第45話 遁走

 私は森の中から崩れゆく館を見つめていた。


 ここにいるのは、私と横の茂みの中で、すやすやと寝ている男の赤ん坊だけだ。

 赤ん坊は大きめの籠の中で、幾重もの布に巻かれている。その髪色はきれいな金色だ。


 先ほどまでこの身体を操っていたアメリアは、さすがに疲れたといって、私の中で休んでいる。私が気を失っている間に、館内の魔人に避難を呼びかけたり、赤ん坊や私の身体を包む布を調達したりと、かなり忙しくしていたようだ。


 私は木に背を預けると、ずるずると身体を地面に下ろしていった。

 背中に現れた翼が私を横から包む。翼があるせいか少し暖かい。


 アメリアが目を覚ました時には、翼が私の背中に生えていたのだという。ここ魔人が住む地では、天仕であることが分かると襲われるからと、アメリアが布を被せ、とりあえず隠した。今は、周りに人もいないから、少しくらい見えても問題ないだろう。何より、身体を動かすのが億劫だ。きっと、カミュスヤーナに魔力を大部分奪われたから、その影響だろう。

 先ほど魔物除けにつけた焚火の炎が、辺りをぼんやりと照らしている。


 カミュスヤーナは、エンダーンを討伐した後、その衝動に突き動かされるままに館を壊し始めた。

 しばらくして目を覚ましたアメリア曰く、私の姿に目を止めることはなく、とても楽しそうに、その赤と青の瞳をらんらんと光らせ、壁を崩し、建具を燃やし、扉を押し倒したそうだ。


 アメリアは私の身体を操り、なぜか赤ん坊になってしまったエンダーンを連れ、館を脱出した。多分、カミュスヤーナが、エンダーンの魔力等を奪い、その結果赤ん坊になってしまったのだろうと、私とアメリアの見解は一致した。

 他にも館で働いていた人がいたそうだけど、館が完全に崩落する前に逃げていてくれればいいと思う。


 カミュスヤーナは無事だろうか?無事だとは思うのだけれど、元のカミュスヤーナに戻ってくれるのだろうか?

 襲ってくる眠気に耐えられず、私は瞼を閉じた。


 近くに人の気配を感じて目を開けた。

 既に日は落ち、辺りは暗くなっていた。館の方から聞こえていた破壊音も今はもう聞こえなくなっている。赤ん坊はすやすやと寝息をたてて、眠ったままだ。

 私は気配を察したほうに目を向けて、瞳を凝らす。

 がさっと草を踏みしめるような音がした。


 焚火に照らされたプラチナブロンドの髪。服はボロボロにちぎれており、上半身の半分くらいは素肌が顕わになっている。その素肌も砂のようなものがかかり薄汚れていた。それらの上から外套のように大判の布を背中にまとっていた。彼は長いまつ毛の下から、赤い両眼をこちらに向けていた。


「カミュスヤーナ!」

「・・今戻った。」

 かすれた声でカミュスヤーナは私の声がけに応えた。

「正気は戻ったのですね。」

「・・館を破壊するのに魔力を使った。魔力が少なくなると同時に破壊衝動が消えたのでな。」


「あの・・背中のそれは・・?」

 私は、カミュスヤーナの背中を指差す。背中にまとった大判の布の下から見えるのは・・私の背中にあるのと同様。白い羽だった。

「・・よくわからないが、魔力が少なくなったら、突然背中に現れた。」

 彼が困惑したように告げる。


「・・ここまで魔力を失ったことがなかったからな。普段は、魔力で隠しておけるものなのかもしれない。」

「カミュスヤーナも天仕の血を引いているということですか?」

「・・生みの親を知らないので、何とも言えないが、魔人と天仕の血両方を引いているなど、何の因果か。そんなこと今はどうでもいい。」


 彼は自分の足元に駆け寄った私の身体をその腕に包み込んだ。

「・・テラ。」

「はい。」

 彼の腕に力が入り、私は苦しいくらい抱き込まれる。

「・・君が無事で本当に良かった。」

 安堵したような優しい声が耳元でささやく。

「カミュス。。」

 私の瞳から涙がボロボロとこぼれた。


「・・私は君を泣かせてばかりだな。」

「これは嬉し涙です。カミュスが側にいてくれて、私はとても嬉しいのです。」

「・・そうか。」

 カミュスヤーナの声に笑みが混じる。

「ずっと側にいてください。」

「・・。」


「生まれが何であろうと、カミュスは私の唯一の人です。」

「・・私は魔人の血を引いている。・・君の側にいたら、私はいつか君を傷つけると思い、君を遠ざけた。」

 私は黙ってカミュスヤーナの言葉を聞いていた。以前フォルネスが言っていた「彼が私と婚約しなかった理由」がこのことなのだろう。


「・・だが、君と離れてわかったのだ。・・私は君のいない世界では生きられない。」

 カミュスヤーナは私から少し距離を取り、自分の左手を私の頬に添えた。

 その美しい赤い瞳が色を持ってゆらめく。

「・・私からもお願いする。永遠に側にいてくれ、テラスティーネ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る