第16話 領地切断
「──そこで、幼いルリス様は私に言ったのです。『よくみえない、だっこ』と。分かりますか? 普段は大人顔負けの頭脳を誇るルリス様が、舌足らずな口調で抱っこをおねだりするこのギャップが。私はあまりの尊さに心臓が止まるかと思いましたよ、ええ。そして、いざ抱き上げて天空祭を見せて差し上げている最中、ルリス様の柔らかくもちもちとした肌が一生私と密着しているわけです。それを食べずに耐え抜いた当時の私の自制心はオリハルコン並の強度でしたね、あなたもそう思いませんか?」
「…………」
王宮から派遣された徴税官──クリス・バトラーは、領内の案内役を買って出たメイドの長話に、ほとほと困り果てていた。
他の人間はいないのかと、声を大にして叫んでもみたのだが、残念ながら本当に他の人間はこの家にいないらしく、一向に進まない調査に頭を抱える。
(やれやれ、王家からの密命を、早く果たさなければならないというのに……)
クリスが受けた任務は、表向きにはフラウロス家の財務調査だ。
申告漏れや記載ミス、測量ミスなどがないかをチェックし、何かあれば是正を促すのが仕事だが……実は、つい先日申請された新たな島、“メビウス”の調査と──可能ならば、その接収を内密に指示されている。
(現在、当のメビウスは当主ともども他領に出向いているというが……本当に、そんな島があるのだろうか?)
精霊魔法によって大量の人手を用意出来るため、
(ドラゴンといえば、近衛の最精鋭一個大隊でようやく相手を出来るような化け物だ。そんなものを、一個人で蹴散らせるような兵器が実在するのだとしたら、確かに相当な脅威となるが……まあ、流石に話を盛っているのだろうな)
下級貴族には、よくある話だ。
自分を大きく見せるため、新しく手に入れた島や杖鎧などを過剰に強く見せ、周囲を威圧しようとする。
そんなことをすれば、その“偽の強さ”に合わせて余計に税を取られたりするのだが、多くの貴族達にとっては金より見栄の方が大事らしい。
王宮勤めの役人であり、貴族出身ではあっても家督の相続とは縁のない三男坊だった彼には、いまいちよく分からない感覚だ。
(まあいい、今はフラウロス家の粗探しが先だ)
報告書によれば、この家は領地の面積を偽っている可能性が高く、確定すれば相当な額の脱税となるらしい。
そこを突いて、メビウスを接収。調査は後からじっくりやればいいと、クリスはそうそろばんを弾いていた。
(そのためにも、さっさとこのメイドを黙らせなければ……主人の自慢話が長すぎて、仕事が進まん)
「それから……おっと、話し込んでいる間に、ルリス様が帰ってきたようですね」
「む?」
メイド──ミアの言葉に釣られて顔を上げれば、フラウロス領の上空に影がかかっていた。
自由に空を移動する、巨大な空中要塞。
岩と土で構成された島の上に、鋼鉄の施設や砲台が覗くその威容は、つい先ほどまで半信半疑だったクリスを戦慄させるには十分だった。
(これは、想像以上にヤバい仕事だったのかもしれんな……しかし、相手はまだ十歳の幼女と聞く。やり込めるのはそう難しくあるまい)
そう考えていると、突如そのメビウスから警報が鳴り響いた。
一体何事なのかと、町行く人々も空を見上げる。
すると、拡声魔法による大音量で、幼い少女の声が響き渡った。
『皆さん、緊急事態です。フラウロス領東部草原地帯に、魔物の出現を確認しました。東部周辺にお住まいの皆さんは、近くの建物内に退避をお願いします』
「なに……?」
たった今帰還したばかりの当主に、なぜ魔物の出現など知る術があるのか?
疑問を覚えたクリスだったが、どうやらそれは彼だけだったらしい。
人々は、早く指示に従わなければとすぐさま建物に入っていく。
「さあクリス様、私達も入りましょう急ぎましょう」
「う、うむ」
何がなんだか分からないうちに、クリスも近場の建物に押し込まれる。
それでも、調査を目的にやって来た職業意識から、少しでも情報を得ようと窓に張り付き……とんでもない放送が、領内に流れるのを聞いた。
『出現した魔物は繁殖が非常に早く、素早い駆逐が困難です。そこで、該当区域を“切断”し、臨時の対応策を取ろうと思います。地面が大きく揺れますが、皆さん落ち着いて行動してください』
「……は?」
その内容に、クリスは理解が追い付かなかった。
確かに、ゴブリンなどの繁殖力が高い魔物は、完全な浄化が難しいと言われている。
体が小さく、ちょっとしたスペースに入り込んでは地上から資源と共に空へ運ばれ、気づけば対処不可能なまでに繁殖してしまっていたという
しかし、そんな魔物達であっても、一日二日で爆発的に数を増やすようなものではない。
島を区画ごと切除して魔物を排除するなど、聞いたこともなかった。
いや、そもそも──飛行船すらロクに出入りしていないフラウロス領に、何をどうしたら地上にいるはずの魔物が出現するというのか。
『それでは、作戦開始』
明らかにおかしい、と思っている間に、メビウスから眩い光の柱が降り注いだ。
全てを焼き付くす破滅の光は、人里から離れたフラウロスの草原地帯を真っ直ぐに切り裂いていき──本当に、島をごっそりと切断してしまった。
あまりの光景に、クリスは陸に打ち上げられた魚のように口をぱくぱくと開閉する。
『切除完了。該当区域は、メビウスによる浄化が完了次第、元の位置に再接続しますので、皆さんご安心ください』
切断された大地が地上へ落ちていくかに思われた刹那、メビウスから発射されたアンカーによって吊り上げられ、上空へと運ばれていく。
どう考えても、手段と目的が一致していない。
島を切り裂くほどの魔法が使えるのであれば、出現したのがどんな魔物であれ、容易く排除できるはずだ。
空の上からでも魔物の出現を察知するほどの感知魔法があるのなら、打ち盛らしなど出すこともなく普通に殲滅出来たはずだ。
それなのに、どうしてこんな回りくどい方法を──と考えた時、クリスはその真の目的にようやく気が付いた。
「ま、まさか、島の面積を誤魔化すために!? たったそれだけのことのために、これほどの愚行に及んだというのか!?」
空の上に住む現代人にとって、土地は非常に重要な資源だ。金はもちろん、時には命よりも重くなるほどの。
そんな重要資源を、少しばかりの税金逃れのためだけに切断するなど、クリスからすれば頭のネジが根こそぎ吹っ飛んでいるのでないかというほどの暴挙だった。
「あら、心外ですね。ルリス様は、あくまで領民の暮らしと安全を守ることを最優先に考えたまでですよ」
クリスの考えを否定するミアだったが、彼女の目には欠片ほどの動揺も見られない。
明らかに、この展開を知っていた者の目だ。
「ですが、そうですね……魔物が巣食う危険地帯を、王宮の徴税官様に調べさせるわけには行きません。今回は、今繋がっている土地の大きさだけ確認して、正式な調査は切断した地区の浄化と再接続が終わり次第、ということでどうでしょう?」
“知っていた”、という事実を暗に悟らせるような言動を敢えて取りながら近付いてきたメイドは、クリスの手に何かを握らせる。
小さな袋。その中に、決して少なくない額の金貨が詰まっているのを目にしたクリスは、小さく息を吐いてそれを懐にしまい込んだ。
「いいでしょう、王宮にはそのように報告します。ですが、このようなことは今回限りですよ、いいですね?」
「もちろんです、そう何度も魔物に浸入されては、フラウロス家の沽券に係わりますからね」
白々しい、と思いながらも、クリスはそれを口にしなかった。
同時に、今一度空に浮かぶ要塞を──その中にいるであろう、幼い男爵の姿を思い描いた。
(たかが十歳の幼女が、少しばかり強力な力を得たところで何が出来ると思っていたが……これは、しばらく王国が荒れるかもしれんな)
保身のために、自分はこれからどういう身の振り方をするべきか、どう立ち回るのが最善か。
激動の時代の到来を予感して、クリスはめまいすら覚えるのだった。
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