第2話 この埼玉の片隅で

|「島本さん!」制服がたしなめるような調子で言った。しかし白衣の人――島本さんはなおも言った。

 「わたしたちはいますぐにでも浅倉くんの手を借りたいの」

 「ちょ、徴用ってつまり――」

 「あんた!とんでもないこと言ってるんだぞ!」教頭が叫んだ。

 島本さんは肩をすくめた。

 「無茶は承知です。わたしたちには時間が無いので、こうして直談判にうかがったのです。本当は強権発動できるのですけれど、まあ形式も大事ですしね……」

 形式など屁とも思ってなさそうな口調だ。


 (いったいなにが始まったんです?)まわりで議論し始めたおとなたちを眺めつつ、健太は不安と――なにか得体の知れない高揚を感じていた。

 (まさか俺、徴兵されそうになってんのか?)

 

 「浅倉くんを徴兵するって事ですよね!?」礼子先生が叫んだ。「そんなの許されませんよ、ここ日本ですからね!?」

 「お嬢さん、徴兵制の話と混同しているようだが、違うんだ。残念ながら現行法でもわれわれには国家的危機に際して必要な人材を徴用する権限があるのだ――」

 「だから、それが非常識なんです!浅倉くんはまだ未成年なんですよ?」

 「だからこそ本人の意向を確かめに、わざわざここを訪れたのよ」島本さんが平静な口調で言った。

 健太は手を挙げた。島本さんに尋ねた。

 「あの、ひとつ質問ス」

 「どうぞ」

 「あのー……俺に選択権があるような言いかたですけど、あるんですか?」

 「もちろん無理強いはしないわ――」礼子先生や教頭の顔を見回した。「――強権発動なんて、戦前みたいですものねえ」

 「それで……俺が応じなかったら、なにがどうなるんで?」

 「わたしたちは負ける」

 「負けるって?戦争でもするんですか?」

 「国土防衛戦よ」島本さんは腕時計に目を落とした。「あと数時間で始まると思う」

 「意味分かんないんすけど、俺が戦うって事なんですか?それって無理ありません?」

 「詳しい話はのちほど……だけど」島本さんは微笑を浮かべて健太を見た。「あなたにしかできないことなの」

 「はあ……」

 「まあよく考えて」島本さんは白衣の胸ポケットから名刺を一枚つまんでテーブルに差しだした。「一時間あげるわ」

 「はあ」

 「決心できたらその名刺に書いてある住所に来なさい。それでは」

 島本さんが立ち上がった。

 自衛隊の人も制帽を取り上げて立ち上がった。


 ふたりが立ち去ると、教頭が叫んだ。

 「まったくあの連中は!あと数時間で戦争が始まるとか言っていたが、気がおかしいんじゃないか?若槻先生、へんな連中を浅倉くんに近づけないでくれよ?教室に戻ってくれ」

 「ハイ」


 それで、健太は礼子先生のあとについて廊下に出た。

 (なんだ……いまの話)

 手の中の名刺に目を落とした。「島本さつき 武蔵野高エネルギー研究室所長」住所はごく近所、毛呂山町方向の山の中、チャリで三十分くらいだろう。


 (なんだろう。俺は人生の分かれ道に立ってるんだろうか?)


 そんなことあり得るか?


 島本さんは、あと数時間で戦争が始まると明言したのだ……だけど礼子先生も教頭も、そんな話など聞かなかったような調子で日常に戻ろうとしている。

 違和感を感じた。

 (あと数時間で戦争が始まるって、真に受けなきゃならない言葉じゃないのか?)

 礼子先生の背中に言った。「あの~先生?」

 先生は振り返って言った。

 「浅倉くん、あんな話真に受けちゃダメだよ?だいたい本当に政府の人かどうか……」

 「あの白衣の人、俺の母さんが勤めてた研究所から来たみたいです」

 「え?そうなの」

 「うん、ずっと前にいちどか二度会った気もする」

 「けど、無茶ぶりすぎる話でしょ?浅倉くんはあんな話まじめに受け取っちゃダメよ?いい?」

 「はあ」

 (まあなんだ……)健太は目前で礼子先生が足を運ぶたびにスカートの中でせめぎあうおしりに目を奪われていた。なんであんなふうに左右にキュッキュッと押しのけあうのだろう。



 幕間劇が終わり、健太はまたつまらない日常に戻ろうとしていた。


 つまらない日常。


 健太が夕食の時間になんとなく眺めているニュース番組では、少し前から石油についてなにか伝えていた。

 一年前に飛行機が空を飛ばなくなり、ついで個人のガソリン車使用が制限された。なぜ石油燃料が制限されているのか、ニュースをちゃんと見ていなかった健太はよく知らなかった。世界の石油がついに底をついたという話ではなかったが、健太の生活にはほとんど影響しなかったため気にしていなかった。

 バスの運行本数が減り、電車の利用が進められたが、それも昔より本数が減った。それでも埼玉県の住民にとって影響は微々たるものだった。

 二年間で住民の半数は他県に移住した。なんとか言う新しい政策によって、過疎県に移ると補助金が貰えるからだ。

 しかしもともと一千万人いた県民が半分になっても日常の景色はそれほど変化はなく、ただ漠然と、レンタル屋やコンビニといった店の営業時間が短くなり、前よりちょっぴり不便になったかな?という程度だ。

 GWの海外渡航がニュースでまったく報じられていないこと。海外の話題がとにかく減ったこと……そう言ったことは関心が向かなければ、気づきさえしない。

 半年前に在日外国人が大挙して日本から去り、在外邦人が帰郷したことが大々的に報じられた。それさえなんとなく覚えている程度で、なにを意味するのか深く考えたりはしなかった。

 太平洋の地域紛争については健太が小学生の頃から断続的に伝えられており、それも日常の一部と化していた。

 これまた漠然とだが、健太は祖父がそういう事柄に詳しいことを昔から知っていた。祖母がこぼした話では、65歳の祖父はオタク第一世代なのだという。

 祖父が学生だった1970年代にオタ向け作品などあったのか健太は知らなかったが、健太はその祖父から薫陶を受け、ややひねた考え方と偏った軍事知識、そのほかおよそ役に立たない雑学を伝授され、精神形成上少なからぬ影響を及ぼした。


 その祖父がいちど漏らした言葉が、健太の脳裏に焼き付いていた。

 「澄佳すみかがいればなあ……」

 澄佳とは浅倉澄佳、祖父浅倉宗次郎の娘で健太の母親のことだ。

 なぜか、祖父は世界情勢について母が彼より詳しいと考えていたようだ。

 健太にはその理由が分からなかった。母はどこかの研究者で、白衣姿の記憶ばかり残っている。

 母がいた頃は、毎日が今より特別だった気がした。山の中にある変な建物によく連れて行かれ、おそらく最新式の、なんの目的で建造されたのか分からない巨大な機械を見学した。

 所内に置かれていたシミュレーターはとくに毎度の楽しみで、夢中でプレイしたものだ。

 今となってはまことに非現実的であり、夢だったのかなと首を傾げることもある。それに残念ながら、母の頭脳は受け継がなかったらしい。

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