第12話 コーンウェルの事情

 コーンウェル領から僅か十数キロ離れた地点に浮遊する、巨大な空島──メビウス。


 空に浮かび、自由に移動しながら砲撃まで可能という、要塞さながらの性能を見せ付けたその島が、元いたフラウロス領を目指しゆっくりと去っていく。


 それを、侯爵邸の窓越しに眺めていたアルドナ・コーンウェル侯爵は、自身が無意識に握り締めていた手にじっとりと汗をかいていることに気付き、思わず苦笑を漏らした。


「やれやれ、あんなに緊張感のある交渉は久し振りだな。昔、アルバート公国の使節と対面した時以来か」


 メビウスが放った信号弾は、明らかにただの信号として使うには過剰なまでの魔力が込められていた。


 あれをただの信号ではなく、攻撃魔法として転用すれば、どれほどの犠牲が出るか分からない。


 しかも、そんな超常兵器を操る主が、年端もいかない十歳の幼女なのだ。

 多くの子供と交流し、数多くの貴族と交渉事を重ねてきたアルドナとしても、未だかつて経験したことのない類いの緊張に見舞われた。


「だが、収穫はあったな。ふふ、まさかフラウロスの神童があれほどの逸材とは……男爵も、バカな真似をしたものだ。これなら、最初から私が出る幕はなかったな」


 実のところ、アルドナが幼女趣味というのは半分正しく、半分間違っている。


 彼が幾人もの子供を集め、育てているのは事実だ。しかしそれは、純粋な後継者育成のためである。


 愛する妻が事故で子供を産めない体になってしまったが、妻以外との間に子を作る気にはどうしてもなれなかったアルドナが、苦肉の策として始めた養子の育成。


 あくまで、貴族の義務として始めたことだったのだが……これが、思いの外彼に幸せな日々をもたらした。


 子を産めないことで責任を感じ、精神を病みかけていた妻も持ち直したことで、当初の目的も忘れてそれはもう盛大に養子を可愛がり、その子の夢を叶えてやろうと嫁に送り出すところまで成し遂げたところで……ふと、気付く。


 あれ、後継者問題が解決してないぞ? と。


 そこで、今度はちゃんと後継者が育成出来るよう、優秀な子供を幾人も集め、自分の意思で後継者になりたがる子を探すようになった。


 ついでに、養子を育てる中で純粋に子供好きとなってしまったため、有り余る侯爵家の資金で立派な孤児院を建設し、身寄りのない子や諸事情で親を失った子を引き取る慈善事業も始めた。


 その結果ついて回った噂が、“幼女趣味の変態貴族”である。


 ちゃんと少年も養っているのにそれはおかしい、と主張したこともあったのだが、なぜか「少年もイケる口らしい」という更なる不名誉を被されそうになったので、何も否定しなくなったというのが真実だ。


 そう……実のところ、ルリスは最初から大人しく彼の下に来ていれば、借金に煩わされることもなく、それなりに平穏で幸せな日々を享受出来たのである。


 もっとも、結果としてルリスはメビウスを手に入れ、ただ孤児院に入れられるよりも深く侯爵との繋がりを得ることが出来たのだから、どちらが良かったかは人によるだろうが。


「しかし父上、あそこまで支援する必要があったのですか? やりすぎではないかと思うのですが」


 アルドナの背後から、一人の少女が声をかけた。


 彼女こそが、現在もっともアルドナの後継者に近い位置にいる、幼き才媛──メアリー・コーンウェル。十四歳だ。


 淡い桃色の髪を短く切り落とし、スカートではなくスラックスを履いた姿は少年のようにも見えるが、高く鳴り響く鈴のような声や、男物の服の下にサラシを巻いてすら隠しきれない胸の膨らみが、確かに彼女を少女なのだと印象付けている。


 そんな愛娘の言葉に、アルドナは苦笑を漏らした。


「本当は、もっと出し渋ろうと思ったのだがね。ああも大胆に“全か無かオールオアナッシング”で攻められると、年甲斐もなく熱くなってしまってな」


 ルリスとアルドナの間で取り決められた契約は、大きく分けて二つある。


 一つは、現在フラウロス家が抱えている借金を肩代わりすること。

 肩代わりと言っても、ちゃんとフラウロス家には返済の義務は科している。利息もあるので、完済されるまではコーンウェル家の収入源となるだろう。


 もう一つは、フラウロス領に魔導コアの研究・製造を行う工場を建設するための資金を融資すること。


 フラウロス家に資産が残っていないので、必要な金額は全てコーンウェル家が出すことになる。

 こちらも返済の義務はあるし、研究データや完成品のコアを融通して貰える契約にもなってはいるが、工場の運用によって得られた利益はフラウロス家のものだ。


 借金は、コーンウェル家からすれば大した金額ではないので別に良いが……工場一つと研究資金ともなれば、決して安い買い物ではない。


 背負うリスクに比して、メリットが少ないのではないか──メアリーは、そう主張しているのだ。


「良いかメアリー。相手のメリットを提示するばかりが交渉ではない。デメリットを提示することもまた、時に大事な手札となる」


「デメリット、ですか?」


「うむ。契約に乗らなかった場合、コーンウェル家が被るであろうデメリットだ」


 金なし、領地なし、資源なし。ないない尽くしのフラウロス家を抱えるルリスには、コーンウェル家に提示出来るメリットはほとんどなかった。


 唯一提示出来るメリットが、新型の高性能魔導コアという可能性と、“メイビス”という規格外の戦力に対して影響力を持てること。


 提示されたデメリットは、それら全てが他の“誰か”に流出することだ。


「ですが、これほどの大掛かりな契約を結ぶことが出来る貴族など、コーンウェル家を置いて他にないのでは?」


「かもしれんな。どの貴族も契約に乗らなかった場合、フラウロス家は遠からず破綻する。結論を保留にして引き伸ばせば、どこかで必ず“妥協”せざるを得なくなる──そう言いたいのだろう?」


「はい、その通りです」


「確かに、普通ならばそうだろう。だが仮に、本当に破綻するまで彼女が一切妥協しなかった場合は、どうなると思う?」


「王家が、ノーコストで総取り出来ますが……」


「その通り。そうなるように、彼女が仕向けたからな」


「そんな、まさか……!?」


 ここに来てようやく、メアリーはアルドナが言う“全か無かオールオアナッシング”の意味を正しく理解した。


 ルリスは、自分のみならず、フラウロスの全領民の生活と命すらも賭けのテーブルに乗せることで、アルドナと対等に渡り合ったのだ。


 その全てが失われ、王家に持っていかれるぞと脅しながら。


「“あれ”は、本気の目だった。本気で、妥協するくらいなら本当に破滅するまで耐え抜くという覚悟を感じたよ」


「とても正気とは思えません……そんなもの、領民すらも巻き込んだ自爆テロではないですか」


「違いない。だが、間違いなく効果はある。現に、私はこの話に乗らざるを得なかったからな」


 この国──グランスカイ王国では、王家や各貴族はそれぞれ微妙な関係にある。


 空の上で暮らす人々にとって、他の島と行き来する手段は飛行船のみ。繋がりは決して強いとは言えず、相互支援や交流の手段は常に模索され続けている。


 いわば、領地を治める貴族それぞれが、その地に根差した一人の“王”なのだ。


 誰もが、自分達の繁栄のために繋がりを維持しているに過ぎず、可能であればすぐにでも王家になり代わりたいと願っている。


 そんな状況で、放っておけば王家に持っていかれることが確定している規格外の戦力メイビスがあると知った時、果たしてどれだけの人間がメリットの最大化のために“待つ”という選択を取り続けられるのか。


 そう考えれば、多少なり自分達もメリットを見込めるうちにさっさと抱え込んでおくのが一番良いと、アルドナはそう判断した。


「契約内容は一年ごとに更新となっている。今後はメアリー、お前があの子とやり合うことになるだろう。心しておけ、あれは手強いぞ」


「……分かりました、父上」


 アルドナからの忠告に、メアリーは気を引き締めた。


 同時に、尊敬する父からそれほど警戒されるルリスという少女に、強い興味を抱く。


「私が彼女と会えるとしたら、次の“天空祭”か……楽しみだな」

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