー01は特攻機なの?……生還は考えていない?」

 「そう考えるべきかと」

 「つまり……さんざん転がって暴れ回ったあとは、自爆するつもり……」

 「可能性はあります。ものわかりよく投降して、バイパストリプロトロンコアを我々にプレゼントするとは思えませんね」

 「するとあいつの目的は、なんだと思う?」

 「第一に、わが国の戦略を見抜くこと。第二に……あわよくば我々のヴァイパーを破壊するか、戦略目標を破壊すること……この場合は首都圏か、奥多摩に貯蔵されたコアでしょう」

 「それだとお互いにバイパストリプロトロンを失って共倒れだわ。意味がないように思えるわね」

 「情報部の見解によれば、自前のバイパストリプロトロンを持ちながらヴァイパーマシン開発に失敗した国は十カ国。そのうち別の国から技術供与を受け、なかば属国化することで命脈を保っている国は三つです。そうした属国を従え、勝負のためにバイパストリプロトロン反応炉一個を犠牲にしても構わないと考えるのはおそらく……」

 「アメリカね」

 「ええ。探知されずに日本近海に近づけるのもあの国だけでしょう。同盟国と騙って隣国の弱みを握り、思い通りにこき使う。あの国らしいやりかたです。そしてその属国は――」


 「カナダ」ふたりは同時に言った。

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