第5話 暗闇でムホッ


 健太は文字通り飛び上がった。

 いつの間にか背後三メートルまで近づかれていた。

 十秒前には誰もいなかったはずなのに、まるではじめて焦点が合ったかのようにひとり、またひとりと兵隊が姿を現し、健太たちはたちまち包囲されてしまった。

 「あー……っと」

 兵隊のひとりが肩の無線機に頭を傾け、短く言った。

 「侵入者は女性ひとりと学生ひとり。武装無し、問題ありません」

 『了解、博士が学生の顔をもっとよく見せて欲しいとおっしゃっている』

 「顔っすか……」

 兵隊はフルフェイスヘルメットの脇に小さなCCDカメラを装備していた。それを健太たちに向けた。

 『よし、ふたりを連行してくれ』

 「了解しました」

 健太はまごついた。「連行って……」

 「坊主、そちらの人も、我々に付いてきてください。いいですね?」

 意向を伺っているようでいて有無を言わさない声だ。

 健太は軽く反発を覚えたが、相手はどうやら本物の銃で武装しているし、180センチ以上ありそうなガタイは素手でも簡単に健太を組み伏せそうだった。

 (先生の前で腕をねじ上げられみっともない悲鳴を上げるのはごめんだ)

 「――どこに連れて行かれるんすか?」

 「すぐ近くだ」

 兵隊は黒い帯をベルトポーチから取り出した。

 「悪いけど、目隠しな。そちらの方も」

 「あ、あの、わたしの車は……」

 「心配要りませんよ」

 「目隠しされたまま歩くのは……」

 「歩かせませんから大丈夫」

 背後から突然なにか被せかけられ、健太は訳の分からない混乱状態のまま担ぎ上げられた。

 「ちょっまてよ!自分で歩けるから……!」

 「きゃっやめて!降ろしてください!」

 米俵みたいに野郎の肩に担がれ、運ばれるというのはなかなか屈辱的な経験だった。

 いったいなにが起こっているのだろう。この先の展開を知りたくなければ腹を立てるところだ。

 (ちきしょうめ……)


 黒塗りのバンに押し込められるものと半ば確信していたが、健太たちを運ぶ一行は駆け足で進み続けていた。身長171センチで65㎏の体格はけっして小柄ではなかろうに、軽々と担がれてしかも駆け足とは情けない。

 健太は正直言って、武装した兵隊にびびっていた。自分でも意外なほど怯え、手足の筋肉が縮こまっていた。だが屈辱から来る怒りのほうが勝り、思考は鈍っていなかった。

 軍靴の足音がくぐもり、湿った地べたを踏んでいる。

 (地下道……?)

 やがて健太たちは床に降ろされた。

 「お願い、この袋取ってください……」礼子先生の弱り切った声が聞こえた。

 「先生、落ち着け!深呼吸して」

 「こんなので息できない……!」

 (ん?)

 健太は床に横たわったまま慎重に両足を動かし、周囲の床を探った。

 (兵隊の気配がない……)

 「おーい、だれか……」

 耳を澄ませたが、近くに立っているだれかが足を踏み換えているような気配はなかった。

 健太は上半身を起こし、ついで身体半分をすっぽり覆っていた忌々しい袋を取り払った。やはりだれもなにも言わない。目隠しをずらしてみたが……あたりは真っ暗闇だった。健太はつばを飲み込んだ。

 「先生!」

 少し間を置いて、「なに……?」と呟く先生の声が聞こえた。

 「先生、落ち着いて、もうおっかない兵隊はいない」健太は床を這い、手探りで先生を捜した。すぐに麻袋に突き当たった。

 「先生、身体を起こしてよ。いま袋を取ってやるから」

 「い、いいの?」

 「かまうもんか!ひとを土嚢みたいに扱って」

 先生がごそごそ身じろぎするのを感じた。

 「びっくりしないでね……ここ真っ暗なんだ。先生、おれの声するほうに手伸ばしてみて」

 「うん」

 健太はおそるおそる前方に手をかざした。すぐに麻袋に触れた。

 「よ、よし……」

 先生の腕をたどり、肩の辺りをぽんぽんと叩いた。試しに麻袋の端を掴んで軽く引っ張ってみたが、どうやら先生の身体が麻袋に乗っかっているらしい。健太は慎重に立ち上がって周囲に両腕を伸ばしてみたが、壁には当たらなかった。

 「先生、立ち上がったほうがいいな」

 「え、ええ……」

 先生に肩を貸して立ち上がらせた。それから頭のほうの麻袋を掴んでゆっくり引き抜いた。

 麻袋が完全に取り除かれると同時に、先生のかぐわしい香水と体温が感じられた。

 「本当、真っ暗……」

 「先生、まだ目隠ししてるんじゃないか?」

 「あ、そうか」先生が目隠しを取り除くシュルッという音が聞こえた。

 「ふう……」

 がくん、と大きな音がして、床が揺れた。

 「ひっ……!」

 礼子がもたれかかってきた。

 (うおっ!?)

 「なに?なんなの?」

 「えっエレベーターじゃないかな……」

 「そ、そう?」

 礼子がしきりに首を巡らせている。毛先がカールした礼子の髪が健太の頬をくすぐった。

 そして健太の二の腕に押しつけられているのは……

 この柔らかい、温かい感触は……

 健太は緊張した喉をほぐすため咳払いすると、声がうわずらないよう慎重に喋った。

 「先生、携帯持ってないか?」

 「携帯?こんなときに……あ、そうか」

 礼子は胸元を探って首からぶら下げていたスマホを掴んだ。バックライト画面が灯ると、うつむき加減の礼子の顔が青白く照らし出された。

 「浅倉くんて落ち着いてるのね」

 「残念、びびりまくってます」

 わずか一メートルほど離れたところに壁が見えたので、ふたりは慎重に位置をずらして壁に背中をもたせかけた。礼子がLEDライトを灯した。とたんに自動車のフロントが闇に浮かび上がり、礼子はビクッと身をすくませて携帯を取り落とした。

 「びっくりした……」礼子はさらに身を寄せ、豊かな乳房を健太の腕に押しつけていた。それどころか腰も健太にぴったり寄せられていた。

 (むはー!)

 やや頭をもたげ始めていた健太の分身は、礼子の身体から15センチしか離れていない。アラスカのロシアとアメリカの国境みたいに近い。

 なにが何だか分からなくなってきた。

 (やべえ……)

 礼子は携帯の電源をオフにした。バッテリーが尽きかけているのだろうか。

 ふたりはふたたび闇に包まれた。

 礼子先生の吐息。

 礼子先生の体温。

 礼子先生身体が、空気と、わずか布何枚かを隔てたところに存在している。

 なまじ暗闇だけに邪なイメージがとめどもなく迸りでてくる。

 礼子が身じろぎするのを感じた。緊張しているようだ。それとも健太の性的緊張を悟られたか。

 (いやそれはない)

 健太のクラスでは先生はひとが良くてやや鈍感ということになっている。

 「下がっているみたいね」

 「うん、地下に降りてる」

 家のガレージより広いのにほとんど音を立てていない。やや斜めに降下しているらしい、と感じられるだけだ。


 ふたたびがくんと音が響いて健太たちの身体が揺れた。停まったようだ。

 健太たちとは反対側の壁がせり上がり、光が差し込んだ。それほど明るくはなかったものの、見通しがきく程度にはなった。健太は車の脇を通って外に出た。

 「わー……」

 地下倉庫。そんな印象だ。健太の学校の体育館よりだいぶ広い。天井に等間隔に並んだライトまでの高さが五〇メートルはありそうだった。床面積も一〇〇メートル四方はありそうだ。無駄に高く広々している……そう思えた。床はコンテナが積まれ、その手前にはジャンビーとホロ付きトラックがあわせて五台ほど駐車されていた。

 「地下にこんなところが作られていたなんて……」

 「浅倉くん……ここはいったいどこなの?」

 「笛吹峠の地下でしょ。ここは……」

 秘密基地だ!

 マジでか!?

 「なんでこんなところ作ったのかしらね?」

 「そりゃあ……」

 金属がこすれ合う音が聞こえ、いちばん遠い、健太たちがいる倉庫の端の対角に位置するシャッターがせり上がった。幅二〇メートル、高さ一〇メートルもありそうなシャッターだ。

 そのむこうに人が立っているのが見えた。

 健太たちはその人物目指して広大な倉庫を横切った。

 その人物は島本さつきだった。

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