第7話 ミッション

 四時間目の授業が終わり昼休みになった。購買や食堂に行く者、中庭や部室へ行く者、教室に残る者、様々だ。


 俺はクラスの数少ない友人である榎本慶也えのもとけいやと昼食をとるため弁当を持って立ち上がった。


 その時、後ろから声をかけられた。


「うーつーみくんっ」


 いかにも媚を売るような、甘さを含んだ高い声。こんな声で名前を呼ばれることなんてそうそうない。


 振り返ると、そこにはアッシュブラウンのゆるく巻かれた肩までの髪に、着崩した制服、化粧ばっちりの顔をした女子と目が合った。


「ちょっといーい?」


 藤塚とよく一緒にいる、今朝俺の名前を間違えたクラスメイト──根室美優ねむろみゆうだ。


「……えっと、なんか用?」


 そう尋ねると、根室はずいっと距離を詰めてきた。威圧感を感じる。ちょっと怖い。


 おそらく長いつけまつ毛とカラコンのせいなんだろうが、不自然に目が大きく見えて、その目力に身が竦んでしまう。正直、俺はこういう濃い化粧は苦手かもしれない、と心の中で呟く。まぁ、根室は俺の好みなんて知ったことではないだろうけど。


「あのさぁ、内海くんってぇ、二階堂くんと仲良いんだよね?」


 恥じらっているのか体を少し揺らしながら質問された。なるほど。根室は新太とお近づきになりたいのだ。そして、そのために俺を利用しようとしているんだと察する。


 またか、と思った。中学の時もこういうことは何度かあった。


 地味な俺と対照的に華やかで目立つ新太が一緒にいることに対する意外性。派手なやつ同士がつるんでいるよりも注目されるのは必然かもしれない。俺みたいな気の弱そうなの相手なら、仲介役にもってこいだと思われているのだろう。


「小中が同じだっただけで、そんなすげー仲良い訳じゃないけど」


 この言葉で引き下がってくれないかな、と期待する。


「でもさー。二階堂くんさっき内海くんに、なんか奢るって言ったたよね? それって、どっか二人で行く機会があるってことじゃん?」


 駄目だったかー、と心の中で肩を落とす。会話の内容をしっかり聞かれていたのが運の尽きか。


「ねー、そん時にさぁ……それとなーく好きな人いるのか聞いてくんない?」


 根室はお願い、と言いながら手を合わせて小首を傾げた。きっと可愛くお願いしてるつもりなんだろうけど、正直なところ全然心に響かなかった。申し訳ないけれど。


 ふと、藤塚にお願いされた時の上目遣いプラスウィンクの合わせ技を思い出した。あれは本当に、本当に可愛かった。心臓を撃ち抜かれたような衝撃が走ったからな。芸能人と比べるなんて失礼か。俺ごときが調子乗ってすみません、と謝っておく。


 根室には悪いのだが、面倒くさいというのが本音だった。新太に迷惑をかけることも本意ではない。あいつは忙しいし、野球に真剣だから。


 やんわりと断ることに決めた。まぁ藤塚の友人なのであくまでもやんわりと。


「……あの」

「いーじゃん。彼女はいない、って他の子が聞いたみたいなんだけど、好きな子がいるかどうかはわかんなくてぇ。ね! 聞いてくれたら〜そうだな〜。あっ、咲良に内海くんのこと、良い奴だよって褒めとくからさ」

「……は?」


 なんで、ここで藤塚の名前が出てくるんだよ。


 カッと頭に血がのぼり、顔が熱くなるのを感じた。それと同時に、弁当の入った保冷バッグを持つ手に汗がにじむ。


「ほらぁ、たまにチラ見してるよね? 咲良のこと。知ってるよ。私ってこう見えても結構鋭いんだこーゆーの。ね、うつみくんも咲良にアピールできてウィンウィンでしょ。どう?」

「……っ」


 そんな周りに気づかれるほど、俺は藤塚を見てしまっていたのか……、と呆然としてしまう。


 気をつけていたつもりだったのに。さーっと体の熱が冷めていくのを感じる。


「別に藤塚のことなんて……」


 弁解しようと口を開くと、根室はきゃははっ、と甲高い声で笑った。


「わかってるよ〜。憧れてんだよね! まぁ、うちのクラスの男子はほぼそうじゃん? ふつーふつー。それに、あたしも二階堂くんに憧れてんだ。一緒〜。ねぇ、だからさぁ、同志みたいな? 仲間じゃんうちら。協力してほしいな。いーじゃん。おねがーい」


 軽い調子の発言から、俺が本気で藤塚に惚れていることに根室は気づいていないことがわかった。良かった、とほっと胸を撫で下ろす。


 憧れ以上の気持ちを抱いていることは秘密だ。ここで下手に断って、騒がれるのも、ボロを出すのも嫌だと思った。ごめん、新太。


「聞くだけなら……」

「わーっ! ありがと〜。よろしくぅ」


 がしっ、と弁当を持っていない方の手を両手で包み込むように掴まれた。ぎょっとしている俺に対し、根室は本当に嬉しそうな、安堵したような笑顔を見せた。


 憧れ、と言っていたが根室も本気で新太が好きなのかもしれない。今の笑顔は、ちょっと可愛いと思ってしまった。


「まじ感謝! わかったら教えてね〜」


 ハイテンションでいつも一緒にいる女子のもとへ去っていく根室を見ながら、俺は少し後悔していた。根室が本気で新太に好意を抱いているなら、なおのこと面倒くさいことになってしまったと。


 俺に課されたミッションは、二階堂新太の好きな人を聞き出すこと。そして、根室美優に伝えること。


 そのためには、新太と会話を……恋の話する必要がある。


 奢ってもらう約束をしたといっても、ただ教科書を貸しただけ。夏だったらアイスとか、冬だったらコンビニの肉まんとか、そんなものだろう。


 生憎今は梅雨。今日は曇りだが、雨が降るかもしれないから買い食いはちょっと遠慮したい。ファストフード店のポテトとかジュースくらいがいいかな。


 そんなことを考えつつ、榎本のいる窓際の席へと向かった。空いている榎本の前の席を借りて座る。


 榎本は既に弁当を広げていた。俺は弁当なんて珍しいな、と言うと今日は自分で作ってきた、と彼は答えた。


 榎本は寡黙で大人しい性格だが、体が大きくガッシリしている。短髪に表情があまり変わらない顔。そのせいで少し怖がられることもあるがいい奴だ。


 趣味は体型に似合わず読書と俺と同じでゲーム。特に格闘ゲームが好きらしく、出席番号が近くて、ゲームが好きということで仲良くなった。


「なぁ、榎本ってバイトするならどこにする?」


 そう聞くと、


「……本屋」


 ぼそりと呟くような返答があった。彼らしい答えに、なるほどと頷く。バイト先を見つけたい。それも一つのミッションだ。


 根室のことは引き受けてしまった以上、仕方ない。ミッションは一つ一つ確実にクリアしていこう、と心の中で決意した。

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