第3話

「彩子、俺と旅行しないか」と山根さんが言ってきた。

「なに、いきなり」

「ちょっと行きたいところがあるんだ」

「どこ?」

「秘密」

「今時、婚前旅行?」

「まあそんなようなもんだ」なにか企んでいるというのは分かった。

でも、あえてこの結婚式の準備をしているさなかに旅行とは、まあ男はサプライズが好きだから、だまってそれに乗ってあげるのもいいかなと思って、何も聞かずついて行くことにした。

連れていかれたのは大阪だ。

そういえば、遊園地に行きたいと言った。

大阪の遊園地と言えばユニバーサルだけれど、そこかなと思った。

大阪には、環状線という電車がぐるっと街を回っている。

新大阪で新幹線を降りると、電車に乗り換え梅田まで行く。海辺にあるユニバーサルにはここから直通の電車があるが、それには乗らない。

と言うより反対の方向の電車に乗った。

そして鶴橋という駅で近鉄に乗り換える。

ここで私は、全く山根さんが何をしたいのか分からなくなった。

どこに行くんだろう

まっすぐに走る電車が、山に向かって走る。そして山にぶつかりそうになって大きくカーブをした。

カーブしてすぐの駅に着くと、そのままケーブルカーに乗る。

ケーブルカーは山を上って行く。

そして頂上に着くと、そこには遊園地があった。

「ここは?」

「ここがお兄さんの言っていた、空の遊園地だと思う」

「えっ、ここが?」

「ここは山の上で、街が見下ろせるんだ。

だから、鯨の背中に乗った、街が見下ろせる遊園地というとここだと思った」

「探してくれたの」

「うん」

「街が見えるのかな」

「行って見よう」

私たちは遊園地の中を歩き回った。

「あれは何」と私が指さした先には、古い塔からワイヤーが吊るされて、四機の飛行機が吊り下がっている。

「あれ、飛行塔って言うらしいんだ。どうもあれが一番古い飛行塔らしい。

あの飛行機に乗って塔が回ると、飛行機が飛んでいるようになる。

ここは山の上だから、本当に空を飛んでいるようだろうね」

「乗ってみたい」と私は子供のように言う。

「後で乗ろう」

そして私たちは、遊園地の端まで行く。

街が下に見えた。

大阪の街だ、先になんとなく海が見える。

眼下に一本の筋が見えた。

さっき乗ってきた電車の線路だ。

と言うことは電車の先の山が、ここだったということだ。


ここが空の遊園地。


それから私と山根さんは、年がいもなく遊園地のアトラクションに乗った。

遊園地は、土曜日とあって家族連れが多く、子供たちが走り回っている。休日の賑やかな雰囲気が、心を高ぶらせた。

でもこんな幸せに浸ったら、またお兄ちゃんのことを思い出すかもしれない。

でも子供たちの声と、それを制する親たちの優しげな声、それらが混ざり合って、賑やかさを通り越してうるさいくらいのざわめき、そしてそんな雑踏の中にいながら決して不快感はなく、むしろこの中にいることで、心の負担がなくなってゆくようだった。


散々遊んで、私はちょっと疲れた。

「彩子」

「うん」

「疲れた?」

「うん、ちょっと」と言うと山根さんが心配したように。

「ちょっと休む?」と言う。

「そうね」と言うと山根さんはアトラクションとアトラクションの間にある、ベンチに私を座らせた。

まわりは子供たちの嬉しそうな声であふれていて、うるさいくらいの雑踏の中だけれど、やはりここでも不快ではなく、むしろ楽しさや幸せが伝わって、とても気持ちがいい。

「何か買ってこようか。何がいい」

「じゃあ、ソフトクリーム」

「子供みたいだな」

「そうだね」

「じゃあ、行ってくる」と行って山根さんは離れて行った。

わたしはこの楽しげな雑踏の音に心地良さを感じて、目をつぶる。

疲れたけれど、気持ちがいい。

心地がいい。今だけは、お兄ちゃんを死なせたという負の気持ちが沸いてきませんようにと願う。

でも心が沈み込んで行く。眠ったつもりはない。

でもまわりに雑踏が、段々遠くに聞こえるようになってゆく。


沈み行く心が、想いを垂れ流して行く。

(お兄ちゃん。彩子来たよ。お兄ちゃんが言っていた空の遊園地に)誰に言っている?

(お兄ちゃん。一緒に来たかったね)

(お兄ちゃん)心がお兄ちゃんに引っ張られる。

(お兄ちゃん。ごめんね、彩子だけが幸せになったら、許してくれないよね。だってお兄ちゃんが死んだのは、彩子のせいだから。お兄ちゃん。ごめんね)


「彩子」

「えっ」

「彩子」

誰、私を呼ぶのは。

この声は、忘れかけていた、お兄ちゃんの声?

えっ、雑踏が聞こえない。

「彩子」

「えっ」雑踏どころか、辺りは静寂が支配していた。

私は恐る恐る、目を開けた。

そこは暗闇の空の遊園地。

まるで閉店したかのよう、辺りは、月明かりだけが降り注ぎ、濃いブルーに満たされる。

辺りは夜の静寂が支配している。

いつの間に、そんなに長く私は寝てしまったのだろうか。

月明かりに照らされて誰か立っている。

その人が彩子と呼ぶ声の主?

えっ、お兄ちゃん?

そこに立っていたのは八歳の子供、お兄ちゃん?

「彩子、お兄ちゃんに会いに来てくれたの?」

「そうだよ、彩子お兄ちゃんに会いに来たの」なんで私は返事をしている。

「うれしいよ。じゃあ、お兄ちゃんと一緒に遊ぼう」

「うん」と返事をすると急にアトラクションに電気が付いた。

それまでの、月明かりだけの暗闇の空の遊園地に急に灯が入る。

照明に照らされた飛行塔では、飛行機が回り始めた。

回転木馬が音楽と共に回り始める。

園内を照らす照明がことごとく付いて、空の遊園地は怪しく輝く。辺りには賑やかな曲が流れる。

賑やかな夜の遊園地。

でも誰もいない。

お兄ちゃんと私だけ。

私はこの空の遊園地に、お兄ちゃんと二人しかいないことに不安になり、

「お兄ちゃん」と叫んで、お兄ちゃんのところに走って向かう。

でもなかなか進まない。

私は、子供になっている。四歳の彩子だ。

「お兄ちゃん。お兄ちゃん」私はお兄ちゃんを呼ぶ。

「彩子、早くおいで」お兄ちゃんは手招きをする。八歳のお兄ちゃんは、私にとって子供なんかではなく、十分大人だ、何でも知っている。

いつだって手を引いてくれる。

「彩子、早く。遠くに行くな。また、川にはまるぞ」その言葉で私は急に立ち止まる。

「お兄ちゃん」

「どうしたんだ彩子?」そう言うと、お兄ちゃんは私の所に来てくれる。

「彩子、お兄ちゃんに謝らなくちゃ。ごねんなさい。お兄ちゃん怒っているよね」

「なにを?」

「お兄ちゃんを死なせたこと」

「怒っていないよ」

「嘘。だって彩子、お兄ちゃんの人生を奪ったんだよ」

「本当に怒っていないから」

「本当に」

「さあ彩子、お兄ちゃんと一緒に遊ぼう」

「うん」

「まずは、回転木馬だ」

「メリーゴーランドだよね」まるで覚え立ての言葉を得意になって言う子供のように、私はお兄ちゃんに言う。

「お兄ちゃん、メリーゴーランドより、回転木馬と言った方が好きなんだけど」

「なんで?」

「回転木馬ぽいじゃん」

「意味わかんなーい」

「ほら行くぞー」


誰もいないのに、回転木馬は、賑やかな曲を流しながら、回っている。

回転木馬の前に来ると、木馬は回転を止めた。

「さあ彩子。お兄ちゃんと乗ろう」お兄ちゃんはそう言うけれど、四歳の私は恐くて、馬車の方に乗る、でもお兄ちゃんは馬の方に乗り、回転木馬は動き出す。

お兄ちゃんは楽しげに、たまに雄叫びを上げる。そんなお兄ちゃんが、四歳の私にはとても格好良く見える。

回転木馬を降りると、お兄ちゃんは私の手を引く。

「彩子、いい物を見せてあげる」

「何」

「この遊園地は、空の上にあるんだ。下に街が見えるんだぞ」

「えー」

手を引かれて連れてこられたのは、下を見渡せる場所だった。

夜の街は綺麗な夜景となっていた。

まるで星をちりばめたように、キラキラ光る。

「彩子、この遊園地は、大きなくじらの背中にあるんだぞ。だからくじらが空に浮かぶと、もっと綺麗な夜景が見れるぞ」  

「ええー飛ぶの」

「そうだよ。だって、この空の遊園地はくじらの背中の上にあるんだぞ」

「そうか、だからお空に浮かぶんだね」四歳の私はそんな事をいっさい疑わなかった。

「あれに乗ると、よく分かるんだ」お兄ちゃんは飛行塔を指さした。

飛行塔の回転翼の辺りも電飾が施されていて、飛行塔自身もその電飾により綺麗にその形がわかる。

私はお兄ちゃんと一緒に飛行塔のヒコーキに乗る。

飛行塔のヒコーキはゆっくり上がると、塔の半分くらいの高さで止まり、静かに回り始めた。

回り出すと外に引っ張られ、飛行機が斜めになる。

私は恐くてお兄ちゃんの腕にしがみつく。

「大丈夫だよ彩子。お兄ちゃんがついているだろう」

「うん」と言うけれど私は恐くてたまらない。

「ほら見てごらん街の光が綺麗だよ」そこにも綺麗な夜景があった。

「恐いよ」

「大丈夫。彩子、もう少しだよ」

「何が?」

「この遊園地は大きなくじらの上にあるんだ。この飛行塔がくじらのしおふきのところなんだぞ」 

「ええー」

「もうすぐくじらが飛ぶよ」

「ええー、くじらさん飛ぶの?」

「だから空の遊園地なんだ」

「そうか」

するとガガガと大きな音がしたかと思うと、遊園地全体が浮き上がった。

「彩子。僕らのいるあたりが鯨の頭なんだ。だからほら後ろを見てごらん」

回転しているのでどっちが前で後ろかわからない。

でも大きな尻尾が見えた。

そしてその尻尾は大きく、そしてゆっくりと上下に動いていた。

「飛んでる。くじらさんが飛んでる」

「このまま、海まで行くぞ」

「海、潜っちゃうの?」

「大丈夫、こんな大きな鯨は海に潜れないよ。だから空を飛んでいるんだから」

「そうか」

鯨は海に出ると大阪の海を飛ぶ、飛行場が見えてくる。

鯨は大きく鳴く、まるで海の中を泳ぐように鯨は、夜の空を泳ぐ。飛行塔のヒコーキも夜の空を飛んでいる。

本当のヒコーキみたい。

大阪の海にある大きな飛行場から、本物の大きなヒコーキが飛び立ち、私たちの横を追い抜いて行く。

「お兄ちゃん、本物のヒコーキには勝てないね」

「そうだな」

しばらく飛んでくじらはまた元の所に戻る。

大きな穴が開いている。

くじらは今度は本当に大きな声で鳴く、そしてくじらはその大きな穴にすっぽり収まった、飛行塔のヒコーキも下におりて、私とお兄ちゃんは飛行塔のヒコーキからおりた。

「楽しかったね、お兄ちゃん」

「うん」

「次は何に乗るの」するとお兄ちゃんの顔はとたん曇った。

「彩子。もう終わりだよ」

「ええ」

「彩子は元の所に戻らないと」

「イヤだ。彩子お兄ちゃんと行く」

「だめだよ彩子。これからお兄ちゃんが行くところは、彩子は来てはだめなところなんだ」

「それは彩子のせい?」

「違うよ」

「でも彩子、お兄ちゃんに謝らなくちゃ、お兄ちゃんは許してくれないと思うけど。だから、彩子もお兄ちゃんと一緒に行く」

「だめだよ彩子はこれから幸せになるんだろ」

「うんうん。彩子は幸せにはなっちゃだめなの。お兄ちゃんだけを不幸にすることは出来ない」

「彩子。お兄ちゃんは彩子に幸せになって欲しいんだ。だからお兄ちゃんは彩子のことを助けたんだぞ」

「彩子のこと許してくれるの?彩子だけが幸せになっていいの」

「当然だよ。イヤ彩子には幸せになってもらわないと困るんだ、じゃないとお兄ちゃんがここに来た意味がない」

お兄ちゃんは私の手を引いて、座っていたベンチまで連れていってくれた。

そして私をそこに座らせる。

「じゃあね、彩子、幸せになるんだよ」

「お兄ちゃんは彩子のこと本当に怒っていないの。彩子を許してくれるの。彩子、幸せになっていいの」

「あたりまえじゃないか」お兄ちゃんは離れて行く

回転木馬の照明が消える。

様々に照らしていた照明が一つ一つ消えて行く、そしてお兄ちゃんが去って行く。

そしてお兄ちゃんはもう一度振り返った。

「さよなら、彩子」

「お兄ちゃん。お兄ちゃん、行っちゃヤダ。お兄ちゃん、彩子を一人にしないで」

「彩子はもう一人じゃないよ。もうすぐ戻ってくるよ」すると私の体はもう四歳ではなく二十八歳の体にもどっていた。

「お兄ちゃん」もうお兄ちゃんは遠くを歩いていた。お兄ちゃんは振り返ると大きな声で。

「彩子、お兄ちゃんにさよならって言ってくれ」

「ヤダ、ヤダ、そんな事言えない」

「彩子が、幸せになるためには、彩子がお兄ちゃんにさよならって言わないといけないんだよ。彩子が幸せになれなかったら、お兄ちゃん本当に悲しいし辛い」

「彩子が、さよならって言わないと、お兄ちゃんは辛いの」

「そうだよ。さよなら、彩子、幸せになるんだよ、そして笑うんだ。いつも、いつも、笑って暮らすんだ」

「お兄ちゃん」

「彩子、さようなら」

「さようなら」

「もっと大きな声で。彩子が幸せになるためだよ」

「さようなら」

「もっと大きな声で」

そして最後に私はできる限りの声で言った。

「さようなら。そして、ありがとう。助けてくれてありがとう」やっと言えた。お兄ちゃんに、ありがとうと言えた。

それを聞いて、お兄ちゃんは満足そうな笑顔で手を振った、そして最後の飛行塔の照明が消えた。またあたりは、静寂の闇が広がった。


そして雑踏、賑やかな子供たちの声。

私は、はじかれるように目を開けた。

そこはさっきまでの賑やかな遊園地。

明るく華やかな昼下がりの遊園地。

山根さんが、戻ってきた。

「ゴメン、ゴメン。売店が遠い上、凄く混んでいて時間かかっちゃった。あれ寝てた?やっぱり疲れた?」

「ううん。大丈夫、ちょっと夢を見ていたみたい」

「そうなんだ。じゃあ、はいソフトクリーム。あれ。どうしたの、泣いていたの?」

「ううん。大丈夫」

「本当に」

「うん。お兄ちゃんがね、会いに来てくれたの」

「そうなんだ」

「それでね、私のこと許してくれるって。幸せになれって言ってくれた」

「お兄さんには、ちゃんとさよならが言えたんだね」

「うん。でもさよならだけじゃない。ずっと言いたかったのに言えなかった、ありがとうの言葉、やっと言うことが出来た」

「本当に、良かったね。ここに来たかいがあった」

「うん、お兄ちゃんと約束したの、幸せになるって。だから山根さん、幸せになろう。山根さん私を幸せにして。そしたら私、ずっと笑うようにする」

「ほんとに、ほんとに笑っていてくれる」

「うん。だってお兄ちゃんと約束したから」

「そうなんだ。じゃあもちろん彩子を幸せにするよ」そう言って、山根さんは、今までにないくらいの優しい笑顔を私にくれた。

スタートラインは随分変化したけれど、私はやっと、新たなスタートラインに立てたような気がした。

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空の遊園地 帆尊歩 @hosonayumu

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